私は敗北したのだ。あらゆる体内のバリアをすり抜け、壊し、奴等は私の体の一部を占領してしまった。 今シナプス将軍に伝令を出し、白血球大佐、ヘモグロビン少尉の司令の元、援軍を向かわせている。 そして口の火室に固形型燃料を投入し、ビタミンBームの増産も抜かりなく行われている。 奴らの殲滅も近い。 そういえば、むかしにもこういう事態になり、ライブが出来なかった日があった。あれは確か2023年12月23日。 一段と冷えこみ寒い日ではあったが、陽が照り付け雲一つなく、澄んだ青空がどこま
夢の中で、 フェスの様なものに出ていて、 僕の前に出ていたバンドが煩くて、 不評で、 出番がやって来て、 ギターのチューニングを、 誰かがやってくれていて、 いざ出番で、 運営のスタッフらしき人や、 仲間達が、 肘でのタッチをしようと、 クイッと肘を上げて待っていて、 ああ、 そうか、 こういう時世だからかと、 ハッと気付かされて、 手から肘にシフトしようと、 え? ハッとって何だとと、 これは僕の夢の中の話で、 その範囲を越える気付きが、 あっていいのかよと、 不思議で、
小学6年生の時にバンドを組む。 私は家にドラムがあったので、ドラムを担当する事に。 姉が主催するエレクトーン教室の発表会に出させてもらう事になり、同級生3人でのバンドで「Let it be」を披露した。 鍵盤、ギター、ドラムという構成のバンドだ。 本番直前にギターのチューニングが狂っている事に気付き、大きな不安を持ちつつ舞台に上がる。 やはり鍵盤から奏でられた音とギターの音が合っておらず、絶望的な立ち上がりをみせた我々のライブは、始終気持ちの悪い旋律を奏で、一度たりとも誰か
少々昔話を。 小学2年生の時の音楽授業で皆で歌い、授業が終わった後呼び止められ、隣の音楽準備室で待つ様に言われた。 狭い部屋の中、待っている間は酷く長く感じた。 やがてぞろぞろと5、6人の先生が入ってきて、小さな私を囲み、歌ってみせよ、という流れになった。 私は「あの雲のように」を歌った。 息継ぎをするべき所でし損なう程極度の緊張で、顔を真っ赤にして歌っていたのだと思う。 それぞれの先生方から素晴らしいと褒められ、その時から私は調子づいてここまで来たのかもしれない。 思
ツアーに出る前はコロナ蔓延の中で中々人も集まらないのだろうし、ライブハウス各地のスタッフの方々への自己紹介の様な形にして、次回は!などと考えていたのだけれど、終わってみると、各地で色々な方々に色々な反応をもらえてよかったなあ、と思っています。 CDご購入ありがとう。 配信も買って頂いてありがとう。 とても心強かったです。 もう少し落ち着いたなら、東京、また各地でお会いしましょう。 お元気で。
2012.6.2に出来た曲で、シングルで配信する事に決めたのが2020.6.4の事なので、8年歌っている曲という事になる。 2012.6.2は福井県でのライブを控えていた。 前日の夜。 いつもの様にギターをポロポロ弾いている。 いつもの様にどんどん深く入って行く感覚。 夜も深くなり、一切の音を遮断する。 「遠い星と目が合ってから 静かな辺りを切り裂いて」 一行目を眺め、これは私の願いの歌とする、と決め、後続に取り掛かる。 それは、いつから自分の中に存在していたものな
2.音源を作ってみて、感じたことは? 徳網正宗1(1)でも書きましたが、10曲録っておりました。 その曲達の整理が出来た。 容易に振り返ることが出来るようになったという事。 軸を、中心を、決めたという事。(ライブも弾き語り故) これは物凄い事でありまして、清々しい程に、これはこれが正解なのだと言わんばかりの間違いを犯す私にとって恐怖! と同時に、 整理した所からいつでも取り出し、皆さんの前で演る時には大いに形を変え、あっ!と驚かし、さも何もな
CDが出来ました。 作る作ると言って、どのくらいの月日が流れましたでしょうか。 待っていて頂いた方にはどうもありがとう。配信を通しての方には初めまして。という気持ち。 ここから何回かに分けて色々な質問に答えていく形式で、いくつかの文章を載せて行くので、時間のある時にでも暇つぶしがてら眺めてちょうだい。 1.何故音源を作らないの? 色々なライブハウスで良く言われた言葉です。 仰る通り! ごらんなさい!私も全く同じ事を思っていたのよ! といつも思っておりました。 ライブ