リアル70年代〜洋楽女子話⑲山下達郎の最初期
音楽とは腐れ縁だったかもなぁ、と。
母の私の音楽好きが災いしたのか、子供2人がポップスの作曲家と、クラッシック演奏家を目指すようになったのか?…とちょっと後悔?もなくはく無いけど。
70年代半ばから音楽が生きることを助けてくれたけど、黒歴史(?)もある…。笑
無茶苦茶な音楽歴の私には、欠かせない人、山下達郎編。
夏だから、山下達郎じゃない。笑
シティポップだから、でもない。
で、爽やかで画像検索してたら、山下達郎か?の顔の鉛筆画が出てきて、笑わせて貰った。笑
追記・残念ながら、YouTubeの画像が削除されて、見られなくなっているみたいです。曲を聴きたい方は、申し訳ありませんが、聴けるルートでご入手ください。
山下達郎と言う人
今さら感がある?山下達郎だし、もっと凄いファンは、山のようにいらっしゃるだろうし…。
シティポップは、山下達郎と大瀧詠一がいなかったら…はある。2人の功績は大きいなぁって。達郎さんは、今のそんなこんなを、どう感じているんかなぁ…。
私が中高生時代、色々大変だったり、辛い時に、実は密かに一番支えてくれたのは、達郎の音楽だったかも?はある。
歌詞で励まされとか、そんな直接的な感じじゃなくて。
ただ、作る音楽に励まされ、癒されたかなぁ。
当時は、山下達郎もまだ、ブレイクしてなかったし。
こんなにカッコいい曲を作ってても、売れない…ってね。中学生の私ごときに、言われたか、ないだろうけど。笑
それでも、自分の良いと思うことを、色々試してみたり、やってやるんだ感が、彼からは伝わってきて、めちゃくちゃ応援もした。
山下達郎は、ユーミン好きの学校の友達が、お姉さんから借りて、貸してくれた。前に、吉田美奈子のアルバムを借りてた。その中で気に入ったのが、彼女に曲を書いてた山下達郎だったし、それを彼女も知ってたから、すぐに貸してくれた。マジで、お姉さんに感謝!
アルバムは76年末リリースだから、中2の終わり。本当に出て、すぐに貸してくれたな。時期的に。
海外制作『CIRCUS TOWN』
『CIRCUS TOWN』も、頭から「カッコいいやん!」の山下達郎ワールドで。
A面頭は爽やかだし。
「そうか!山下達郎は、さすがにデビューアルバムから、海外レコーディングか!」ともなった。笑
当時は、まだまだ海外でレコーディングする人は、少なかったし。今より、英語の壁も、ごっつい高かったし。笑
Googleさんに、聞くとかも出来ない時代だし。もちろん、1ドルがまだ200円とかの時代だし。笑
作詞は吉田美奈子率が、高め。
吉田美奈子には、大人感がめちゃくちゃあったけど、何故か山下達郎には感じたことが、全くなく。笑
「何でやろう?」って、なるけど。
多分、彼は私から見て、ずっと永遠の少年な感じがあるのかも?笑
10歳も年上なのに、そんな感覚。声のせいもあるかも?だけど。だから、若い子が歌うような歌詞を、今歌っても、全く違和感がない。笑
当時は、アメリカのミュージシャンのクレジットのメンバー見ても、なんやら、さっぱり??笑だったけど。
この演奏がカッコいい!って、なった人はいて。その後も私が良き!ってなったアーティストの好みは、実は当時から変わらないかも?
このアルバムで気に入ったのは、ベースとトランペット。誰かは全く理解してなかったけど。笑
この時期から、腕利きであちこちで活躍するけど、後に2人とも、ブレッカー・ブラザーズで一緒にもやる、ウィル・リーと、ランディ・ブレッカーやったんや!ってなった。兄のマイケル・ブレッカーじゃないところも渋くて。笑
気に入ったのは、その2つの楽器がカッコいい『WINDY LADY』、
爽やかじゃないほう?笑の、山下達郎が出てる曲。
シュガーベイブ時代に作ってた曲らしいけど、でも、この曲が一番、NYやアメリカらしい色があるような…。
そして、セルフでアレンジし、プロデュースする後の達郎からしたら、全て委ねた、このあたりのアルバムは、珍しくはあるかも?
が、多分、プロデュースの方法とか、学ぶ良い機会だったんかも…ってなる。
最初から、自分で全部は、やっぱり大変だろうし、他に委ねることで、見えてきたり、自分でやる時の、勘所がわかるような気もする。
考えたら、山下達郎はバンドでも、中高生時代も打楽器やってたから、歌うドラマー好きの、私がハマった元祖かも?
KISSのクリスと、どっちを聴いたのが先か?だけど。両方とも76年だし。笑
ドラムって、脚と両手使って、歌もってなると、最低4つを同時にやるから、やっぱり難易度高いかなぁって、ど素人の意見だけど。しかも、リズムは全部違うしね。
ジャケットも素敵な『SPACY』
翌年には、『SPACY』が出て、コレが頭から良い。バックの楽器の音なんかは、ファーストのほうが好きだけど。
歌詞は、ほぼ吉田美奈子作。
ジャケットも好きだったけど、後に可愛い雰囲気の女の子なんかのイラストで有名になった、ペーター佐藤作。
ファーストから、『GO AHEAD!』まで、ずっと手掛けてたのは、当時は知らなかった。が、「センスのある東京の人は、皆んな知り合いか?」ってなる。笑
『LOVE SPACE』は、やっぱり良いよなぁってなる。ちょっとまだ、シュガーベイブ風味の残る感じ。
『素敵な午後は』、竹内まりやもお気に入りらしい『CANDY』『DANCER 』もって、結果全部やん!はある。笑
1人10ccを(コーラスの録音を重ねるやつ)やった初のアルバムでもあるし。
最後の『SOLID SLIDER 』は、私の好みの曲。
そして『GO AHEAD!』
山下達郎でも、まさかの「これで、アルバムを出せるのも最後かも?」作が、この『GO AHEAD!』で。
当時は、事情は知らなかったけど、タイトルからして、気合い入ってる感じはなんとなくしたかなぁ。
関西弁だと「行ってまえ!」な、ニュアンスを勝手に感じたし。笑
ジャケットも、気合い入ってる感が満載。笑
が、皆さんはお嫌いなのか、このアルバムをデカいビジュアルで上げてる人が、いない。笑
『BOMBER 』はカッコ良かったし、好き。
シングルのB面だったけど、関西のラジオでは、まあまあ流れてた記憶がある。
A面とセットとかで。
が、最初に火が付いたのが、大阪のディスコで、臨時で大阪でだけ、こっちがA面のジャケット作って配ったとか、後で知ったけど笑えた。
ベースラインがカッコ良いし、DJが好きそうな曲だわ〜。私も好きだけど。
『LET'S DANCE BABY』は、シングルとしては、初だったんだなぁ。
そう言えば、アルバムのみしか聞いてなかったし。
山下達郎の姿勢が、ああだから、YouTubeに、マジで上がってない。笑
この曲でさえ、かなり後のライブアルバムのバージョンしかなかった。
当時のバージョンが良かったし、CDもあるから、是非ご購入を。笑
売れ線を狙ったか?の感じはなくはないけど、ちゃんと山下達郎風味はある。
が、まあだいたい山下達郎に「LET'S 」も、「DANCE」もあんまり、似合いそうなイメージの、ワードではないけど。笑
ディスコなんかにも、行きそうにないイメージ。勝手な想像だけど。
が、このベースラインとか聴いてたら、そっち方面からは、好かれるってなるよね〜はわかる。笑
このアルバムは丸ごと、ヘビロテした。どの曲も大好き。
朝の起床は、この曲が入ったA面、家に帰って夕方以降は、B面な感じで聴いたなかなぁ。
母と未知の山下達郎との遭遇
毎朝、静かな朝にしては爆音で、このA面をかけて起きてた時期。
高1の終わり頃の話。
ある日の夜、夕飯が終わってから、珍しく母か、2階の部屋に上がって来た。
「なんの用?」って、聞いてみたら、
「毎朝、朝から、ええ声が聴こえてくるから、どんな顔してはるんか、見に来た」って言うから、私は「マジか?」ってなった。笑
「なんで、わざわざ山下達郎の顔が見たいんか?」ってなったけど。
母なりに、どうやら、山下達郎の歌にやられた、ってことらしかった。笑
で、このアルバムのジャケットがそばにあり、「こんな、ええ声の人が、こんな感じなん?」って、真面目に驚いてた。笑
ジャケットは、あの『BOMBER 』のYouTubeのやつ、あの黄色いやつだからね〜。
例え、他の超イケメンな人だったとしても、あの加工されてたら、まあまあ全員、天才バカボンチックな感じに見えただろうし。笑
真面目に、驚いてて、笑えた。
昔から全く、テレビに出ないからね。
この78年には、サザンがデビューしてて。あのジョギングパンツに、ランニングシャツ(当時はタンクトップなんて言葉はなかった)、スニーカー姿で、テレビに出てて、私がせっせと観てたから、色んなタイプのミュージシャンがいることは、母も薄々は知ってはいたけど。
あのレコードのジャケットは衝撃だったようで。ペーター佐藤さんは、ウチの母には刺さらず、拒絶されたようだけど。笑
それ以前にも、以降も、私が聴いてる音楽に何か言ってきたのは、あの時だけ。
山下達郎の曲と歌声は、昭和10年代の戦前生まれにも、届いたみたい。笑
そして後に母は、テレビからCMが流れたら、さすがに私に聴かされまくったから、「あら?あの人やん」って、山下達郎に気づいた。で、「めちゃくちゃスタイル良いやん」って。笑
『RIDE ON TIME』の時の話。
スタイルは、私も初めて観たから、「足長っが!」って、なったなぁ。
『潮騒』も、音が悪いのしか動画がない。
でも当時ウチのステレオで、聴いてたのに近い音の感じ。アナログレコードだと、この曲はこんな感じになるかも?
それまでのアルバムになかった感じの、キレイなメロディーの、バラードのラブソング。
ほっこりする曲。山下達郎テイストは薄めだけど、曲の流れとかは、やっぱり他の人と、ひと味違う。途中で
「ゆっくり飛ぶ、海猫だけが」って、展開する部分が、好きだったかなぁ。
そりゃ女子なら、好きな人に、こんな風に思って、こんな風に言われたい!にはなるよね。笑
ちょうど、好きになった人とは上手くいかず、成り行きで元彼と惰性でまた付き合った時期で、私は、「これを誰に思ってて欲しいんか?」って、聴くたびに自分で、自問してたかなぁ。笑
作詞は、吉田美奈子。シングルになった3曲とも、このコンビ。
そして、この3曲は、当時のディスコでも、ヘビロテされてたと思う。
『MOONGLOW』
この頃、毎年出してくれてたアルバム。
翌年の79年のリリース。
『GO AHEAD! 』に、ハマり過ぎたせいか、このアルバムの印象は、私には薄め。もちろん、ヘビロテはしたけど。笑
全体的に、流れでアルバムとしての、まとまり感とかは、こっちのほうがあったかなぁ。
知らないウチに、シレッとレコード大賞のアルバム賞もとってたし。
アルバムの前に、シングルになった、
『愛を描いて -LET'S KISS THE SUN-』は、CMになったし。
ディスコで火が付いたせいか、この曲のベースラインはディスコな感じ。テンポも、山下達郎の曲の中では、かなり早めだし。
私ごときが!だけど、このアルバムあたりから、より歌が上手くなった印象が強いかも?
『潮騒』と、アルバムの頭の『夜の翼』を比べると、凄く感じたかなぁ。
どっちもアナログレコードの音だし、今のCDだと、より差を感じるかも?
アカペラで、こんなに歌えるんだ!感があって。私ごときが何様?だけど。笑
上手く言えないけど、ボーカリストとして、何か超えた感じはあった気がしたかなぁ。超・勝手な意見なんだけど。笑
それまでから、ウチの母の心を掴んだぐらいだから、歌は上手かったんだけど、演歌な感じで言うと、山下達郎節的な何かが加わった感じと言うか。
レコーディングの機材や技術もあるのか?彼の歌の独特の抑揚を、上手く拾えるようになったのか?ミックスとかも、あるのかも?だけど。
素人耳でも、かなりわかる違いが出てきた感じがして。
バックのミュージシャン、バンドのメンバーも変わったりもしてるし、音そのものも少し変わった感はあるし。
時代だから、電子音もちょこちょこ鳴る感じとかも。『永遠のFULL MOON』は、サウンドがそんな感じ。
この曲は、以前の山下達郎風味と、この後の山下達郎風味が、混ざり合ってる感じの、ある意味では彼らしい曲かも?ってなるんだけど。
そしてRIDE ON TIME
で、ご本人が出演すると言う、当時のファンからすると、奇跡のような出来事が起こったのが、次の80年。
そう考えたら、やっぱり80年代は良かったなぁ…的な、老害のようなことを言いそうな、私。笑
CMに出るなんてことを、全く一般人の高3の私は知らなかったから、テレビでいきなり観て、マジでビックリした。
声ですぐにわかったけど、顔はハッキリ見えないから、「本人か?ホンマに本人なん?」って、なった。笑
当時から、カセットテープは、英会話の授業に必要だから、学校で買えて、たまたま扱いがあったのが、何故かマクセル。
中学生の頃から、「授業で使うから」って言って、度々学校で、カセットテープを買ってた。それがあって、何だかマクセル派だった私。
JAZZ好きの、音に拘る叔父ちゃんは、絶対にTDK派だったけど。笑
そして、ヤマタツファンは、元は、こだわってTDK買ってたイメージ。笑
後発だったから、マクセルはほんの少しお安めだったのもある。
が、「品質にこだわるなら、マクセル!」のイメージのCMに、山下達郎を起用してくれたのが、嬉しくて。一層、その後もかなりの、マクセル信者になってたな。笑
ファン心理は、いつの時代もあんまり変わらない。笑
後に音の職人と呼ばれる彼を、あの時期に起用するのは、まあまあ勇気ある決断かと。
マクセルは日立さんですし。超のつく大手企業だから、なお。
サブカルだったしね。所詮当時の感じは。その前のCM曲が、JALだったのが、幸いしたのか?笑だけど。
まあ、認知度は一気に上がったよね。その前のアルバムも良かったし。
アルバムも、まあそりゃ聴きましたし、
ライブにも行きました。
が、アルバム前?後?にもライブの記録があるけど、多分秋だったから、後に行ったなぁ。
CMは良かったけど、この曲自体は、まあまあな感じ。当時は特に。サウンドが、それまでの山下達郎色がちょっと少ない感じだったし。
ご本人も、お好きらしい、『おやすみ』は、私も好きだったなぁ。やっぱり、動画はないけど。笑
しがない普通の中学女子の私でも、吉田美奈子との関係は知ってたし、幼稚な恋愛観しかない中高生は、2人は結婚するものだと、勝手に思い込んでいて。笑
それぐらい、公私共にパートナーな感じだったみたいだし、そう見えてもいたし。
前の年なんかも、ツアーのバックボーカルが、吉田美奈子と大貫妙子の時代もあったし。豪華過ぎるよね。笑
だから、後に竹内まりやと結婚って聞いて、「大人な恋愛は、マジでわからん」ってなったなぁ。笑
まさか、私の恋愛観にまで、山下達郎が関係してたのか?とはなる。笑
その後もお互い、歌詞や曲を提供し合ったり、仲間関係はあったみたいだけど、
次のオリジナルアルバムからは、吉田美奈子の作詞の曲が減り、無くなったりした。
色んな意味で、このアルバムが、ターニングポイントかなぁって、昔から感じてた。アルバムの中身や、サウンドもちょっと変化した感じは、私でもわかるし。
その後が、嫌いになってないから、問題ないし、むしろその後のアルバムが、一番好きだったりするんだけど。笑
勝手な想像だけど、アルバムも売れて、色々なことが、変わったのかも?と。
なんか、山下達郎はある意味で、このあたりで独り立ちした感じがしなくはない。アンタは何様?だけど。笑
より職人的になっていったかも?な感じ。周りの皆んなと、グループで音楽を作る…から、作詞含めて自分が考えることを追求するにシフトした感じと言うか。
勝手な想像だけど。笑
が、自分の好きな、良いと思うことを、ひたすらに続けていれば、そのウチに誰かが認めてくれる…みたいな先輩として、それを生きならがら教えてくれた人なのかもしれないなぁって。
ウチもギターをジャンジャン鳴らして、毎日練習しても叱られない、やれる余裕がある家庭だったら…。
彼みたいになりたいとか言って、今もまだギター片手に歌う、痛いおばさんだった可能性もあるな、私。笑
今になってやってる、また始めた先輩男性はいるけど。笑
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