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言語を使うというお話

小さい頃から父の仕事の都合で海外に住んで、インターナショナルスクールに通っていたおかげで、私は日本語・英語と日常会話の中国語を話せる。もちろん世界にはもっとすごい人もいっぱいいて、ヨーロッパの教育なんかでは4ヶ国・5カ国語と話せる人がいるかと思うけど、すべてうまく使いこなしている姿を見るととても圧倒される。

私は高校を出るくらいまで、あまり頭の中で日本語と英語を頭の中で変換する作業をスムーズにすることができてなかったと思う。というのも、日本語は家で使う言語、英語は学校と友達と使うというふうに環境が分けられてて、結構長いこと目的別で使ってた。目的別で言語を使っていたことで何が起きていたかというと、各言語で使うボキャブラリーに偏りが生まれていたことに最近気づいた。例えば、生活雑貨の名前は家族と話すときに使うので日本語が便利だけど、学校で学んだことは日本語で説明するのは難しいし的確な言葉選びに時間がかかる。

長いこと頭の中で英語と日本語が収納されている領域がつながっていなかった気がする。言いたい気持ちが日本語で最初に説明が思い浮かぶと、なかなか英語で瞬時に表現できなかったり、英語で学んだ情報を日本語でアウトプットするのに時間がかかったり。大学に入ってから翻訳のバイトをするようになって、初めて日本語と英語の行き来をする作業をしたのだけど、そのおかげでだいぶ二つの言語の間を行き来しやすくなったように思う。もしかしたら、英語で学んだり考えたりしていることを日本語で言うということは、頭の中で同時通訳しているようなことなのかもしれない。

更に複雑になってくるのはその他諸々の言語で、大学の授業なんかでフランス語のスピーキングテストをするとき、知らない単語を脳が補おうと動いているのか、つい中国語がでてしまう。中途半端にしかしゃべれない言語についてはより能力がある中国語が勝つ。英語と日本語の場合みたいに別々の言語として確立していなくて、全部おんなじ引き出しにごちゃまぜになっているのかしら。

今でも実は、全部の言語を格好良く使いこなしているとは言えない。共通語が英語の友達に日本語でどうしてもツッコミを入れたくても、うまく表現できなくてもどかしい思いもするし、逆にこの表現英語のコンテキストでいうからこそウケるのに!とかね。多分これからもずっとこんな不完全な感じでいるのだとは思うのだけど、最近はそういった不合理的な部分も楽しんで色んな人と交流していけてる気がする。

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