やさしさのはかりかた


ひとりぐらしの部屋の狭いキッチンでフライパンを振っているとき、おたまを落としそうになった。すんでのところで掴んだけれど、部屋には少し大きな「がしゃん」と言う音と「わ、」という私の焦る声が響いた。

はっとして身体を固めた私に、向こうでテーブルを拭いていた彼はすぐに「大丈夫?火傷してない?」と近くに来てくれた。「大丈夫、ごめんね」と言うと、なんで謝るの、と笑った。


音を立ててしまったその瞬間わたしの頭に浮かんだのは「怒られる」という言葉だった。


元彼と同棲していた時、帰宅早々急いで晩御飯を作っていた私が菜箸を落としたとき、横でゲームをしていたその人は眉を寄せてこちらを見、私の名前を責めるように呼んだ。そして言うのだ、「気をつけて」と。

私を思っての「気をつけて」ではなかった。「俺を不快にさせないように気をつけて」だったのだ。


怒られなかったことにほっとした私に彼は「火傷してなくてよかったよー」とまたテーブルを拭きに戻っていった。その背中になんだか涙が出そうになって「やさしいね」と言ったら、「なにが?」とぽかんとしていた。「がちゃんてしたのに、怒らないで、心配してくれるから」「いや普通でしょ」「普通かな」「普通だよ」「そっか」「だって俺がキッチンでうわっ!て言ったらあなたも心配するでしょ」「うん」「ほら、普通。」



普通。

普通。

普通。


彼と付き合って、元彼の「普通じゃないところ」にたくさん気付いてしまった。

以前、友人にその人のことを相談した時、険しい顔で「それはDVだよ。精神的DV」と言われたことがあった。そのときは「いや、そんな大げさな」と思っていた。けど。

どうやら、本当にそうだったようだ。

怖い。嫌われてしまう。怖い。我慢しなきゃ。頑張らなきゃ。このくらい大丈夫。もう慣れた。まだマシだ。この人なりの優しさなんだ。この人は、不器用だから。きっと彼にはトラウマがあるんだ、支えなきゃ、私に心を開いているからこうなんだ。怖い。怖い。死んでしまいたい。怖い。

元彼と付き合っていたころの自分の日記を見て、ぞっとした。異常だった。付き合ってすぐの時点から、兆候はあった。なのに、私は、3年も、気付かずに。いや、きっと気付いていたのに見ないふりをして。

気付いたら死んでいる、という言葉がとても良く当てはまると思った。殴られたりすることこそなかったけれど。でもきっと、暴力として形に出るDVもこんなふうに囚われていくのだろうなと思った。

危ない。本当に、危険だ。だって離れて誰かに出会うまで本当に気付かないのだから。客観視すれば自分ですぐにわかる異常性に、渦中では気付けない。きっと、する側も、気付いていないのだ。


衝撃だったけれど、私は元彼との3年間があるから今の彼の優しさを強く感じられることができ、心から感謝できる。はじめから潤沢だったとしたら鈍ってしまいそうなこころが、とても敏感にやさしさを受けている。そしてきっと、昔の私のように麻痺をしてしまっている人がいるなら、話を聞くことができる。それはそれで良かったと思える。

きっと元彼は一生「昔のわたし」のような女性を作り出していくのだと思う。そしてまた、そんな彼は「昔のわたし」のような人間によってどんどん固まっていってしまうのだと思う。悪循環。愛がいつの間にかすり変わってしまう。恐ろしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?