予告編。男性こそ結婚についてどうしたいか早めに考えておいた方がいいと思う、その理由ふたつ。【男と結婚_00】

 男性の草食化だの結婚離れだのいう話もよく聞くし、若い女性の専業主婦願望の高まりだとか婚活の若年化だとかいう話もよく聞く。しかし、田舎で結婚支援をしている限りでは、そんな例には出会ったこともない。多分、東京を中心とする都市部と地方の田舎部とでは、かなり潮流が違うのだと思う。

 しかし結婚にまつわる問題として、少子高齢化の先駆者はむしろ田舎だし、賃金が低くて全体的に低所得なのも田舎だ。ということは、ある意味では田舎は、日本の将来の先取りをしているのだ。田舎からの意見表明も、役に立たないことはないと思われる。いつもはnoteでは主に若い女子に向けてメッセージを発しているのだが、少し男性に向けて思うところがあったので、今回はそういった稿を書くこととしたい。ただそれは結構おおがかりなことになるので、まずはその、予告編。

 田舎で結婚支援をしていると、(もっと早く手を打っとけ!)と言いたくなる男性たちによく遭遇する。年を取ってから結婚したくなる男性たちだ。40代ならまだ対処できるが、40代も終わりになりかかり、50代、60代となってくると、少し頭を抱えてしまう。わたしは、結婚しようがしまいがその人が幸せな人生を送れれば何の問題もないと考えているが、40代後半からといった人生終盤戦の始まりくらいの時期に結婚したくなってしまうと、「これから結婚するのも難しいが、さりとて結婚しない人生にシフトするのもつらい」という羽目になりがちなのだ。

40代の後半で「この会社では上に上がれない」ということがはっきりしても、その時点で取れるキャリアオプションはほとんどありません。なぜなら、日本の大企業でなんとなく二十年頑張ってきましたという人は、よほど専門性のある人でないと労働市場でほとんど値段がつかないからです。

という、『外資系より残酷な日本の大企業』で述べられているのと同じような状況が、プライベートでも起こり得る。その点女性は、(それがいいのか悪いのかは判断が難しいが)大体の場合40歳手前までには「結婚する人生」「しない人生」のどちらかを選ばざるを得ないので、どちらの道に行ったとしても、老後を迎える頃までには、覚悟も決まるし人生仕舞いの準備もできる。しかしその選択に10年から20年の遅れをとった男性については、老後が見え始めた時点になって覚悟を決めるのも準備を始めるのも前途厳しく、(もうちょっと早くやっとけばよかったのに……)とこちらが思いたくなる。

 わたしは、これは田舎特有の現象でもないように思う。非婚化は全国的に広がっているし、「結婚したいのにできない」層も直面しなければならない問題だがそれよりも、「結婚なんて男に不利じゃん」と独身をキメ込んでいた層において、人生折り返し地点に立った頃に急に結婚したくなる現象が、これから全国で多発するのではないかと、危惧している。

 そう考える理由は主にふたつある。それを明日以降、順番に書いていきたい。

 ひとつめ、『将来的に、モノ消費型の結婚は、終わる。コト消費型の結婚が、くる。』という稿を書きたいと思っている。現在の消費活動を読み解くキーワード「モノ消費/コト消費」の流れは、絶対結婚にも来ると思うのだ。簡単に言うと、収入の補完やケア機能といった「便利な機能をゲットする」側面を重視した結婚は徐々に終わり、パートナーとの愛情や安らぎ、くつろぎ、生活や家計の協働体験といった「共にあることで得られる精神的な充足」を重視した結婚が残っていくと思う。なぜなら、「便利な機能」は現代社会、ひとりでコンプリートもしくは外注できるからだ。そういう社会になった時、「便利な機能」も「精神的な充足」も欠きがちになるのが、「独身女性」よりも「独身男性」なのではないか、というのが、この稿の問題意識である。

 この考えを補完するのが、次の『男性は、もっと自力で自分に構ってあげたらいいのに。』である。この稿で述べたいのは、「男の人って、身近に自分を受け入れてくれる特別な女性がいて初めて、自分自身に関心を向けだすような、そんな傾向がありません?」という疑問だ。どうもそういう女性の存在がないと、男性はセルフネグレクトに走りがち、自分をないがしろにしがち、のような気がしてならない。そこが、男性が結婚をしないと「便利な機能」も「精神的な充足」も欠きがちになる、ということの、根っこにありそうな予感がしている。この稿は実は、もう書いた。しかし、まとまりをつけるのがものすごく難しいのだ。男性の問題を考えるのは、すごく難しい。

 いずれにせよ、男性も女性も、自分の人生をどうしたいかについては、早めに自力で考えておく必要があるのだ。しかしこと結婚に関しては、それに遅れを取っているのは男性の方だと思う。そして逆説的なようだが、そのことを自力でしっかり考えていて、かつやろうと思えば自力で人生コンプリートできる人の方が、その時に直面すれば他人と協調できるし結婚もしやすいのだ。「結婚したい欲を手放した途端、結婚できた」という話は、実はそのことを体現しているのではないのか、と思う。

 ところでわたしは女であるし、以前の稿で「女子の方が好きだから女子を贔屓したい」と書いたことであるし、男のことを書くなら、好きな男のことだけ書いていたい。しかし女性のことを考え出すと、必然的に男性のことも考えざるを得なくなるのが現代ニッポンだ。ピンとこない方は、ジェーン・スーさんとか二村ヒトシさんとか桃山商事さんの本を読んでみて欲しい。わたしもお仕事上考えたことについて問題解決したくて本名で情報発信する時は、大体男性に向けて「変われ」とメッセージを発することが多い。

 最後にもう一度言うが、結婚しようと結婚しまいと本人が幸せならそれでいいのである。ただ、そのことについてきちんと考えることなく「別にこのままでいいじゃん」と20年30年過ごした挙句、「実は結婚したかった!」と気づいて残りの人生を悔いで過ごすのも不幸なことだし、そこで社会や女性に鬱屈した思いを抱えて加害行動に出られるのも(最もありそうな例で言えば、不機嫌をまき散らすのも加害行動である)、本当にやめていただきたいことなのである。男性の非婚化が続くと、そういうことが将来バックラッシュとして起きそうで心配だ。

 結論として言いたいことは、「自分の人生の幸せは自分で考えよう!」である。それさえ考えられれば、結婚するかしないかのカタチの問題は、それほど重要じゃない。そういうこと。

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