日記:感情を揺さぶる幾つかの断片

ストレスが溜まっていたようにも思うし疲れていたのかもしれない。マインドフルネス瞑想は雑念ばかりで集中に戻ってきづらく一種諦めの気持ちになったが、諦めた後に対象関係論の入門書を読みビオンの生涯を辿って号泣し、谷桃子バレエ団の公式youtubeで白鳥の湖を観て号泣するなどする。こんなに泣くとは思わなんだ。とはいえ私は泣くのに関しては肯定的である。泣く効用は人に対しては緊張緩和と副交感神経への切り替えの観点から伝えるし、自分にとっては泣いてみて初めてああ今こういう状態だったんだなと気付くことも多い。

ビオンの生涯については、まず第一次大戦で戦車部隊に所属し過酷な経験をした、というところが切なく、『兵士シュヴェイクの冒険』の描写を思い出すなどしながら、PTSDはベトナム戦争帰還兵の精神障害への問題意識から研究が始まったという、日本でも最近ようやく太平洋戦争から復員した人々の心的外傷への気付きが始まっている。戦争トラウマはほんとうに非人間的な体験を強いられた被害者だと想う、ほんとうに、人を人として見ない為政者はほんとうに信じられない、ほんとに嫌だ。ビオンは自らの臆病さに自覚的なよき父親であり精神分析家だったという。

それから不意に泣けてしまったのはこのくだり、

ある諺があります:美点はそれ自体が報酬である、と。よくあることの報酬はよくあることです。よい分析家であることの報酬は、よい分析家であることです。よい父親、もしくはよい母親であることの報酬は、ただ単に、よい父親、もしくはよい母親であることなのです。(Bion, W. 1994. Sao Paulo. 21. 1978, p.219)

松本邦裕「体系講義対象関係論(上)」岩崎学術出版社2021

あーここで泣けてしまったということは私は報酬が欲しかったのかなと、承認が欲しかったのかなと褒めてもらいたかったのかなと、でもそういうのじゃなくて自分が「よい○○」であればそれで十分でありそれでいいのかなと、思うなどした。

白鳥の湖は…とても古い記憶だ、ずっと昔、私が小学校に入る前の年齢の頃。その頃、白鳥の湖に憧れてバレエを習いたかった。そんな幼い頃、なんで私はバレエを知ってたんだろう。なんでバレエに憧れてバレエを習いたいと思うことができたんだろう。ど田舎の貧しい家の第二子だったのに。そう、田舎で貧しかったからバレエを習うことは叶わなかったのだけど、なんで田舎で貧しかったのに私は白鳥の湖を知っていてバレエに関する知識もあって(トゥで立つとかチュチュだとかチャイコフスキーだとか)バレエは習えなかったけどピアノは習えてあれだけ家に本があって大学に行けたんだろう。ど田舎で貧しかったのに。両親は高卒だったのに。それなのに私はどうしてあんなに文化的ないろいろを―文学や音楽や美術や芸術を―与えてもらうことができていたんだろう。それは結局は父母が私たちきょうだいに与えてくれたものの大きさだったんだろうか、今にして思えば、生まれだの経済的不利だの地域格差だのそういうのを乗り越えることができるくらいの教育の恩恵が効いた時代だったり、親の愛だったのかもしれない、など思う。恵まれていたのかもしれない、与えられていたのかもしれないなんて、ずっと分かりゃしなかった。

それから、オデットとオディールと王子と悪魔ロットバルトの関係を対象関係論的に、スプリット、リンキングへの攻撃、など想像しながら観ると泣けてきたり。オデットとオディールが同一の存在の中のスプリットされた二つの要素だとしたら、オディールだって王子に選ばれたくなかったろうになあ。そっちじゃねえし!お前も結局そっちのあたししか目に入んねえのかよ!的な。ロットバルトは散々オデットを痛めつける。自分内の攻撃的な余所者他者。

施設の子どもたちを思う。折角大人になったのだ。子どもたちにとって、「よいキクチさん」である大人になりたいなあ。それだけでいいし、そうであれば、十分生きた甲斐があるのだと思う。


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