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突然ですが乳ガンを切った。乳とか女性性とか。

50歳になった。ガンが見つかった。乳ガンだ。なんと今入院中です。術後3日目です。片乳が無くなった。

ガン検診でガンが疑われたのは半年くらい前のことで、精密検査に進み生検をした結果ガンと確定したのが12月のことだった。ガンが分かってから、次の作品はガン闘病記になるか…?と皮算用し、少しずつnoteで記録しようとしたのだが、結果的に、術後の今日まで何も書けなかった。どうやらわたしには闘病記は書けなさそうだ。

何も書けなかったのは、幸いにもごくごく初期で見つかり体調の変化もなく特記事項がなかったということもあるし、仕事が忙しかったこともある(入院直前まで普通にハードに働いていたよ!)。そして多分に、わたしが乳に対し、女性性というか女性的アイデンティティというか、そういうものをほぼ付与していないせいが大きいように思う。

乳がなくなることについては、殆ど何とも思わなかった。再建術も選んでいないので、今後は片胸平らで行く。むしろリンパ節を取るか取らないかの方がわたしにとっては大きい問題で、術中に併せて行った生検の結果によってまだ再手術の可能性0%ではないので、その点はドキドキである。乳はあってもなくてもどっちでもよい。『ノーブラ天国』で「ブラをしようとしまいと、胸がでかかろうと小さかろうと、ハリがあろうと垂れようと、大体問題ない」と書いたが、まさにその通りで、「あってもなくても問題ない」のである。

乳があってもなくても、わたしが変わるわけではない。片胸が平らでも、それでも別に女だし、女だというのはそれ以上でもそれ以下でもなく、ただわたしという人間にずっと備わる属性であって、誰かに勝手に付与されたり外されたりするものではないということ、そういうことなのだと思う。

わたしは幸いなことに、多分子ども時代にあまり女であることを叩き込まれずに成長することができた。美や女性性を強く要求されることもなく、だからこそそれを強く内面化することもなく、反動として強く忌み嫌うこともなく、いられたし、いる、と思う。(強く、というのはポイントで、女である以上、影響を受けずに生きることはできないのだけど。)おっぱいは若い頃に十分楽しんだし、なくなってもわたしは損なわれない。

先生によると、乳は神経も一緒に取り除くので切除部位の痛みはほぼなく、ただその奥の筋肉やら骨やらは痛いとのことで、その言葉の通り、傷口は痛くないが、術後に胸部を巻いて固定するバストバンドなるコルセットのようなものが滲出液を逃がすドレーンを圧迫して押し付けられる部位がやたら痛い。そこで先生がタオルを緩衝材にして当たりを柔らかくするようにうまく巻き直してくれたのだが、傷の確認に来る看護師さんは、なぜか残存する乳の方に気を遣い、そちらをタオルで覆おうとするので、そのたびにタオルの位置が健康な乳の方に寄っていくのである。違う!そっちの乳は露出してようが潰れてようがどうでもいいんだ!と言いたくなるが、多分自動的に気を遣ってしまうんだろうな、女性性の魔力。

そしてこの稿を書いてる間に決まりました。明日ドレーンを抜いて、明後日退院です!


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菊池とおこ
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