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異世界・ラジオ体操

小学生の頃。マンション下でのラジオ体操。参加するとスタンプがもらえる。私のカードにはほとんど花丸がついていた。
うちのラジオ体操イベントは1番と2番をやった後、マンションの敷地を一周するルールがあった。と言ってもちゃんと走ってた人はほとんどいない。私含めてゾロゾロと歩いていた。まだ眠そうな友達との会話もまばらで、かわりに蝉の叫びがよく聞こえていたのを覚えている。

強制的イベントではないし、親も絶対に行けと言う人ではない。
ただ不思議と、行きたくないという感情にはならなかった。
それはクラスメイトに会えるのが嬉しかったのかもしれないし、クラスメイトにサボったと思われるのが怖かったのかもしれない。それとも、真っ白だったカードにたくさんの花が咲くことに優越感を抱いていたのかもしれない。

小学校高学年の時、同じマンションに好きな子がいた。
その人とは6年間同じクラス、誕生日が1ヶ月違い、名字の一文字目が近かったから入学式では強制的に手も繋いだ。サッカー少年で地黒、坊主に近い短髪の男の子だった。

彼は時々参加するし、時々いなかった。多分その日の気分で決めていたんだろう。いつも以上に焼けた肌のあの子を見つけると彼が見える後ろの方をこっそり陣取っていた。いない場合はどこだったっけな。覚えていない。
30%くらいの稼働で体を動かし、のそのそ歩く後ろ姿と会えただけで嬉しくなった。7時過ぎても現れなかった時はがっかりした。ひょっとしたら、気まぐれなその子がいつ参加しても会えるようにカードに花を咲かせていたのかも。

同じクラスだから学校でも会えるのに、朝のラジオ体操で会うのは特別な気がしたのはなんでだろう。
それはその人と家族が暮らす家という、学校とは違ったコミュニティの場で会えたから。クラスメイト以上の近さをマンションの下で感じていたから。夏休み、朝7時からの15分という限定された時間の中だったから。いつもと違った異世界で、会えるか会えないか決まっていないのに会えたからだ。


今、その異世界はどうやらないらしい。
私が小学校を卒業した辺りから子供が少なくなり、いつの間にか異世界は消えていた。そんなところまで夏の儚さを漂わせなくてもいいのに。
好きだったあの子も小学校卒業後、他の子とは別の少し遠い中学へと入学していた。

あんなにも鬱陶しく感じる蝉の声すら寂しく感じる、8月の終わり。


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