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東京と音楽と

上京して1ヶ月あまりが過ぎた。

「東京で会社員」という何もかもが未知数の生活に随分と身構えていたが、蓋を開ければ上司はいい人ばかりだし残業もない。想像していたよりもかなり穏やかに新生活をスタートさせることができたように思う。


新居を決めるに当たって当初は家賃が安い郊外を探していたが、毎日の満員電車に耐えられるかと娘を心配した両親の意向があって、結局バスで15分ほどで通える都内の住宅街に住むことにした。

とはいえ、東京はやはり人が多い。

バス通勤だって毎日座ることができないし、乗れずに次のバスを待たなければいけないこともある。
窮屈な車内は、それぞれの乗客が抱える憂鬱や戦意がむせかえってもうすぐ私にまでうつるような気がして、やはりそこまで居心地の良い空間ではない。

でも私は、そんな通勤時間がさほど嫌いではない。
その憂鬱に飲み込まれないのは、まだまだ新入社員、まだ何も背負うものがないからという理由もあるだろうが、それ以上にイヤホンから流れる音楽に守られているから、というのが大きい気がする。



高校入学時にスマホを買ってもらってから、私はいつも通学中や散歩中は音楽を聴いていた。
あまりマナーが良くないのは承知しているが、イヤホンから流れる私の好きな音楽たちは、時に日常を生きる活力をくれ、時に日常から私を少しだけ遠ざけてくれる。どうしてもやめられないルーティンだ。

それは今もずっと変わっていない。
音楽には本当に色々な作用・効用があると思うが、特に通勤中の音楽は私にとって社会が抱える憂鬱と私を少しだけ隔ててくれる薄膜のような、蚊帳のようなものだ。


その役割は大きく変わらないが、一方で会社員になって生活の道中に聴く音楽は少しだけ変わった。
これまで私が聴いてきた音楽については、折に触れていつか記したいと思うが、東京に来てから随分と軽やかな曲調のものを好むようにになったような気がする。井上陽水より細野晴臣、椎名林檎より最近の宇多田ヒカル、という具合。少し前までは、もっとシリアスで激情的、というかドラマティックな音や歌詞が好きだったのだが。(細野晴臣や宇多田ヒカルがそうでないという意味では決してない。)


この変化に気がついて、ふと、いつか読んだ村上春樹の音楽に関するこんな記述を思い出した。

自分がどういう音を求めているか、どんな音を自分にとってのいい音とするかというのは、自分がどのような成り立ちの音楽を求めているかによって変わってきます。だからまず「自分の希求する音楽像」みたいなものを確立するのが先だろうと思うんです。(「雑文集」より)


この「自分がどのような成り立ちの音楽を求めているのか」という問いを以てすれば、上京してからの私の変化も理解できる気がする。


高校の時聴き漁った椎名林檎は、以前テレビで「忙しない女性たちの日々に寄り添うサントラを作りたい」と言っていた。
そんな彼女が作っためくるめく楽曲群は、当時部活一色だった田舎の高校生の私を鮮やかな広い世界に連れて行ってくれたし、どんな女性にもなれるという希望と将来への渇望を与えてくれた。
まさに私の青春時代は椎名林檎の音楽に色づけてもらったように感じるのだ。

そんな椎名林檎の音楽に対して宇多田ヒカルの音楽は、佐藤千亜紀の言葉を借りるならば水とか空気とか(先日の関ジャム宇多田ヒカル特集にて)、無色透明かつ生きる上で欠かせないもののような類いだと思う。

音楽理論的に正しく彼女の音楽を語ることは出来ないが、私のこの感覚は『初恋』リリース時に際して公開された、小袋成彬らとの座談会での彼女のこんな一言に裏付けられるような気がする。

「みんな孤立してるじゃない、本当は。気づかないで生きてたり、見ないようにして生きてるだけでね。自分が孤立していることを見ない方がいい、考えない方がいい、っていう教育を受けてきてるから。特に日本はそう。集団で繋がっているという幻想を見せて、自分よりも集団を大事にしろっていうでしょう。そういう息苦しさがあるよね。でも一人と一人だったら、それを乗り越えて本当の繋がりを感じられるんじゃない?それが私の繋がり方だな」(「宇多田ヒカル 小袋成彬 酒井一途 座談会」より)

実際の楽曲をつぶさに例に挙げながら深遠な彼女の音楽たちと人との関わりを紐解くことは決して容易でないだろう。
しかしこの発言のように、曲を介して孤独のなかで「私とあなた」としてつながりを持ってくれるのが彼女の音楽であるなら、やはり水や空気くらい誰にとっても当たり前に、無意識に希求されるものなのだろう。

そして、そんな成り立ちを持つのが彼女の音楽であるならば、それを欲するようになった私はより孤独に向き合おうとしているような気がするのだ。
もっと言えば、それは「私」という人間として生きる決心がついたということだと思う。

椎名林檎からもらった色鮮やかな将来や素敵な「大人」に対する憧れとともに思春期を過ごした私は、その「大人」になるための歩みの中で自らを知り、いつかの将来にむけて自分で選択し続け、結果それを今にした。

色々なことを経て大人になった、といってしまえばそれだけだが、大学生活を経て私はようやく今、集団の中で自らを見失わずに歩いて行ける自信をもったのだ。
その自信と東京という混沌とした街での新生活の中でもそうあり続けようという決心は、ナチュラルで自らを省みさせてくれる宇多田ヒカルの音楽にとってもよく馴染んだのだろう。


そんな自身の心情の変化があって希求する音楽が変化したのだと思うから、この変化はやはり喜ばしいものだと思う。
それに加えて、より軽やかなものが好きになったというのは、個人的には東京という環境も大きく影響している気がする。
集団意識や帰属意識の薄いこの街は、限りなく私を私自身に対峙させてくれるし、そんな中で宇多田ヒカルの音楽のように、寄り添い合える「あなた」を探し出すには、やはり身のこなしは軽い方が良い。


人で溢れかえった東京で、私は今何も持たず、ただひとりの「私」として生きようとしている。できることなら椎名林檎の音楽くらい鮮やかに、宇多田ヒカルの音楽くらいナチュラルに歩みを進めたい、と切に思う。




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