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「よりよい」を「つくる」ために、どんどん「変える」

「よりよい」とか「つくる」とか、そういったことについて考えない日はない。言葉自体に意味はなく、言葉を通して物事を理解しようとすることが大切。言葉を置いたときに、そこから探究ははじまっていく。思考の海を泳いでいく。言葉に踊らされないこと。言葉に縛られないこと。

そんな中、最近よく頭の中に浮かぶのが、「変える」ということ。「よりよい」を「つくる」ために、必要なのは、「変える」ということだ。「変える」ということを猛スピードでその回転数を上げていく。

しんさんは、

「変えた方がいいと思ったことはどんどん変えていった方がいいよ。様子とか見ずにすぐに変えた方がいい。」

と、よく言っている。ああ、そういうことか、と最近はわかってきた気がする。

4月にオンラインでの風越がはじまった当初。1時間置きに、オンラインの場を設定していたが、やってみると、なんだか窮屈な感じがした。何かやらねばが全面に出ちゃってて、本来大事にしたかった、ゆったり生活することがすっかり忘れ去られていた。

そこで、ゴールデンウィークを境に、ガラッと「変えた」のだ。オンラインの時間を一気に減らすことにした。解消された問題もあったが、また別の問題が浮かび上がってきた。そこで、保護者からのフィードバックをもらい、それでまた「変えた」のだ。

これは、通常登校が始まってからもそう。一日の流れの細かいところをやりながら「変える」ということをひたすら繰り返している。朝来てからのこと、お昼ご飯の流れ、ホームでの時間、まなびの時間などなど。

先週は、朝のつどいを別のホーム(異年齢の学級のようなもの)と合同で行うように「変えて」みた。すると、また新たな関わりが生まれたり、別のホームの様子から、スタッフのつどいのつくり方から気づくことがたくさんあった。同時に、別の問題もまた浮かび上がってくる。

そして、明日からまた新しい1週間がまた始まる。大きく「変える」ことがある。これまでのことをひっくり返すような「変える」になるであろう。そのために、週末にあれこれ作戦を練っていた。練りに練った。「変える」ということは、覚悟を決めることでもある。

こうやって、とにかく大なり小なり、日々、「変える」ということをフル回転で行っていく。そういうことの中で、「よりよい」を「つくる」ということが結果として起こってくる。

間違いなく、日々、ぼくたちは変態し続けている。それも猛スピードで。昨日までのことを躊躇なく手放し、自己否定して、また生まれ変わっていく。それが、新しい「よりよい」を「つくる」ということだ。

きっと、明日から「変える」ことによって、また新たなことが見えてくる。問題も浮かび上がってくる。でも、また、「変える」のだ。そう言ったことを日々積み重ねていくこと。日常的に「変える」ということ。

何も恐れることはない。「変える」ことを。

さあ、目の前の「よりよい」を「つくる」ために、「変える」べきことはなんだろう。


「雑草」

今週も一曲書いた。30分でさくっと。今週は、雑草の絵本を読んで、雑草取りに出かけて、雑草屋さんを開いて、雑草の種類を調べた、雑草ウィークだったんだ。


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