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ワタナベマホトの報道に思う。事実を事実と見極めるためには、疑う力が必要だということ。

家を出る前にどれだけ髪型を丁寧に整えたとしても、風が吹けばすべてが崩れる。どれだけ事前準備に時間をかけても、予期せぬアクシデントが起これば予定通りになんて進まない人生。なんか似ているなと、わけのわからない思考を巡らせている今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

昨日、大物youtuberのワタナベマホトが傷害容疑で逮捕される、という大きなニュースが流れました。

ワタナベマホトは僕がyoutuberに興味を持つきっかけになった人のひとりでもあるし、その他の個性的なyoutuberを知るきっかけになった人でもあります。

そんなワタナベマホトが事件を起こし活動を休止するそうです。

「事実」と「伝えられた事実」は本当に同じか?

今回の件で思うのは、「事実」と「伝えられた事実」は同じじゃない場合もあるから、僕らは疑う力を持たなければならないということ。

報道で伝えられていることのすべてが事実だとするならば、暴力というのは許されるべきじゃないし、ファンや立場のことを考えても、彼が取った行動は軽率だったと思う。

ただ、伝えられていることのすべてが事実だとするならば。です。

僕らは報道を通じて事実を知ることになります。言い換えるなら、報道を経由した事実を知ることになります。もし万が一、ここに何らかの情報操作があったとしても、僕らはそのことを知ることも、捻じ曲げられた向こう側にある事実も知ることができません。

報道のすべてが、事実のまま、ありのまま、僕らに伝えられていると思いますでしょうか? 僕は思いません。

じゃあ、すべての報道を疑ってかかる、すべての情報を疑ってかかる必要があるかと言うと、結論、正しさを判断できる能力を養うことと、正しく判断するための情報は常に身につけておかなければならないと感じています。

それこそ、疑う力、です。

世の中には、たくさんのシガラミがあります。力を持った組織もありますし、情報を隠蔽したり捻じ曲げたりする力を持っている存在もありますよね。そういった力がどこで作用しているか分からない以上、すべてを信じるというのはリスクでしかないと思うわけです。

もちろん、そういった力は悪の存在だけじゃありません。僕らが正義と信じて疑わない存在ですら、そこに不利益がもたらされる場合には、情報を操作することだって普通に考えられます。

ただ、疑う力を持たない限り、突きつけられた情報を真実だと思う以外の選択肢が浮かびません。そういった人が多数を占めるなら、計画的に扇動することだって容易なことでしょう。

今回のワタナベマホトの事件については、僕らが本当の事実を知る機会はないかもしれません。報道されたことのすべてが事実だという可能性も、もちろんあります。

ただ、それが歪んだ情報だったとしたら……。

ファンじゃない人たちは彼を叩き、ファンたちの一部は彼のファンをやめ、ファンを続ける人たちも、実に肩身の狭いを思いを強いられるはずです。

それって悲しすぎますよね。

揺るぎない信用を勝ち取ることの重要性

それが人気商売ってものだから。それは有名税だから。もちろんです。多くの人の前に立ち、人気を集め、その支持の上で生きている有名人としては、悪評は致命的。その後の活動にも大いに支障をきたすことでしょう。

だからこそ、「人気」が生命線である生き方をしてしまうと、足元からガラガラと崩れてしまうリスクと常に隣り合わせである、とも言えます。SNSが主流の今の時代では、そのリスクは圧倒的なスピードで肥大化し、すべてを飲み込んでしまいます。

自分は誰の信用を得て、自分のどの部分に支持を受け、それが自分の評価や対価に結びついているかは、常に考えておかなければなりませんね。揺るぎない信用を勝ち取ることがいかに重要か、ということです。

疑う力が不可欠なのは報道だけに限りません。会社に勤めている人たちは、もちろん会社に対しても。当たり前のように支払っている税金や年金についても。権威ある人がテレビで喋っていたからと言って、それらすべてが事実とは限らない。自分自身で見極める力は身につけておきたいところですね。

誰かに扇動されることのないよう。事実を知らないがために、理不尽な損をしてしまわないよう。疑う力で真実を見つめたいと思います。

堀江貴文著『疑う力』の書評も書いていますのでぜひ。

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