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”感情のカテゴリー化”は心の負担をかなり軽くする。

心と頭に分厚いフィルターをかけてくる「ストレス」

現代社会に蔓延る悪魔であり、人の命すら奪うこともある厄介者「ストレス」。
ほんの百数年前まで、ここまで酷く悪質なこれはなかったと言われる。まさに現代を代表する病の根源である。

周囲の視線、身内の圧力、職場の上司の一言。
360度見渡せば、ストレスのない場所などないほどに、当たり前の存在となってしまった。

脳科学的見地で言えば、人間は、ストレスや不安、怒りを覚えた時、この”モヤモヤ”が何者なのか、実ははっきりと理解できていないらしい。だから、「自分が何故不快な状況なのか、わからないけど不快で、不快だけどどうしていいかわからない。」と、本能が悲鳴をあげるのだという。

この状況に晒され続けると、無条件で一方的に襲い続ける”モヤモヤ”と”不快”に心を蝕まれ、仕舞いには体にまで悪影響が出る。

多くの現代人が立ち向かわなければならない、向き合わなければならないが、どうしていいかわからない。そんなとても恐ろしい存在が「ストレス」なのである。


最大の脅威には、最大の武器で立ち向かい、向き合い、味方にしてしまおう。

この「ストレス」に対して、唯一対抗できる武器がある。
人類がここまで発展してきた所以である、最大の武器『 言語 』である。

ストレスを受け、不快な感情が芽生えた時、人間の心と頭は、
「すごく不快だが、何がどう不快なのか、この感情は何なのか、どうしたらいいのかがわからない。」という状態に陥っている。
自分では感覚的に「イラつく」とか「ムカつく」、「悲しい」と感じていても、実のところ心と頭の奥底では「よくわからない」となっている。

よって、ここで登場するのが『言語』であり、それを補助する紙と鉛筆である。

上司から理不尽なことを言われ、嫌味満載な捨て台詞を吐かれたとする。
それを受けて、湧き上がる感情。これは大方「悔しい」「怒り」「憎い」といったものであると考えられるが、これらを紙に書き出し、整理するイメージだ。

「仕事を精一杯行ったのに、先輩が「〇〇」と言ってきて、とても悲しいし、あいつが憎い。怒りを覚えた。」

と言った感じで、出来事をカテゴリー分けする。こうすると、人の心と頭の奥底で、
「ああ、私はAさんに「〇〇」と言われたことに対して悲しく憎く怒りを覚えているのだな。」
と理解し、”正体不明の不快の塊”を明瞭化することができる。

この明瞭化が大きく心と頭の負担を軽くする。『敵が何者か分かりきっている』ということほどの安心材料は他にない。

よって、朝、昼、仕事終わり、夜寝る前、仕事が一区切りついたタイミング、勉強が一息ついた時、でも何でもいいので、紙と鉛筆を持ち、思考を明瞭化する時間を設けることが、心と頭を助けることになる。

時間にしてほんの3〜5分ほどで良い。しばらく字を書いていると、頭が唸るように働き、情報を整理整頓しているかのような反応を示すのがわかるはず。

ちなみに、感情の言語化は、言葉のレパートリーが多様なほど良い

”怒り”と一口に言っても、その実遙かに繊細で多岐にわたる感情である。ならば、「胸糞悪くなった。」「はらわたが煮え繰り返りそうになった。」「呆れてものも言えなくなった。」「頭がぐわんぐわんするほど苛立った。」など、怒りのディティールをより繊細にするのだ。

自分が普段使っている言葉でいい。多様な表現が効果を増幅させる。

また、書いているうちに意外なことがわかる。
大抵の場合、やられたことは大したことはない。むしろ簡単に考えれば、なぜこんなにも心のエネルギーを消耗してしまったのか、馬鹿馬鹿しくなるほど些細な問題であったりする。それに気づきやすくなるのである。

そうすると、「ではこうすればいい。」とか、「次からこうしよう。」といった、対策が練れる。これが思いの外強力で、同じような被害に遭うことを避けることにもつながる。それはダイレクトにスキルアップになるのだ。つまり見方を変えれば、ストレスは自身の人格向上の味方にできるということ。

定期的に、紙に向かってたったの数分思考を書き出す。人に見せないようにすれば、どんなに汚い言葉を使って上司を罵ったってかまわない。”正体不明の不快の塊”を、自分の言葉でやっつける。なんなら味方につける。

人類最大の武器を使って、人類最大の脅威を味方につける。

よくよく考えてみれば、実に人間らしい営みではないか?


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