「時松先生とわたし」

『山村クラフト』著者である時松辰夫先生は、卓越した木工デザイナーであり木地師、そして指…

「時松先生とわたし」

『山村クラフト』著者である時松辰夫先生は、卓越した木工デザイナーであり木地師、そして指導者でした。 「時松先生とわたし」は、時松先生の考えの本質を共有することを目的として、それぞれの作り手が時松先生から何を学び、大切にし、受け継いでいるのか、日頃語ることのない作り手が語る場です。

マガジン

  • 時松辰夫氏の仕事

    時松辰夫氏について語られた記事をまとめました

  • どま工房特別展「オケクラフトの育ての親 時松辰夫展」のご案内

    どま工房 特別展 「-オケクラフトの育ての親- 時松 辰夫 展」開催のお知らせです。 オケクラフトの育ての親であり、今年1月に逝去された「 時松 辰夫 氏 」の特別展が開催されます。 場  所:どま工房 期  間:令和3年5月8日(土)から5月31日(日) 開館時間:午前10時から午後4時 定期休館:火曜日・水曜日 お問い合わせ先 オケクラフトセンター森林工芸館TEL:0157-52-3170FAX:0157-52-3388 〒099-1100 北海道常呂郡置戸町置戸439-3 入館料無料 ご来館の際には、感染対策として、マスク着用・手指消毒にご協力ください。

最近の記事

エピソード10

大分県湯布院 miko aetas 代表 江藤三代子 私は湯布院に嫁ぎ縁あってアトリエときに面接に行きました。 先生から3日間来てみて良ければ勤めなさいと言われ、私は今までやった事がなく、こんな仕事があるんだなと新鮮で楽しくて行くことにしました。 初日先生から工房の説明を受けた時「工房には風の神様が居るから、どういう風に仕事をすれば埃を吸わないか風の方向を考えて仕事をしなさい」と言われ、工房って神聖な所なんだなと思いました。 しかし行き始めて数ヶ月で家族が病気になりす

    • エピソード9

      静岡県 伊豆市 ありしろ道具店 有城利博 初めまして。私は静岡県の伊豆半島で「ありしろ道具店」として木の器やカトラリーを製作している有城利博と申します。NPO法人 伊豆森林夢巧房研究所に研修生として入所し、約7年ほど時松先生から学ばせてもらいました。NPO法人解散後に、その時在籍していた私を含めて3人でシェアする形で工房を譲り受け、それぞれが独立して活動を続けています。 実は、研修生になる前は時松先生の事を知らず、見学に訪れた時もまだ研修生になる事を迷っていました。その見

      • エピソード8

        北海道音更町  どんぐり工房 熊谷俊治 時松先生に初めて間接的に褒められた事は今でも鮮明に覚えています。 先生が帯広に指導に来られて一年程経った時、何か作ってみなさいと言われて作ったイギリスもどきのスモーカーズボウでした。 作り方も分からず取り組んでから2ケ月来る日も来る日も試行錯誤、ようやく出来上がり先生にお披露目。 可なりの高評価を期待しつつ、先生 (ほ〜ぅ)座って(狭い)背の角度(大きすぎかな)腕木の先端(手が休まる遊びがない)その後モチーフはコンセプトはと一通り詰め

        • エピソード7

          大分県 飯田高原 grow 後藤文生 あの日からがあっという間で 出会って衝撃を受けた 19 歳 初対面の 1 時間ほどの会話から 言われたことのない厳しい言葉の中に今までこんなこという大人はいないなと思いながら 「今うちも 4 人教えてるから雇う余裕がない」と言われつつも 同郷という共通点がよかったのか 話の最後に「趣味やこれで食べて行く気のない人には教えない でも本気でやりたいなら明日から来なさい」 このご縁から木の世界へ入って 17年という年月が経ちました

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          3本
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        記事

          エピソード6

          岡山県岡山市 木のスプーンゆきデザイン工房 岡本友紀子 時松先生の美しいスプーンのデザインと、どんな樹でも活かして使う哲学に惹かれて、2015年春から時松辰夫先生の教えを受けてきました。 湯布院のアトリエときデザイン研究所の研修生として始まり、その後独立してからは地元岡山の工房で指導を受け続けてきました。工房にお越し頂いた数は十数回、毎回手弁当で指導をして下さいました。その間にも手紙、FAXなどの数々のやりとりでデザインの細部について教えを受けたことは私の一生の宝物です。そ

          エピソード5

          愛媛県内子町 うちこ山村クラフト研究所 主任指導員 加藤毅 時松先生とわたし「失敗することがあなたの仕事」 今年1月3日に時松先生が逝かれて5カ月が過ぎようとしています。 まだ5カ月… もう5カ月… 敬愛の名のもとに甘えさせていただいていたことを痛感し、産声を上げたばかりのうちこ山村クラフトが、また自分自身がどう進んでいけばよいのかを模索する日々の中、直面する場面場面でより鮮やかに甦ってくる先生の言葉が数多くあります。 時松先生が僕にとってどんな存在であったかを一つの文

          エピソード4

          愛媛県久万高原 甲斐工房  甲斐義裕 今から27年前、大分県の父の友人の紹介で「アトリエとき」で研修させていただく事になりました。 当時19歳だった私は、愛媛県の山の中で育ち、ほぼ世の中を知らない状態だったと思います。 私は時松先生の事も全く知らず、今思うと「何も知らない若者をよく受け入れてくださったなぁ」と先生の大きさを感じます。 研修初日に、先輩の研修生やときのスタッフの方々に、先生が私の事を紹介してくれました。その時の言葉は「この人は山の中から出て来て、何も知らんサル

          エピソード3

          大分県九重町 家具と木の器 TODAKA WOOD STUDIO 戸髙朋子   木工が縁で今の夫(家具職人)とも知り合い、子供二人にも恵まれ、私の今の生活はすべて「アトリエときデザイン研究所」からスタートしました。   きっかけは20代半ば、海外でのウッドターニングの体験でした。木くずが生き物のように飛び出し、塊からでてくる木のボウル。木くずもボウルも美しかった。ロクロという道具の名前も知らず、ただもう一度やってみたいという単純なものでした。   クヌギの木立をくぐってお店

          エピソード2

          大分県湯布院  匙屋〜甲斐のぶお工房    代表 甲斐暢夫 アトリエときで修行(?)を始めたのは1996年…だったか。あるいは1993年? 自分の歳さえも忘れている。自分がこの仕事を始めて何年になるのかも分からない。 まだ数年のような気もする。 僕の父、治夫は1960年初頭に「クラフト運動」に共感し、作り手として活動を始めました。 当時、産業工芸試験所はデザインや工芸の振興に力を入れており、若き時松先生はその産工試の職員として父と行動を共にする事もあったようです。 そんな

          エピソード1

          北海道音更町  どんぐり工房 熊谷俊治 時松先生の思い出より。 第2回の画家さんとのコラボ展示を通じ、画家さんより多大なる影響を頂きましたし、時松先生曰く、「感覚的な事は個性が強いほど人様との協調を嫌がるものだが途中半端な者ほど人様とのコラボが必要だ!」を実践と成りました。 コラボの中で正に此れだ!と思える事が何点かあり、得るものも多々有りましたし、先生の言われていた事が的中しました。 恥ずかしながら「先生!どこ迄行くと完全と言えるのですか?」の問に「あんたがそうは思

          エピソード0

          「時松先生とわたし」は、令和2年12月にFacebook上で始まりました。 令和2年12月からこれまでの投稿文については下記Facebookよりご覧頂けます。↓ Facebookでも引き続きエピソードを当noteと同様に発信し、Facebookでも、当noteの「時松先生とわたし」でも、どちらでも同じ内容をご覧頂けるようにしますので、今後とも宜しくお願い致します。

          「時松先生とわたし」事務局よりご挨拶

          令和3年1月3日 時松辰夫先生が逝去されました。 時松先生がこの世にもういないのだと考えるだけでその不在を淋しく悲しく感じます。 時松辰夫先生は、卓越した木工デザイナーであり木地師、そして指導者でした。 技術を伝えることで作り手が自立し、作り手が地域に貢献できるように全国で後進の育成に尽力してこられました。相手が100人いれば100通りの言葉と教え方でそのすそ野を広げてこられました。 「時松先生とわたし」では、時松先生の考えの本質を確認し、共有することを目的として、そ

          「時松先生とわたし」事務局よりご挨拶