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エピソード4

愛媛県久万高原
甲斐工房  甲斐義裕

今から27年前、大分県の父の友人の紹介で「アトリエとき」で研修させていただく事になりました。
当時19歳だった私は、愛媛県の山の中で育ち、ほぼ世の中を知らない状態だったと思います。
私は時松先生の事も全く知らず、今思うと「何も知らない若者をよく受け入れてくださったなぁ」と先生の大きさを感じます。
研修初日に、先輩の研修生やときのスタッフの方々に、先生が私の事を紹介してくれました。その時の言葉は「この人は山の中から出て来て、何も知らんサルと一緒や」と言われ頭にきたのですが、何も知らないのは本当なので何も言えませんでした。
それからも、「はい」という言葉以外言うな!、これだけは絶対に守れと五つの約束事を言われました。(この内容は長くなるので省略します)
我慢強さのない当時は、一ヶ月程約束事を守ってみましたが「木工とは関係ないや」と勝手に思い、全部約束を破ってしまいました。
それからの研修期間、先生と私の関係は、良好とはいえなかったと思います。
改めてこの文章を書きながら、先生は私と初めて会った時から、私の木工に対する覚悟の弱さや、人としてとても未熟で幼い部分を見抜いていたんだと思います。
あえて強い言葉や厳しい約束事を言ってくださったんだと思うと、あの時もっと素直になっていればと、後悔しています。
それでも二年間、先生は私と向き合って指導してくれました。
ロクロに触る事はほぼなかったのですが、先生は何度も、掃除が大事だと教えてくれました。前庭の草むしりや、工房のエアーを使っての掃除。その中でも印象的だったのが、トイレの便器の掃除でした。
自分が用を足した後、毎回便器をきれいにしなさい、という教えでした。「こうするんや」と先生自ら便器をていねいに手でこすって洗いました。最初は「自分に対する嫌がらせかな」と思ったのですが、毎日便器をこすっているうちに、無意識で便器をこするようになりました。こするとツルツルになる感触も、きれいになったと気持ちよくなってきました。
ある日、私がトイレをこすっているのを見た先生は、「あんた良くなってきたね。大事なのは繰り返して習慣化する事や。習慣化すると頭で考えなくても、体が動くようになる」と言われました。とても大切な教えでした。

アトリエときの研修が終わり、十年程過ぎた頃に、地元の役場の方から「時松先生が講演会で来られますよ」と連絡をいただき、お会いしに行きました。  
講演会を聞いた後、先生と話しているうちに「時間があるから、あんたの所へ行こう」という事になりました。
両親と先生とで食事をしました。とても楽しい時間でした。食事の後「今はどんなモノを作ってる?」と聞かれ、取っ手付きマグカップなどを見ていただきました。
「あんた、おもしろいモノを作るようになったね」とニコニコ顔で言っていただき、とてもうれしかったのを覚えています。
時松先生が繰り返し教えてくださった言葉は、私の心と体に染み込んでいます。
その一つ一つの言葉は、アトリエときの塗装室だったり、工房だったり、お茶飲みの時間だったりで、その時のシーンの映像と一緒によみがえります。

27年前の研修期間中に、日田市の駅前の楠の木を見に行きました。その木は、時松先生が日田市の工業試験所の役人をされている時に、道路工事でこの楠が切られるのを、私財を投げ打って守られた、という話を聞いたからです。青々とした立派な楠の木達を見ながら、木を守るため、ここまでできるなんて、とても真似できないと思いました。
先生の木に対する思いや、教えを胸にこれからも、一つ一つの仕事に精進していきたいと思います。
時松先生、本当にありがとうございました。


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