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カメラ遍歴

写真家は、カメラのことなど、どうでも良いと思っている。

「道具じゃない、気持ちだ」なんて、ばりばりの精神論、こてこての体育会な写真スタイルを実践する人が今でもまわりにいるだろう。でもそれも案外嫌いじゃない。むしろ、写真に”情”を導入することは、日本的写真のひとつの特徴であり、ヨーロッパやアメリカのアカデミックな文脈ではまず考えられないことだから、始めて日本の写真に触れる外国人はまずそこに驚く。「え、写真って、気持ちで撮っていいんだ」と。

とはいえ、そのような「カメラなんて気にしない。機材なんてどうでも良い」と考えている作家気取りの撮影者は、案外、機材にこだわっていたりする。もうひとつ踏み込むなら、機材のことを気にしなくなるほど、機材に詳しくなり、写真機との親和性を高めてこそ、自由に写真が撮れるものではないだろうか。

それは撮影にも同様に言えることで、写真道を行き進むプロフェッショナルは、ここで絞りはいくらでレンズは何ミリで何てことをいちいち考えない。考えていては、その場の光を読み損ねるし、被写体が人物の場合、一瞬の表情や感情を逃してしまう。基本動作は身体化させてこそ、現場に集中でき、ようやく写真が”撮れる”のだろう。

そんなわけで、今まで「カメラは別に好きじゃない、写真が好きなんだ」と公言してきたトキマルタナカ、10年間のカメラの変遷を記録も兼ねて、眺めてみようと思う。

いや嘘やん、お前、むっちゃカメラ好きやん。と思ってくれたら嬉しい。自分でも自覚はしているが、気になるものは自ら使ってみないと気が済まないタチだし、単純に飽きっぽいのだ。改めて思う。

プロローグ

学生時代、人類学専攻でインドネシアや沖縄や奄美大島やらにフィールドワークに行っていた。その時は心の中のほとんどを音楽が占めていて、写真のシャの字も無かった。記録用に使っていたカメラはLUMIXのコンパクト。しかし思えばこの時から、写真は始まっていたのだと思う。現在でもライカレンズを積んだルミックスは、なかなかハイエンドな機種を多発していて、フランスのファッション誌パープルの編集長オリバー・ザムなんかが使っている。色乗りがよく、キリッと写る。何より小さいのが旅にはもってこいだね。

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HongKong, 2012 by GR3 ©tokimarutanaka

はじまり

2009年頃上京して広告会社で働くことになって、運が良いのか悪いのか、住んでた家の近くに今にも潰れそうな小さな写真屋があった。

何気なく入ると、中古で銀色のNikonFEが棚にぽつんと置かれていた。5000円くらいでそいつをその場で買って、そこから写真を撮る日々が始まった。50mmレンズが付いていた。その後すぐに、その写真屋は潰れて閉店してしまったのだけど、思えばもう少しタイミングが遅ければ、僕は今頃、写真をやっていなかったかもしれない。ファインダーを覗く高揚感と、マニュアルレンズのトルク感が懐かしい。一昔前の写真学生が、学校で買わされるような入門機種でもある。絞り優先オートAEで、必要最低限。フィルムはモノクロとリバーサルが中心だった。

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Kichijoji, Tokyo 2009 by Nikon FE ©tokimarutanaka

ニコニコNikon

写真のことが頭から離れなくなって、そのまま運良く写真事務所に入ることができて、修行時代が始まった。その会社の機材がNikonだったので2010年頃からはしばらくニコンばかり使っていた。ちょうどデジタルシフト期で、まだ暗室もやっていたので、朝から晩までモノクロをプリントしたり、ロケで日本中いろんなところに行ったりした。最初に与えられたデジタルは、ニコンD200、そこからD300s、フルサイズになってD600と順に使った。ニコンはストロボのTTLがすごく良くて、そのあたりに報道母体で発達してきたカメラの真意を感じた。

同時にFUJI GW69でもよく撮っていた。レンジファインダーの中判カメラで、35mmをそのまま大きくした比率で写真が撮れる。アラーキーもよく使っていた。当時は、シンプルすぎて何の面白みもないカメラだなと思っていたけれど、今はその良さがわかる。むしろ機会があれば使いたいカメラだ。

大判を最初に使ったのもアシスタント時代だった。トヨフィールドという、弁当箱みたいにコンパクトに持ち運べる4×5フォーマットのカメラだ。暗室でフィルム詰めたり、皿現像したネガをいつも思い出す。4×5のベタ焼きは今見ても惚れ惚れする。アウラってこれだよね、って分かり合える人に言ってみたい。

会社機材はNikonだったので、自分ではCanonを触ってみようと、なけなしの給料で5Dm2を買った。それから仕事では随分活躍した。(これは同時代のカメラマンの共通認識だと思う)5Dは写真を均一化したし、フィルム駆逐にとどめを刺す形で、マーケットを広げ、仕事の単価を下げた。”5Dのせいだ”というネガティブな語り口ではなくて、そんな時代の変遷の中心にキャノン5Dがいたということだ。

それから今まで、5Dm3、5Dm4と使って、EOS 6Dをサブ機として持っている。仕事カメラの基本システムとして、常に側にあるカメラとなった。

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Nagano 2010 by D300s ©tokimarutanaka

フィルムカメラ偏愛

仕事カメラは5D系。しかし、日々持ち歩くには重くて大きすぎるということで、コンパクトを多用するようになる。2010頃はライアンマッギンレーや、サンディキムといったような35mmで撮るフォトグラファーばかり追いかけていた。日本でも奥山由之さんなんかが、2011年に写真新世紀を受賞する前で、まだプライベートなスナップ写真を個人のブログにバンバン掲載している時だった。僕は彼が有名になる前から、ブログでそのような写真を見たり、米国写真家との共通項を認識しながら、何度目になるかわからない”フィルムブーム”の前触れを肌で感じていた。

モノクロはやっていたけれど、コンパクトで、しかもカラーの35mmで撮りたくなり、contax T2を新宿の中古カメラ屋で購入。(この頃はまだ8000円くらいでゴロゴロ売られていた)ツァイスレンズとコダックの組み合わせで現れる色乗りにやられる日々が続く。大雨の日に撮影していて水没させて動かなくなりご臨終。

それからヨーガンテーラーの影響でcontax G2を導入した。「おれはヨーガンにはなれない」と気づいた後は、「ヒロミックスやアラーキーにはなれるかもしれない」と浅はかな思いから、Big miniFを導入。もちろん、アラーキーにもヒロミックスにもなれなかったんだけど、使いやすさにすっかり魅了されて、これまでに3台のビッグミニを使うことになった。

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Taiki 2013 by Big mini ©tokimarutanaka

中判カメラとコンパクトデジタル偏愛

2013年頃、事務所を卒業するくらいのタイミングで先輩よりMamiya RBを譲っていただき、中判時代へ。デビッドシムズやアラスデアマクレランたち、ロンドンのファッション写真家やアレックソス等、米国ニューカラーへの憧れもあった。日本でも、川内倫子さんや市橋織江さんなど、なぜか中〜大判を使うコンテンポラリーな写真家が目立っていた。

ラージフォーマットへ行ってはみたものの、機動力の低さがどうしてもしっくり来ず、またすぐにコンパクトへ戻ることになる。その間、師匠に譲り受けたハッセルブラッド500C/Mと、コンタックス645も使用した。いずれも名機と呼ばれがちなカメラ。昨今のデジタルにはない、プロダクトとしての完成度の高さもさることながら、6×6や645といったフォーマットも学ばせてくれた。

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Hikari, toilette 2015 by Contax645 ©tokimarutanaka

大きなフォーマットの反動か、同時期にシグマのコンパクトカメラをよく使っていた。DP2初代を買った2010年頃、それ以来フォビオンセンサーに魅了され、DP2 Merrillでその進化に更に驚いた。その後しばらくして、レンズ交換式フォビオンセンサー搭載のSD Quattroが登場し試したが、こちらはなぜかキレキレすぎて、かつ中判みたいなサイズ感であまり好きになれず。またメリルが使いたくなってつい最近、2017年になってDP1 Merrillを購入。買ったり売ったり。これはもう病気のようなもので、業界では「ドナドナ」と言う。(ドナドナという子牛が売られる歌からきている)

DP系はシグマによるセンサー革命であり、今でも唯一無二のカメラだと思う。

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Paris 2012 by DP2 Merrill ©tokimarutanaka

プロジェクトでGR

2011年、吉祥寺に住んでいて、震災が起きて、地下の部屋で一人で生きるのが怖くなって、ユースカルチャーな写真を捨てきれない若気の至りのようなものもあり、友人がいた新宿のシェアハウスに転がり込んだ。人が恋しかった。もっと人を撮りたかった。転がり込むと同時に勢いで買ったカメラがリコーのGR3。コンパクトでフラッシュのついた機動力だけのカメラが欲しかった。ハウスに住んでいた頃は住人や、そこに集う人間の写真をGRだけで撮り、数千枚の写真は一冊の作品に帰結した。

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book “snack AKI” 2012 by GR3 ©tokimarutanaka

やっぱり35mmカメラが好き

シェアハウスを出て2012年か13年頃、Fujifilm x100sが発売された。ライカライクのレンジファインダー。コンパクトデジタルカメラだ。機構が何より新しかった。僕が写真を始めた頃から夢想していた機構だった。その当時は基板やセンサーサイズの制限で、このようなデザインでデジタルは絶対に成立しないと言われていた。それから僅か三、四年。テクノロジの進歩は想像よりも早く、思ったことは案外実現できて、実装されうると体感した瞬間でもあった。後継のx100fは、見違えるほど中身が進化していて、このシリーズのひとつの完成形に思えた。x100fの活躍と想いはこちらで詳しく書いている。

同時にフィルムでも撮影を続けていた。30歳になる前の年にLeicaMPを買った。2014年くらいだ。35mmの真髄を体感し、全てここにある完成形だと思った。これだけあれば良いと思えるカメラだった。ミニマリストと相成って、ライカMP以外のカメラを全て処分した時期もあった。(バカだなー)2017年の半ばに、完全デジタルへ移行するまでひたすら使用した。

仕事写真や、写真そのものに対する考え方の変化により、2017年半ばにフィルムでの撮影を辞めて、機材共々完全デジタルのワークフローに移行した。

M型のデジタルに切り替えようとしたが、MPによりなんとなく使用感が見えてしまっていたので、LeicaQを使ってみることにした。ミラーレスなんだけどライカ的なエッセンスが入っていて、なかなか楽しいカメラだ。(LeicaQの記事はこちら)

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Tokyo 2017 by x100f ©tokimarutanaka

これからの写真

写真家の鈴木心さんが、とあるインタビューでこう言っている。

マチエールに依存した表現というのは、撮るという本質とは別の段階の話だと思います。撮るという写真の本質はむしろ制限や趣向性など必然的ではなく、純粋「撮る」ための環境はむしろデジタルにあるのではないかと思います。

これは僕が常々考えている、写真の身体性と切っても切り離せない事柄である。心さんは2011年の震災を機に、完全デジタルへ移行した写真家のひとりだ。現在はソニーαを絶賛中。

そして、奥山由之さんが、とあるインタビューでこう言っている。

フィルムとデジタルは、僕の中では全く別物です。卓球とテニスくらい違う。

偶然同じタイミングで触れたこの二人の言葉が、最近は何かと引っかかっている。
時代によって表現も変わるし、テクノロジーによって人間の生活もカメラも変わっていく。

カメラが変われば、写真も変わる。

僕たちは、様々なカメラを実際に試すことのできる時代と国に生きている。

この稀有な過渡期を楽しみながら、写真について考えることができるのはとても嬉しい。

これからの写真はどうなっていくのか。(個人的にも、社会的にも)

僕はその実験を続けるために、最近また新たなカメラ(Leica M10-D)を入手した。

これまでに使用したカメラ目録

だいたい時系列で。

Lumix
Nikon FE
Nikon D200
Nikon D300s
Nikon D600
Fuji GW69
Toyo view field
Contax t2
Contax G2
Konica Big mini F
Canon 5Dm2
Canon 5Dm3
Canon 5Dm4
Canon 6D
Ricoh GR3
Mamiya RB67
Hasselblad 500C/M
Contax 645
Sigma dp2
Sigma dp2 merrill
Sigma dp1 merrill
Sigma SD Quattro
Leica MP
Fujifilm x100s
Fujifilm x100f
Leica Q
Leica M10-D

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