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ビジネスを続けるためにフォトグラファーたちは何を考えているのか?職業としての写真家について。

こんなツイートをした。

今日はその意図するところを書いてみよう。

近年、というかいつでも世の中は大きな変化を迎えている。IT技術は指数関数的に進歩し、新しいビジネスモデルやサービスが続々と誕生している。一方で、長年続いてきた会社が倒産したり、存続が危ぶまれるような状況に陥っているという報道もよく目にする。実際、会社なんて30年、とは言わず10年存続しないものが8割くらいだ。

このような状況下で、どのように生きていくかを考える。いつも考えている。あらゆるものは一過性のものであると考え、小さくいかに個人として生きるかを模索している。この考え方に共感する人は意外にも多く、その中には同じくフォトグラファーという職業に携わる人もいる。

フォトグラファーは、その名の通り写真を撮ることを生業とする人たちだ。しかし、彼らが追い求めるのはただ美しい写真を撮ることだけではなく、自らの活動に持続可能性を持たせること。同じような写真を撮り続けていてはいけないという考えもあれば、逆に変えないことを信条とする人もいる。僕はどちらかと言えば常に変化し続けることを意識しているように思う。

なぜ、フォトグラファーたちは持続可能性を重視するのか。それは写真という表現方法が、一過性のものであるということに関係している。写真は瞬間を切り取ったものであり、その瞬間を再現することはできない。再現できる状況もあるが、その場合、果たして写真という表現方法である必要があろうか。また、写真が切り取った瞬間に存在した環境や人々の思い出も、時間が経つにつれて変化していく。

そこで、フォトグラファーたちの多くは写真を撮るだけでなく、その写真を通じて人々の思い出や環境を残すことを目的としているように見える。その先にさらに派生するコミュニケーションがある。その時、もはや写真は介在しない。彼らが追い求めるのは、単に美しい写真を撮ることではなく、その写真が長く愛され続けることなのだ。しかしこれは多くの場合、撮影者の意図とは関係なく、周囲の評価によってもたらされる。現在、各国の美術館や、教科書に残っているような写真はおそらくそういう類の写真だろう。

反復するが、フォトグラファーたちは常に変化し続けることを意識している。同じような写真を撮り続けていたら、飽きられてしまい、需要も減ってしまう。

新しい技術やツールを積極的に取り入れることで、写真表現の幅は広がる。例えば、最近ではスティーブン・ショアがやっていたように、ドローンを使った空撮写真が風景写真を超えたトレンドとしてある。AI技術を活用しての修正や加工がより正確かつ迅速に行えるようになってきている。Adobeのオートセレクトや、オートマスク、フィルターサジェスチョンなどはその一例だ。

誰もが新しい技術やツールを積極的に取り入れることで、常に変化し続けようとしている。それは自分の写真に、自分で飽きることに恐れているようでもある。

また彼らは、自分たちのビジネスモデルを見直すことも常に行っている。単に写真を撮るだけでなく、その写真を活用する場面を増やすことで、自分たちのプレゼンスを高めるのだ。例えば、ブライダルフォトグラファーは、写真集やウェブサイトを活用することで、新郎新婦の思い出を残すだけでなく、自分たちの仕事をアピールする。これはあらゆるジャンルのフォトグラファーに言える。クライアントに納品すると同時に、自らのメディアに露出してフローさせ、ストックすることで、セルフブランディングを同時に行う。これはSNS時代に特有だ。

時に自分たちが得意とする分野に特化することも重視する。例えば、風景専門のフォトグラファーは、旅行雑誌や地図会社など、風景写真が必要なクライアントに対してアプローチするが、突然ファッションを撮ったりしない。得意分野に特化することで、ビジネスモデルの確立を早めるが、そこには垣根を超えて仕事を行き来できないリスクを常にはらんでいる。

常に変化し続けようとしていることは、写真という表現方法が一過性のものであることを考えると、当然のことかもしれない。だが、ただ単に変化するだけでなく、自分たちの撮る写真が長く愛され続けるような取り組みを積極的に行っているということだ。持続可能性を重視することで、長年にわたってビジネスを続けられる。

村上春樹が「職業としての小説家」の中でこう言っていた。

”リングの上に上がるのは簡単でも、そこに長く留まり続けるのは簡単ではありません。小説家はもちろんそのことをよく承知しています。小説をひとつふたつ書くのは、それほどむずかしくはない。しかし小説を長く書き続けること、小説を書いて生活していくこと、小説家として生き残っていくこと、これは至難の業です。普通の人間にはまずできないことだ、と言ってしまっていいかもしれません。そこには、なんと言えばいいのだろう、「何か特別なもの」が必要になってくるからです。”

職業としての小説家
村上春樹

この文章において、小説は写真にそのまま置き換えられる。


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