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163回芥川賞選評読んでみた



羽田椿です。


第163回芥川賞の選評を読みました。

候補作はまだ読んでいません。なのに選評を先に読んでしまいました。

結果的に、五作全部読んでみたくなったので、よしとしようと思います。

この記事では、各候補作のあらすじ、選評の概要を紹介します。

特に印象に残ったものは部分的に引用しますが、それで全体がわかるというものではありません。

選考委員

まず、選考委員は以下の九名の方々。それぞれの芥川賞受賞歴も書いておきます。


小川洋子さん
1990年『妊娠カレンダー』で受賞。
レビューのような選評で、五作品とも早く読みたくなりました。

奥泉光さん
1994年『石の来歴』で受賞。

川上弘美さん
1996年『蛇を踏む』で受賞。
五作品ほぼ均等な行数で選評を書かれています。内容は独特で、具体的な指摘ではなく、読んだ印象をある指標をもって抽象的に語られています。らしいなという感じです。

島田雅彦さん
受賞なし。六回候補にあがる。

平野啓一郎さん
1999年『日食』で受賞。
評価できる点とできない点をきっちり書かれていて、選評と、例えば感想の間にきちんと線を引いている感じがしました。選考や選評に対して意識的な方なのだろうと思いました。ただ内容が難しくて、理解できたか自信がありません。

堀江敏幸さん
2001年『熊の敷石』で受賞。

山田詠美さん
受賞なし。三回候補にあがる。
評価の高い作品に行数を割く委員がほとんどの中、この方だけは逆でした。もっとこうしなさいよ、というアドバイスに熱が入るタイプなのかもしれません。文章も「〇〇だよ。」と話し口調。きっといい人。

吉田修一さん
2002年『パーク・ライフ』で受賞。
指摘すべきところはして、候補者への期待を込めたメッセージもあり、バランスのよい選評だなあという印象。語尾が「ですます」なので柔らかい感じがします。作品や作者に対してほどよく距離をとっているように思いました。

松浦寿輝さん
2000年『花腐し』で受賞。
津島佑子さんのファンとのことで、『赤い砂を蹴る』の選評がぶっちぎって長かったです。そのうち三分の一くらいは自分語りで、私信でやってくれんかなというのが正直なところです。


以下、候補作のあらすじと選評の紹介です。

(注意)おそらくネタバレしていると思われます。

三木三奈『アキちゃん』

小学五年生の「わたし」が同級生の「アキちゃん」を憎むというストーリー。大嫌いだがアキちゃんから離れようとしない二面性が語られる。「わたし」は転校し、大学生になり友人から「アキちゃん」の消息を知る。(ニュースサイトから引用)

選評で目についたのは、「大変よくできました」「習作の域を出ない」「埒外に出られなかった」といった評価。

ちゃんと作品にはなっているけど、それ以上ではない、という感じでしょうか。

大学時代のパートが蛇足であるという意見も複数あった反面、小学生時代の描写を評価する声もあり、小川洋子さんは次点にあげています。

印象に残ったのは山田詠美さんの言葉。少し長いですが引用します。 

〈「昔の光 今いずこ」を重ね合わせて、安直でうすっぺらい物思いにふけったわけではない。それをしたのはもっとあとのことだ。〉(作品本文の引用)

小説って〈それ〉を手間暇かけて引っ張り出し、修復するものだと思う。その時、〈それ〉は別に描かれなくたって良いのだ。しかし確実に存在させなくてはならない。 

楽をするな、と言っているように思いました。うん。

他に、叙述トリックという手法がテーマと合っている、トランスジェンダーを主題として扱うならもっと正面から描くべき、という意見がありました。

読んでないからわかりませんが、トランスジェンダー云々については、それは自分が書くときにそうすればいいんじゃないかなって思いました。

岡本学『アウア・エイジ』

生き迷う男。謎を残して死んだ女。大学教師の私に届いた、学生時代にバイトをしていた映画館からの招待状。映写室の壁に貼られたままの写真に、20年前の記憶がよみがえる。(Amazonから引用)

謎解きとしてのお話の完成度は評価されている一方で、主題を埋没させているという指摘がありました。

また、ミスミという女性の登場人物について、「独自の魅力を放っている」「ミスミという女のつまらなさにやられました」と評価されています。しかし、後半、ミスミと母親の問題が話の中心となっていくのに、ラストでは置き去りにされているとの指摘もありました。

書き始めたときに作者が着地しようとしていた場所から、一歩でもいいので足を踏み外してほしいと思いました。(吉田修一)
後半になると姿勢がどんどん前のめりになり、着地点に合うよう言葉の歩幅を調整せざるをえなくなってくる。過度な偶然の連なりを薄めるために、ゴール前の距離を延ばすという選択肢もあったのではないか。(堀江敏幸)

石原燃『赤い砂を蹴る』

画家の母・恭子を亡くした千夏は、母の友人・芽衣子とふたり、ブラジルへ旅に出る。芽衣子もまた、アルコール依存症の夫・雅尚を亡くした直後のことだった。ブラジルの大地に舞い上がる赤い砂に、母と娘のたましいの邂逅を描く。(Amazonから引用)

各選考委員がさまざまな表現をしていましたが、素人が乱暴にまとめると、『まだ浅い』という感じ...かなあと思いました。 

複数の人物を描いている点は、その意欲を評価するという意見や、母親との問題をまっすぐ書かないための方法だろうという指摘がありました。

全体的に作者のポテンシャルを評価したり、今後に期待するようなコメントが多かった気がします。

石原燃さんは著名な作家の身内であることで話題になっていましたが、選評の中でその点に(濃淡はあるけど)
触れた委員は九名中五名でした。

わたしは創作者に「これって実体験ですか?」という質問をすることに否定的な方なので、公になる選評の中で、その点に全く触れなかった方々を好ましく思うし、選考に対する姿勢が垣間見えるような気がしました。

頭の中で考えるのは自由でも、自分に課された役割や立場によって、アウトプットの範囲を線引きすることは大事だと思います。程度の問題ではありますけど。

遠野遥『破局』

ラグビー、筋トレ、恋とセックス――ふたりの女を行き来する、いびつなキャンパスライフ。28歳の鬼才が放つ、新時代の虚無。(Amazonから引用)

(『新時代の虚無』はダサくないですか。今打っててちょっと恥ずかしかった笑)

「推した」「おもしろかった」「二重丸」と高評価。「新しい」「現代的」という言葉も目につきます。

この作品に他より多くの行数を割いている委員が多く、指摘よりも、作品に描かれていることを解釈したり、その結果に名前をつけたり、主人公の今後を予測したりしていました。

表現がそれぞれで、まとめることができないので、一番気に入った選評の一部を引用します。 

彼(主人公)は嫌味な男だ。にもかかわらず、見捨てることができない。社会に対して彼が味わっている違和感に、いつの間にか共感している。もしかしたら、恐ろしいほどに普遍的な小説なのかもしれない。(小川洋子)

高山羽根子『首里の馬』

沖縄の古びた郷土資料館に眠る数多の記録。中学生の頃から資料の整理を手伝っている未名子は、世界の果ての遠く隔たった場所にいるひとたちにオンライン通話でクイズを出題するオペレーターの仕事をしていた。ある台風の夜、幻の宮古馬が庭に迷いこんできて……。(Amazonから引用)

あらすじにあるような特殊な設定をリアルな空間に作り出した構想力を評価しているコメントが多いです。 

奇抜なユーモアに満ちた思考実験として第一級の作品と思う。(松浦寿輝) 
文学にしかできない冒険に読者を誘ってくれる。(山田詠美)

あと、作中で描かれる「孤独」について言及した委員が多かったです。 

高山さんはおそらく「孤独な場所」というものが一体どんな場所なのか、その正体を、手を替え品を替え、執拗に真剣に、暴こうとする作家なのだと思います。(吉田修一)

沖縄の描き方や舞台としての使い方がいまひとつ、複数のエピソードのつながりがつかみにくいなどの意見もありました。

紹介は以上です。

全体的に、ここが良くないという指摘はわりと具体的だけど、おもしろいものについては抽象的に褒めている気がしました。○○だからおもしろい、とは書かれていない。

おもしろい作品はなにかと解釈したり、それについて色々語りたくなるんだなと思いました。

わかるー。

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