国籍にまつわる不公平感

今回のテーマ:国籍

by  らうす・こんぶ


今回「国籍」をテーマにみんなでエッセイを書くことにした。日本に住んでいた時は国籍について改めて考えたことはほとんどなかったが、海外で暮らしていると否応なく国籍について考える場面に遭遇するからだ。

ニューヨークには戦火の絶えない国や政情が不安定な地域から難民としてやってきた人や、亡命してきた人も多かった。そうした人たちにとっては、母国を捨ててアメリカ市民となり、アメリカの国籍を取得するということが安定した生活を保証することになる。日本は少子高齢化が加速度をもって進み、経済的には凋落傾向にあるとはいえ、まだ大国なので、日本国籍を持つことによって受けるベネフィットは大きく、帰国しようと思えば帰国することもできる。でも、海外で暮らしていて帰りたくなったら帰る国があるということは当たり前のことではないのだ。

国籍って何?

国籍を考える時の視点はその人の立場や置かれている環境によって様々だろうが、私は自分が国籍に対して抱いている2つの疑問から考えてみたいと思う。その前に、そもそも国籍ってなんだろう。法務省のQ&Aで、「国籍とは,何ですか?」という質問に対して、下記のような答えが掲載されていた。

「国籍とは,人が特定の国の構成員であるための資格をいいます。
 国家が存立するためには,領土とともに,国民の存在が不可欠ですから,国籍という概念は,どこの国にもあります。しかし,どの範囲の者をその国の国民として認めるかは,その国の歴史,伝統,政治・経済情勢等によって異なり,それぞれの国が自ら決定することができます。このことから,国は,ある個人が他の国の国籍を有するかどうかまでは,決めることができません。」

国籍に関する私の疑問

国籍について確認したところで、私が国籍について抱いている疑問とは下記の2つ。

1)人々が国境を越えて移動したり仕事をしたりしている時代に、国籍はどういう意味を持つのか?

2)多重国籍は不公平ではないのか?

1)の疑問については、作家の村上龍さんがエッセイか何かで、なるほどと思う考えを示していた。それは、人も物も情報も国境を越えて移動する時代には、国籍は、自分にとっての心の故郷のような情緒的なよりどころくらいの意味しかなくなるのではないかという考え。正確には覚えていないが、そのような意味のことが書かれていた。

数十年前の日本人は日本で生まれて日本に住む人がほとんどだったから、日本国籍を持つことに疑問も感じないし、不都合も感じないですんだ。国籍とアイデンティティが一致していたから話は簡単だった。でも、人々が国境を越えて移動したり、住むところと収入が発生する場所が違ったり、国際結婚する人が増えてくると、国籍の意味がだんだん複雑になり、わからなくなってくる。

日本国籍を持つ両親から生まれた子供は自動的に日本国籍を取得できるから、極端な場合、生まれてから一度も日本に住んだことも訪れたこともなくても日本人(日本国籍を有する人)ということもありうる。だが、20世紀の感覚をまだ引きずっている私にはそういう”国籍”はピンとこない。やはり、母国と国籍、そしてアイデンティティーが一致していないと落ち着かないのだ。でも、これからはそれらが一致しない人たちが増えていく。となると、村上龍さんがいうように、国籍は何の公的な意味もなくなり、心の故郷的なものにならざるを得なくなっていくのかもしれない。

二重国籍(多重国籍)は不公平?

2)の二重国籍だが、ニューヨークにいた時、アメリカの市民権を取得した人たちの間から、しばしば「日本が二重国籍を認めないのはおかしい」と不満の声を聞くことがあった。でも、私はこれにあえて反論してみたい。

ある国の国籍を持つということは、その国の国民としての恩恵を受ける権利を持つと考えていいと思う。国際法的にはどういうことになるのかわからないが、一般的にみんなそう思っているのではないだろうか。それを前提(これを前提にできなければ、ここから先の私の話には意味がなくなる)にすると、複数の国籍を持つ人は複数の国からの恩恵を受けられるが、ひとつの国籍しか持たない人は一国からしか恩恵を得られない。私の根源的な疑問は、これは不公平ではないか、ということだ。

選挙権はどうなる?

例えば、日本とアメリカの国籍を持つ(現時点では日本は二重国籍を認めてないのであり得ないが)人は日本とアメリカ両国で選挙権を行使できる。つまり、日本の国政選挙でもアメリカの大統領選でも投票できるということだ。国籍をひとつしか持っていない人に対して、二重国籍を持つ人は世界に対して2倍の影響力も持つということにはならないだろうか。それってどうなの?

たまたま、さっき読んだ8月9日付の毎日新聞には、「1票の格差「10増10減」後も2倍超」という見出しの記事が出ていた。日本では1票の格差の違憲判断の目安が2倍だそうだが、二重国籍保持者はワールドワイドにこの日本の違憲の目安にぴったりと当てはまる。日本では違憲とされるが、世界では容認されるのだろうか。今後は三重国籍、四重国籍を持つ人も増えていくだろう。そうなれば、ひとつの国籍しか持たない人との間の「1票の格差」はどんどん広がっていくのではないだろうか。それってどうなの?

兵役はどうなる?

兵役についてはどうだろう。日本のように徴兵制がない国の国籍と兵役がある国の国籍を持つ人が、兵役を逃れるために二重国籍を都合よく使うということは考えられないだろうか。それってどうなの?

投票行動はどう変わる?

さらにはこんな例はどうだろう。日本とアメリカの二重国籍を持つ人(Aさんとしよう。上記でも述べたように、現時点では日米両国の二重国籍を保持することはできない)がいるとする。Aさんはアメリカに永住する意思があり、日本に帰国する意思はない。日本とアメリカの間でかつてあったように貿易摩擦が起きた。アメリカは日本に関税を低くしてアメリカの農産物をもっと輸入しろと迫っている。日本ではアメリカ追従型の政治家と日本の農産物の価格維持のため関税を下げない政策を掲げる政治家が対峙しているとする。日本に帰る意思はないAさんはどういう投票行動を取るだろうか。日本に住む日本人の利益ではなく、アメリカに住む自分の利益になるような投票行動を取るのではないだろうか。日本に暮らす人々の生活が日本に住む意思のない人に左右されることになるのでは?それってどうなの?

オリンピック選手の国籍は?

では、Aさんが日本とブラジルの国籍を持つサッカー選手だったらどうだろう。Aさんの夢がオリンピックに出場することだったら日本人としてオリンピックを目指そうと考えるかもしれない。その方がオリンピック選手に選ばれる確率が高い。だが、ブラジルでも間違いなくオリンピック選手に選ばれるほどの世界的なアスリートだったら、ブラジルの選手として金メダルを目指すだろう。国籍をひとつしか持たない人にはない選択肢がAさんにはあるということになる。それってどうなの?

持てる者と持たざる者との格差がさらに広がる?

二重国籍(もしくは多重国籍)を持つ人は、ーー特に、日本など政情が安定していて難民になったりすることがない国の人々の場合ーー仕事や留学などで海外で暮らすようになって二重国籍保持者になる人が多いと思われる。そういう人たちは相対的に高学歴で高収入だろうと想像する。だとすると、貧富の格差が国籍の格差にも関係し、さらには世界に対する影響力の格差にもつながっていくというのは考えすぎだろうか。これを不公平だと思う私は狭量だろうか。

国籍については全くの素人なので、私の考えはトンチンカンなところもあるかもしれないが、ちょっと考えただけでも、私には上記のような疑問が浮かんでくる。日本が二重国籍を認めるかどうかという狭い視点で考えるのではなく、そもそも国籍とは何か、どうあるべきか、大きな視点で考えるべきときが来ているような気がする。



らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote: 

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