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寄付のジレンマ

今回のテーマ:寄付
by らうす・こんぶ


"Live from hand to mouth"は、手にしたものをすぐに口に運ぶ、ということからその日暮らしという意味だが、最近聞いた英語の表現に、"Live from payroll to payroll"というのがあった。

Payrollは給与明細書のこと。アメリカでは隔週で給与が支払われることが多いから、from payroll to payrollは2週間ということになる。最近はインフレで生活が大変なので、多くのアメリカ人が2週間後の次の給与の支払いまでにお金を使い切ってしまうような、自転車操業的な生活を強いられているということなのだろう。

ニューヨークにいた頃の私は"Live from hand to mouth"ほどではなかったが、寄付する余裕はなかった。日本各地で大きな災害が起きたときに寄付、というか、支援金を送るのがやっとだった。私と同年代の知人の独身女性(日本人)が年間合計で900ドル寄付をしているというのを聞いて、自分にがっかりしたことがあった。

金額の問題ではないとはいえ、そのくらいの寄付ができる経済状態はうらやましく、それができるその人の心の豊かさが素敵だと思った。そして、それができない自分は半人前だと思った。

自分の懐具合をあまり気にせず、寄付や募金をしたり、お世話になった人や遠くから私に会いにきてくれた友人に気持ちよく食事をご馳走したりできるようになりたいと、ずっと思っていた。それができて初めて経済的自立と言えるような気がした。そういう意味では、私が経済的自立を果たせたのはほんの数年前ということになる。情けない。

ところで、最近はSNSを見ているとひっきりなしに募金の広告が流れてくる。戦争で家族や家を失った子供たちや、貧困で食事が満足に食べられない日本の子供たちへの援助を呼びかける広告が、本当にひっきりなしに。災害復興支援なら一時的なものだけれど、子供の貧困など子供たちの問題は多く、ほとんど全てが慢性的なものなので、毎月定額の寄付を求めるものが多い。

あるNPOの毎月定額の支援を始めたところ、その団体からメールで、この団体を通じて食品を受け取ったひとり親家庭の親御さん達と、9歳のお子さんからの感謝のメッセージが届いた。喜んでもらえてよかったとは思うが、うれしいとは思えない。

むしろ後ろめたさを感じる。増税ばかりして適切に配分しない政治に働きかけて子供のために税金を使うようにさせるべきなのに、そういう面倒なことから逃げて、わずかな募金で何かやったような気になるのは自己満足に感じ、偽善に思えてしまう。

ネットで調べてみたところ、日本人の年間の募金額は、0円〜2,000円未満が4割、半数以上が5,000円未満の寄付をする 一方、1割程度の人が50,000円以上の寄付をしているそうだ。また、過去25年の推移を見ると、戸別募金・街頭募金・法人募金・学校募金などいずれも減少傾向にあるという。

募金をする人は減り、貧困層は増えている。日本の慢性的な貧困問題は、募金や寄付に頼っていても早晩行き詰まるということではないだろうか。寄付をしてもモヤっとしてしまうのは、そういうことを感じてしまうからだろう。




らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

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