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私の二都物語/東京→ニューヨーク   探し物は見つかった?

テーマ:私が選んだ棲み家
by らうす・こんぶ


家ではないが、私がここに住むぞ、と選んだ街なら二つある。東京とニューヨークだ。

田舎育ちだったので単純に都会への憧れが強く、私はまず、東京を目指した。東京には田舎にないものがなんでもある、と思っていた。そして、その”なんでも”のなかに、きっと私が欲しいものがあるはずだと無邪気に信じていた。高校を出て都会に出ていくことは、スズメのヒナが狭い巣から大空に羽ばたいていくのに似て、10代の私はそれはそれはワクワクしていた。なにも知らないということは本当に怖いもの知らずだ。それが若さの特権だったのだなと、今ならよくわかる。

大学を出てから短い会社勤めを経てフリーライターとして働くようになった。仕事に少し自信が出てきて、バブル景気の後押しもあって経済的余裕も出てきて、生活を楽しめるようにもなった。

で、私が欲しいものは東京で見つかったか?

見つかった。見つかるまで自分が何を求めていたのかよくわかっていなかったが、それを手に入れたとき、「ああ、私が欲しかったのはこれだったんだ」と気がついた。

”それ”とは、精神的自由と物理的(主に身体的)自由、そして経済的自由。大学に入って一人暮らしを始め、卒業して働き始めてしばらく経つと、自分の人生を形成するための土台となるもの、3つの自由が揃ったような気がした。あとはそれをどう生かして自分の人生を作っていくか、それは自分次第だ。そう思うと、自分の将来が楽しみでしかなかった。もう、そんな薔薇色の将来を描く時期はとっくに過ぎていたのだが、頭の中の青春時代が長かった💦 とにかく、東京で私は自分の人生に必要な種類の自由をすべて手に入れた。

でも、その自由という宝物を手に入れて眺めているだけではつまらないし、意味がない。自由ってこれでいいと思えばそれなりの大きさだが、もっともっと大きい自由が欲しいと思えば、無限に膨らんでいくように思えた。

価値あるものはそう易々とは手に入らない。自由は私にとって大切なもので、大きな自由は簡単には手に入らないものだからこそ、私はそれを手に入れたいと思ったのかもしれない。

東京でフリーライターの仕事をしていたときは、数年して仕事に慣れてくると、それからはもう、あまり努力や試行錯誤の必要がなくなっていた。もっと努力して上を目指すこともできたかもしれないが、東京では目指したい”上”も”横”も見つからなかった。そこで満足してしまったので、私の東京生活はある意味でラクであり、悪く言えば、ぬるま湯に浸かったような生活になっていた。小さな自由なら、すでにいくつも手に入れてしまったという感覚があった。

でも、何か足りないような。
ここで満足していいのかな。
まだ残りの人生は相当残っているのに、
ここで落ち着いてしまっていいのかな。

そこで次に目指したのがニューヨークだった。ニューヨークを目指すようになった経緯については、これまで何度か書いてきたのでここでは省くけれど、ニューヨークでは東京のそれよりもさらにひと回り大きな自由が手に入れられるような気がして、それを手にしたかった。そのためにはその街に住んでみなければならない、そうしなければ後悔すると、理屈でというよりは直感的に思った。

英語が流暢とは言えない私が、40代に入ってから外国人としてニューヨークで暮らすのはけっこうな冒険であり、それを超えていかないと手に入れられない自由はとても魅力的で追い求める価値があると思った。

こうして、ニューヨークが、私が二番目に選んだ生きるステージになった。

で、東京にいたときより大きな自由は手に入ったか?

手に入った。手に入ったが、大きな自由は思っていたより厄介なものだった。扱いが難しい猛獣のようだった。扱いを誤るとこっちが振り回されてしまう。そして、実際、”自由”というものに私はよく振り回された。

ニューヨークでの人生が終わった今振り返ってみると、私にとってニューヨークにおける自由とは、日本にいたときよりも選択肢が多いということだったのではないかと思う。

日本では日本の常識にも生活様式にも人付き合いにも慣れているので、選択肢を絞り込むことは難しいことではなく、少ない選りすぐりの選択肢の中から上手にベストなものを選べた。でも、自分が慣れ親しんだものとは違うさまざまな文化的背景を持つ人たちに囲まれての生活では、いきなりよくわからない選択肢が増えてしまい、その中からベストなものを選ぶ作業はなかなか大変だった。選択と決断を間違うこともしばしばだった。

私は20年のニューヨーク生活を終えて、3年前に帰国した。今、あの生活をもう一度やりたいかと聞かれたら、間髪入れずにノーと答えるだろう。一生分の大きくて扱いの厄介な自由を満喫したので、これからはニューヨークで過ごした日々とは別の人生を生きたいと思っている。

でも、私の二つ目の人生のステージとしてニューヨークを選んだことは正しかったと思っている。あれだけ扱いの厄介な”大きな自由”に振り回されて生きられたら、もう本望である。

もし、ニューヨークに行く決断をせずにそのまま東京で生きてきた私と、ニューヨークで20年生きてきた私が対面できたら、お互いに「えっ、これが私?」と、驚くことだろう。

東京で優しい人たちに囲まれて生きてきた私は、そこそこ空気も読めて、人との衝突を避ける人当たりのいい人間でい続けただろう。ニューヨークで20年生きてきた私は、空気を読むのが下手で、しかもあまり空気を読もうともせず、「嫌われる勇気」という本が売れていると聞いた時は、「これは読まなくてもいいな。もう持ってるから」と思って苦笑した。私は後者の自分がけっこう気に入っている。




らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

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