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いちばん好きな季節のあとで

今回のテーマ:秋といえば

by らうす・こんぶ

秋といえば、夏に飽きた頃にやってくる短い季節。それが私のニューヨークの秋だった。生まれ育った東北や長く住んでいた東京にははっきりと4つ季節があった。でも、ニューヨークでは夏と冬の存在感が大き過ぎて、春と秋はあっという間に過ぎていってしまう。

「いちばん好きな季節は」と聞かれると迷わず「夏」と応える。海や山にでかけて夏を満喫するタイプではないが、それでも夏の太陽とあの陽射しと暑さは気持ちをポジティブにしてくれるし、活動的にさせてくれる。「暑い、暑い」とブツブツ言いながらも、生気がみなぎってくるので大好きだ。夏至になると、夏本番はこれからだというのに「今日からだんだん日が短くなっていくんだなあ」と取り越し苦労するほど。いつまでも夏にしがみついていたいと思う。

ところが、だ。8月も半ばを過ぎる頃になると、まだまだ暑いものの、真上にあった太陽の角度が少し傾き、かっと照りつけていた陽射しがどことなく力を失い、夜になると虫の音が聞こえるようになり、ときおり涼しい風が吹いてきたりする。そうすると、途端に私の気持ちが変わる。

あんなに夏が好きだったのに薄情なもので、去る夏を惜しむ気持ちは起きず、毎年「秋はいいなあ。夏にはもう飽きた」と思う。夏は活動的になる分、やっぱり疲れるのだ。秋の気配を感じ始める頃、そのことに気づく。そして、「よかった。ニューヨークに秋があって」とほっとする。

ただ、ニューヨークの秋は短い。春と同様にほとんど冬に侵食される感じで、季節をゆっくり愛でる間もなく、すぐ次の季節に移行してしまう。だからこそ、秋は(春も!)1日1日の変化に敏感になる。私はその変化をキッチンに射し入る日光の作る影で感じていた。

私のアパートのキッチンはいわゆるレイルロードタイプのアパート(うなぎの寝床のように縦一列に部屋が並んでいる)で、キッチンはその中ほどにあり、隣のアパートとの間の幅3メートルほどの隙間に面して明かり取りの窓があるだけだった。冬場、太陽が低くなると、その窓からはまったく陽が入らなくなるのでキッチンは薄暗いのだが、5月から8月にかけては日中数時間だけ細長く陽が射し込んだ。

まず、ブラインドの隙間から射し込む光で、床に引っ掻き傷のような細く明るい部分が現れる。そして、その”傷”はみるみる明るさを増して、長く伸びていく。見ていると、その”明るい傷”はさらに長くなって角度を変えながら床の上を這うように移動していく。地球が確かに動いているという証しを目で追うのが面白くてよくそれを眺めていた。

床を移動する”明るい傷”も8月の終わり頃には姿を見せなくなり、再びキッチンにはまったく陽が射し込まなくなる。そうして私は、夏が終わり秋が始まったことを”視覚的に”悟るのだった。


らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote: 

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