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下北沢

2014年5月26日  facebook投稿  ·

久しぶりの「まち研究」です。シンコーミュージックから「下北沢ものがたり」という本が出ていて、ぱらぱらと読んだのですが、「自分が下北沢にもう興味がない理由」がよく分かりました。

帯がリリー・フランキーさんの「もし青春映画を撮るとしたら、舞台にするのはたぶん下北沢だよ」という言葉になっていますが、この本のおもしろいところは、それと「まったく正反対」のことが載っているということです。

中学高校が近くだったので、80年代を通して下北沢は遊び場でした。遊び場といってもお金もなにもない10代ですから、本多劇場に行くわけでなし、ライブハウスに行くわけでなし、イエローポップの中古レコードを買って、珉亭の江戸っ子ラーメンか新雪園のパーコー飯を食べて、まだ財布にお金があれば駅前にあったジャズ喫茶「NOISE」に行くぐらいで大学生や社会人が遊ぶようなところには行ったことがありません。

でも、大人になったら下北沢に住むんだろうなとぼんやりと思っていました。でも、いまは墨東ですから、あたしにとってはかっこつけると下北沢は「捨てた街」であります。下北沢にとってはあたしなんかどうでもいいでしょうが(笑)

10代のときの下北沢の風景は、やはり線路沿いの「金子葬儀店」です。歌手の金子マリさんのご実家ですね。金子さんと離婚前の長髪のジョニー吉長さんが赤ちゃんを連れて歩いているのをよく見かけ、そのロックな感じがあたしの下北沢でした。で、この本に金子マリさんとその赤ちゃんだった息子のベーシストのkenkenさんが話をしていて、読み始めたわけです。

金子さんは生まれ育った下北沢には昔はなんにもなくて北沢八幡のお祭りだけが楽しみだったそうです。街を出たくて仕方なかったけれど結局ずっといたのですが、バブルの時に実家も含めみんな地上げにあってしまい寂しいと。踏切も地元の人もいなくなってしまって他人の街のようだと述懐しています。息子さんは音楽を目指す若い人は下北沢に住まないほうがいいと言っています。
「みんなが思っているほど音楽は溢れてないし、家賃が高え。だったらもっと自分の地元を大事にしてこっちに遊びに来た方が面白いと思うよ」とのことです。正論。

商店街の理事長さんのインタビューもあるのですが、これも金子さんと似ています。「下北沢の従来の店が減って、ファーストフード等のチェーン店ばかりになってしまった。街に対する興味も薄くなっていくことを心配しています。心配したところでそれだけの費用をかけて出店できるのはチェーン店くらいしかありませんが」。理事長さんは唯一いいと言えるのは洋服屋だけがブランド店ではなくて個性的な個店が多いことだそうです。

悪く言うわけではありませんが、北九州出身のリリー・フランキーさんが「セツエン(新雪園)で打ち合わせするとうまく行くよね」とか話すのを聞くと、しらけるわけです。地方から出てきた人が都会的な何かを街に投影するのは結構なのですが、その街に住むということはやはりそういうものとは違う日常感が必要だと思います。まちはみんなが背伸びして暮らしているわけではないし、非日常はどこかに出かけてすればいいと年をとるほどに思います。

銀座育ちの柄本明さんは新宿に近いというので下北沢に住んで、劇団乾電池のアトリエを下北沢にかまえました。柄本さんも「あんまりニギヤカになり過ぎるのは嫌です」と語っています。中学生のとき、テレビで見たことがあるからと名前も分からず柄本さんにみんなでサインをもらったことがあります。丁寧にサインをしてくれるのですが柄本さんは一言もしゃべらない。なんにもしゃべらない。それもあたしの下北沢の風景でした。

チェーン店しかなければ青春映画は成り立たない、と思うのですが。毒づくのも大人げないですね。ある意味、下北沢がいいなんてほとんど書いていない羊頭狗肉の本ですが、個人的にはおおいに納得することがありました。

<プロジェクト担当者より>
東海亮樹は埼玉県狭山市で育ち、10歳で東京に転居。中学から高校の途中まで世田谷区の東松原に住んでいた。

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