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多様性

多様性とは?
と調べてみるとこんな一文に出会った。
オックスフォード英語辞典によると、多様性(diversity)は、「互いに非常に異なる多くの人や物の集まり」と定義されている。

最近苦手だなと思う人がいて、でもその人とは仕事の関係上どうしてもやり取りをいないといけない間柄。

やり取りをすると必ず、モヤモヤとイライラが募るのだ。ストレス極まりない!
何がそんなにストレスなのかというと、彼とは話がスムーズに進まないのだ。
前年度まで、私が受け持ってる仕事のやり取りをしてくれてる女性がいたのだけれど、彼女は移動してしまい、その後に担当となったのがA君という男性。

前年度までのやり方とは全く違うやり方で、なんせ頭が固くマニュアル男だ。

何か質問をすると、答えてほしい内容とは違う彼の正解が返って来る。

前年度担当してくれた方(彼女を仮にBさんとする)と一緒にいる時に、A君にしか分からない項目があり、その内容について確認すると私が知りたい内容ではなく、彼の中で処理された別の答えが返ってきた。
なので、もう一度角度を変えて聞きたい事を聞くと、先ほどと全く同じ答えを詳しめに答えてきた。
私は唖然として、「あぁ、はぁ…」と困惑気味に答えたら、彼は別の用事でその場を颯爽と去っていった。
思わずBさんを見つめると、Bさんも困惑気味で「今聞きたかった事って、あの答えじゃないですよね?」と言われ「はい、私が質問の仕方を間違えたのかなと思ったんですけど、そうでもないですよね?」と聞くと、「そうですね…。私は分かりましたけど、解釈が違ったんですかね…。たまにあるんです。私も。」といい「私からもまた確認してみますw」とBさんは言ってくれ、その問題はその後何とかなったのだけど、その後も、A君とは、そういう行き違いが多く、彼と話すたびにどっと疲れる。

あくまでこれは、私サイドの見解。

前年度のBさんは話も合って、多分思考回路が似ていたのも合って、話していてとても楽しかったし、楽だったので、月に一度必ず提出する資料を滞る事なくお渡しでき、ストレスフリーな環境だったのだけど、もしかしたらBさんがかなり気を使ってくれていて、私のミスをカバーしていたのかもしれない。

しかしA君はマニュアル男で、私とは全く別の思考回路なので、私の言葉が彼には伝わらない。
彼もまた私と同じく、あの人はなぜ分からない事ばかり言うのだろう?
全然話が通じない人だ!!!
と私と話したあとドッと疲れているのかもしれない。

私は感覚で話すタイプの人間なので、彼からするとまるで宇宙人のような存在かもしれない。
なぜ、論理的に話せないんだ!
とイライラを募らせているかもしれない。

なので、お互いが同じ思いでやり取りをしている現状である。

出来れば担当を変えて頂きたいものだ…とは思うものの、彼は彼なりに私とのやり取りを感情的にならないように、事実を一所懸命伝えてくれてるのかもしれない、というかきっとそう。

しかし、その言い方が私はとてもイライラモヤモヤさせられる。
嫌味かよ!!とか思ってしまう事もしばしば。
笑いながらディスられてのか?と思う事もしばしば。
お前の主張は聞いてねぇ!と思う事もしばしば。

本当に悪循環だわ!!
と思うけれど、これはあくまで私の主観。
A君は全くそんなつもりがないのかもしれない。
私とのやりとりに疲れてなどないのかもしれない。

しかし先日いつものように、提出しないといけない資料を持って彼の元にアポを取って行ったのだが、私の担当する事案の資料をたくさん用意して、全てのチェックをし、さらに私がいかに効率的に作業が出来るかを考えて色んな案を出してくれる姿勢をみて、私はなんて浅はかな人間なのだろう…とハッとさせられた。

彼は一生懸命、目の前の事案をいかに良くするかを考えてくれていたのだ。
なのに四十を過ぎた私は自分をさておき、話の分からないやつだ!!と決めつけ、彼を敬遠していたのだ。

主観というのは厄介だなと改めて思った。
そういう人間にはなりたくないと思いながら、しっかりそんな人間になりつつある自分に悲しくなった。
なまじ経験があるといい面もあれば、悪い面もあるのだ。
いつの間にか彼を知ろうとせず、経験の中にある似て比なる人の中に彼も一緒くたにカテゴライズしてしまい、頭でっかちクソ野郎になっていたのだ。

なんて恥ずかしい事か…。
とても反省した。

人を知り、受けとめ、理解する。
分かっているのに、難しい。
多様性って大事だと思うけど、自分がちゃんと理解して実行出来る人間になってから、人前で使おうと思った苦々しく、そして少し嬉しい出来事となった。



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