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資格が必要な人と不要な人の違いはなんだろうか

若い頃、私は、裕福な家庭に生まれた人又は特別な才能を有する人以外については、ほぼ全員に資格が必要だと思っていました。
それがないと労働所得で上位5%(年収1000万円以上)に入るのは難しいだろうと。

なお、ここでいう資格とは、難易度の高い国家資格のことをいいます。
代表例としては医師・歯科医師・公認会計士などの高所得がほぼ約束されている国家資格です。
その他にも、確実に大金を稼ぐという意味では若干弱い資格ではありますが、税理士・弁護士・弁理士・一級建築士・司法書士・不動産鑑定士なども含めて良いと思っています。
その資格さえあれば大金が稼げるというほど強くはないですが、よほどダメな人でもない限りは食いっぱぐれはしないだろうと思われるので、とても強い資格です。

上記の資格のいずれか又は複数の資格があれば、大して実務能力が高くない人でもある程度の年収を稼ぐことができます。
資格の強みはまさしくそこにあって、凡人でも秀才たちと同程度の年収を稼げるようになる非常に便利なツールです。

そういう意味で、一般人のほぼ全員に資格が必要だと思っていますし、今でもそれは半分以上正しいと考えています。
無いよりはあった方が有利です。

全国民が難関資格を目指すべきだとまでは言いませんが、末永く安定して稼ぎたいなら、ある程度難易度の高い資格を取っておいた方が良いとは思います。
何か特別な才能がない限り、凡人が安定して稼ぎ続けることは非常に難しいので、資格という便利グッズを使って上手に生きていく方が賢い選択です。

つまり、一般人にとって資格は「基本的に必要なもの」だと思うのです。

一方で、裕福な家庭に生まれた人や特別な才能を有する人については、資格なんて不要です。
資格が無くても全く問題なく人生を楽しめるはずです。

裕福な家庭に生まれているならその資産から得られる配当や利息で遊んで暮らせますし、特別な才能を持っているならそれで稼げます。
才能もその人の資産と考えるならば、各種の資産を持っている資産家の人たちは、資格なんて必要ないのです。

したがって、自分自身が一般人側にいるか、それとも資産家側にいるのかをよく分析して、一般人側にいると思うなら、資格を取っておいた方が良いでしょう。
その方が楽に稼げます。


さて、ここからは本題から逸れますが、大事なと思うことなので述べていこうと思います。

前述のとおり、資格なしでも稼げる人や資産家の人というのは、資格なんて不要ですし、目指す必要もありません。
しかし、実態として、資格は強者がより強くなるために使われているという側面があります。

本来、資格はお金を稼ぐための道具でしかないので、他の方法でお金を稼ぐ能力があるなら別にいらないのです。

しかし、士師業の世界を見渡してみると、その多くが他の方法でも余裕で稼げる人又は実家が資産家の人です。
少なくとも私の知り合いの士師業の皆さんは裕福な家庭で生まれ育っている人が大多数です。
つまり、元々大金を稼げる環境に生まれ育った人や裕福な家庭の人達が、より裕福になるために資格を有効活用しているという状態です。

これが悪いと言っているのではありません。
むしろさすがお金持ちだなと思います。
抜け目がないというか、戦略的に子育てをしているなと。

士師業として稼いでいる人たちの中で、私と同等の環境で育った人にはほとんど出会ったことがありませんし、一般家庭出身の人すら少数派です。
「自分は一般家庭の出身です」と言う人は多くいますが、よくよく話を聞いてみると、私からするととても裕福なご家庭に生まれております。

我々とは、金銭感覚もスタートラインも、全く違うのです。


ただ、このような実態となるのは当然のことだなとも思います。

皆さん御存知の通り、最上級難易度の国家資格を取得して、士師業として一人前になるまでには、10年ほどの修行期間が必要になります。
その間の学費や生活費を賄える人しか、そもそも目指せない世界です。

そう考えると、元々裕福でない限り、目指そうとは思えないでしょうし、もし目指すなら奨学金などの多額の借金を抱えることになるので、実務家になってからもしばらくは借金地獄になります。
そこまでのリスクを背負って、受かるかどうかも怪しい試験に挑戦するのであれば、頭のネジを何本か飛ばさないといけません。
ある意味クレイジーなギャンブラーにならないと、この道は歩めないのです。

これはとても大きな矛盾だなと感じています。
資格が本当に必要な人たちにとって、その資格は目指すことすら難しいわけです。
一方で、資格なんて不要な人たちは、安心して目指すことができる。
精神衛生は試験の結果に大きな影響を与えるので、裕福である方が受かりやすいと言って良いと思います。

世界の残酷な一面です。


私は今、独り身としてはある程度多くの資産を保有していると思います。
もちろん大した金額ではないですし、まだまだ蟻ん子レベルだとは思っていますが、それでもどんな国家資格でも自分のお金だけで目指すことができる状況にいます。
医師だろうが弁護士だろうが、多分取れます。

でも、取る必要はもうないです。

子どもがいれば、その子には「何を目指してもいいよ」と言ってあげると思います。
そういう環境を用意してあげられます。

子どもはいませんが、年齢だけは親の年齢になりましたので、親の気持ちもなんとなくわかるようになりました。
今の私には、子どもに選択肢を提示してあげられる幸せみたいなものがあります。
この心境を理解できるようになったのは、ここ数年の大きな変化だったなと思います。

そして今、私と同世代の士師業の皆さんが、我が子の教育に大金を投じています。
同世代の人たちの子は、3~10歳くらいの子が多いのですが、すでに年間100万円以上の教育費をかけている人が多いです。

インターナショナルスクールに通わせる人が圧倒的に多いですし、慶應などの名門中学を受験させている人たちも多いです。
慶應に受からなかったとしても、基本的に中学は全員私立に行かせています。

彼らは今、富の連鎖を次の世代に繋ぐために、子どもたちにせっせと選択肢を提示しているわけです。
若い頃だったら妬みや僻みが湧き上がって来ていたと思いますが、親の気持ちがよくわかるようになったので、そりゃそうなるよねと思っています。

改めて思うのは、一般家庭の人たちがこのレベルの環境で育った子たちと戦うのは相当にしんどいということです。
仮に資格試験に合格できたとしても、それまでの教育で得た常識がまるで違います。
住んでいる世界が別物と言っていいほどに環境が違うので、本当の意味で対等に戦うのはほぼ無理でしょう。

それでもなお、資格は取っておいた方が良いです。
自分が初代として、子どもたちに選択肢を提示できる立場になるために。


そんなことを思った三連休最後の日でした。


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