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『資本論』を自分なりに読みやすくリライトしていく試み7 -等価形態の謎の解法を示す等式A=B

資本論
第1部 資本の生産過程
第1篇 商品と貨幣
第1章 商品

第3節 価値の形態または交換価値2/5

前の記事:第3節 価値の形態または交換価値1/5

『資本論』を自分なりに読みやすくリライトしていく試み

<第3節の目次>

第3節 価値の形態または交換価値
  A. 基本的または偶発的な価値の形態
   1. 価値表現の両極―相対的価値形態と等価形態
   2. 相対的価値形態
     (a.)性質と重要性
     (b.)相対的価値形態の定量的決定
   3.等価形態
   4.全体的に考えてみる価値の基本形態
  B. 全体的または拡大された価値形態
   1. 拡張された相対的価値形態
   2. 特別の等価形態
           3. 全体的または拡大された価値形態の欠陥
  C. 価値の一般的な形態
   1. 価値形態の変化した性質
   2.相対的価値形態と等価形態の相互依存的な発展
   3.一般的な価値形態から貨幣形態への移行
  D. 貨幣の形態

※第3節は複雑に分けられています。今回は、3-A-3を読んでいきます

「20エレのリンネル=1つの上着」
私たちは、商品A(リンネル)が、違った種類の商品B(上着)の使用価値の中に自らの価値を表し、同時に、後者に等価の価値形態を投影するのを見てきました。
上着に価値があるという事実は、リンネルと直接交換可能であるということによって表現されます。このことは、商品が等価な形態であるとき、それは他の商品と直接交換可能であるという事実をあらわします。

上着の価値は、生産にかかる労働時間によって決まります。上着が等価形態にありリンネルが相対的価値形態にあろうと、逆にリンネルが等価形態にあり上着が相対的価値形態にあろうと、価値は価値形態に関係なく独立的に決められます。

しかし、上着が価値の等式において、等価の位置(B)に置かれたときは話は別です。上着は価値の数量的表現を持たず、単なる交換の役割を果たすだけです。

◇◇
等価物の形態を考えるときに、私たちを驚かせる第1の特徴は、使用価値が、その反対側にある価値としてあらわれてくることです。
(商品には「価値」と「使用価値」という2つの側面があります。「使用価値」は、商品が実際に何か役に立つかどうかを示すもので、商品の物理的な特性や機能です。「価値」は、商品が市場で取引される際に持つ価値を指します。)

商品の外見や形状は、その「価値」を表す方法になります。しかし、注意すべきは、この関係は他の商品との価値関係の中でのみ成り立つ点です。

どの商品も自分自身と等価の関係に立つことはできません。つまり自らの身体の形をそれ自体の価値の表現に変えることはできません。
そのためあらゆる商品は、別の商品との価値関係を選び、他の商品の使用価値(実際の特性や形状)を自分の価値形態として受け入れる必要があります。
つまり、商品は他の商品を「等価物」として選ぶことで、その商品の使用価値が自分の価値を示す方法としているのです。

◇◇
次の例は、この点を説明するのに役立ちます。
砂糖の塊は形と重さを持ちます。しかしこの重さを見たり触ったりすることはできません。そこで私たちはあらかじめ重量が決められた鉄片を取り出します。

この鉄は、砂糖の塊とは違い、重量を証明する形態以外の何者でもありません。にもかかわらず、砂糖の塊をある重さとして表すために、砂糖の塊を鉄との関係の中に置くのです。
この関係においては、鉄は重量以外の何も表してはいません。ある量の鉄は、砂糖の重量測定という役割を果たします。

この鉄が演じる役目は、砂糖やその他のものが鉄との間で、重量を測定するという関係内においてのみのものです。
両者を天秤に乗せれば、同じ重さとなります。重量を計量する鉄が、ただ砂糖の塊との間で重量の関係を表すように、上着はリンネルとの関係においてのみその価値をあらわします。

砂糖の塊の重量を示す鉄は、ともに双方にある自然属性である「重量」を示しています。
しかし類似しているのはここまでです。
実際には、上着はリンネルの価値を、双方にある自然属性ではなく、超自然的属性――すなわち社会的な関係によって表しています。

商品の相対的価値形態、例えばリンネルは、その商品の価値を、その実体や特性とはまったく異なるもの、例えば上着のようなものとして表現します。これにより、何らかの社会的関係がこの表現の背後にあることが示されます。

一方、上着そのものが価値を持つと考えると、それは自然から与えられた価値の形態のように思えます。しかし、この考えは上着がリンネルと等価関係にある場合にのみ成り立ちます。
ものの性質はそれ自体ではなく、他の物との関係でのみあらわれます。

とはいえ上着には、重さがあるとか、私たちを暖かく保つ能力を備えているなどの、こうした特質がごく自然に付与されているために、直接交換可能な性質が与えられているように、ある人の目にはあらわれます。
この謎めいた性格がブルジョア経済学者たちの目を見張らせるのは、その形式が完璧な発展を経て、貨幣の形で彼らの目の前にあらわれた時です。

以来、彼(ブルジョア)は、黄金や銀の不思議な性格をなんとかうまく説明しようと試みてきましたが、彼は最も単純な価値の表現である、
「20エレのリンネル=1つの上着」
が、すでにこの等価形態の謎の解法を我々に示していることに気づいていないのです。

◇◇
商品の本体が等価物として機能する場合、それは抽象化された「人間の労働」の具現物であり、同時に、具体的で有用な労働の産物でもあります。この具体的労働は、抽象的な人間の労働を表現する媒体となります。
例えば上着は抽象的な人間の労働の具現物に過ぎず、それに組み込まれている仕立て労働は、抽象的労働が具現化されたものに過ぎません。

リンネルの価値表現において、仕立て労働の有用性は上着を作ることではなく、「価値」であることを認識するための「あるもの」を作ることです。商品の価値は、具体的な労働の形式によってではなく、人間の労働の一般的特質によって示されます。

仕立てにおいても、織布においても人間の労働という一般的な特性を備えた労働力が費やされています。価値の鏡として機能するためには、仕立て労働は人間の労働の抽象的な特性以外を反映してはいけません。商品の「価値」は、具体的な労働の形式によってではなく、「人間の労働」の一般的特質によって示されます。
価値の生産という場面では、その側面だけを考慮する必要があります。

◇◇
ここが、等価形態の第2の特徴です。具体的な労働が、その反対の抽象的な「人間の労働」を示す形態となることです。
織布が作り出したリンネルの価値は、人間の労働として、織布とは別の具体的労働(仕立てなど)としても表現されます。

特定の労働行為――織布や仕立てなどが価値を持つのは、その行為が「人間の労働」としての一般的な性質を持っているからで、その特定の技能や行為自体のためではありません。
ここで、等価形態の第3の特徴が出てきます。すなわち、個人の労働が、そのまま社会的な労働の形を取ることです。

◇◇
等価形態の第2、第3の特徴は、これら様々な形態を最初に分析した偉大な思想家に立ち戻って見れば、よりよく理解できるでしょう。その思想家の名は、アリストテレスです。

彼は最初から、商品の貨幣形態は、単純な価値形態――適当に並べた任意の商品による商品の価値の表現――のより一層発展した姿態にすぎないことを、はっきりと述べています。彼がこう言っているからです。

5つのベッド=一軒の家
ということは、
5つのベッド=たくさんの貨幣
というのと「区別できない」と。

さらに彼は、この価値関係を生み出すには家は質的にベッドと同等である必要があり、そのような均質化がなければこれら2つの明らかに異なるものを比較することはできないと見ています。
「交換は同等性なしにはあり得ないが、同等性は同じ基準で計算できなければ成立しない」と彼は言います。

ところがここで彼は立ち止まり、価値の形態のさらなる分析を断念してしまいます。
「しかしながら、現実には、このように異なったものを同等なものとして測ることは不可能」であり、したがってこうした同等化は「実用的な目的のためのその場しのぎのものにすぎない」と。
アリストテレスのさらなる分析の道を妨げていたものを、彼自身が私たちに語っています。
それは価値という概念が存在しないことでした。

ベッドの価値を表現するために家が表している同等のもの。その共通の実体とは何か?
そのようなものは存在しないとアリストテレスは言います。なぜでしょうか。
ベッドと比較したとき、家は共に同等な何かを表しています。ベッドと家の中にある等しいもの。
そう、それは人間の労働です。

ここにはアリストテレスの認識を妨げる重要な事実がありました。ギリシャ社会は奴隷制度に基づいてつくられており、その基盤には労働力の不平等がありました。

価値表現の秘密――全ての労働が、同質性・同等性であるゆえに人間的労働として一般化していることは、人間の平等が民衆の既定の概念として定着するまでは、解読され得ません。

これは、大量の労働生産物が商品の形をとり、その結果、商品の所有者であることが人間と人間の関係の多くの部分を占める社会においてのみ可能です。
労働の生産物が商品としての形をとり、商品の所有者としての人間同士の関係が支配的な社会において初めて解読できます。

天才アリストテレスの素晴らしさは、商品の価値表現において同等の関係を発見したという事実だけでも明らかです。ただし、彼が生きていた社会の特殊な状況が、人間の平等の底にある真実の発見を妨げたのです。

つづく

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