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楽しく生きる家庭の「お金」の考え方

キャリアデザイン/ビジネスコーチ(合同会社DtheF.toi 代表)の村田です。
先日ちょっとした話題から
家庭内で、収入の大小で無意識に自分のことを上とか下とか判断しちゃうことってあるよね〜
という話になり、
いつもキャリアデザインセミナーとかでお伝えしていることを
書いてみようと思いました。



私は転勤族の妻になり、夫の転勤に帯同して全国を転々と仕事も住まいも変えていました。
転勤しながらも転職をして正社員平均年収より高い収入を得ていた時期もあります。
ですが、いろんな事情に限界を感じた時に「正社員」と「収入」を手放す決断をしました。
今も帯同をしている転勤族の多くの家族は同じような経験をしていると思います。
自分を体現していた「仕事」を失うこと、
「収入」がなくなることの不安だけでなく、
お金に対する思い込みでつい自分のことを下に見てしまう
そんな日々の積み重ねで、
家庭がしんどくなることもあるんですよね。
そんな時に思い出して欲しい、
何なら夫婦で共有して欲しい、
そんな「家庭のお金」の考え方をお伝えします。
どんな立場でも、状況でも、
ちょっとお互いに優しくなれるヒントになると嬉しいです。



「ペットボトル一つ買うにも夫の稼いだお金」
「私は養われているから」
そう自分をちょっと卑下してしまう時ありませんか?
「自分は稼いでいるんだから」
「収入得てるんだもん偉いでしょ」
とちょっと立場が上に思ったことはありませんか?
私はどちらも思ったことあるんですよ〜
そして、どちらの考えを持っていても
ぜんぜんいいことってないんですよね。
気持ちよく買い物したり、楽しんだりできない。
なんか少しストレスを感じちゃうんですよね。
夫は基本的にお金に無頓着なので、
私が買い渋っていたり、
やりたいことのお金を気にしていたりすると
「買えばいーじゃん」
「すればいーのに」
と能天気に笑い飛ばすような人です。
でも、ちょっと後ろめたく感じる。
それは、
「お金を得ている人が偉い」という判断基準を無意識に私が持っているから。
「お金を得ていない私は、自由にする権利がない」
という思い込みが、後ろめたさを感じさせていたんですね〜



そう感じさせたのは、過去の私。
恥ずかしながら、昔の私は収入が高い事は偉いことという意識が少なからずあったんです。そこに自分の価値を見出していたから。
なので、手放すという決断をする時に自分の価値とは・・・と逡巡し苦悩しました。(自分を認められずとても苦しい思い出)
ただ、ちょっと考えてみてください。
今家庭で主にお金を得ている人が、何らかの事情で得られなくなったら、
その人の存在価値はどうなります?
立場が上だとおもっていると、想定外の出来事で自分の存在が危ぶまれるかもしれません。じつはこれは、私が実際に感じたことです。
ちょっと良い収入と正社員という立場を手放すときに最後までこの存在価値に苦しめられました。(そうじゃないと自分を認められなかったんですね)
もう一つ思ったのが、この判断基準を当たり前としてコミュニケーションを学ぶ子どもたちは自身の未来の姿をどう思うんだろう?ってこと。
私が収入を得ていないから・・と後ろめたく感じる姿は、
子どもにとってどう映るのだろう。
そう考えた時、
「自分は収入を得ていないから立場が弱い人だ」と感じてほしくないと強く思ったんですよね。



うちには男の子も女の子もいます。
どちらにも「自分が支えなければ」という重圧を感じてほしくないし、
「稼いでんだから威張っていいだろ」なんて陳腐なことをいう大人になって欲しくない。
そして、日々の生活を肩身が狭いと思うような思考を持って欲しくない。
そういうこと関係なく、
フラットに自分も相手も大切にできる大人に育て〜!と願ってる。
いやいや、子ども自分はは違うでしょ〜。私はいいのよ。
と思うかもしれません。
それが、残念なことにコミュニケーションは親子で繋がっています。
思考パターンは一番そばでコミュニケーションを見せている
親の影響をとても受けているのが事実なのです。
(ここのところはマザーズコーチングで学べますよ笑)
とはいえ、
家庭が回っているのは夫が稼いでいるから。
実際に自分は生きるためのお金を得ていない。
というのも事実なんですよね。
私はいまでこそ家庭はチームだと思っています。
それぞれが自分を楽しめてこそ、チーム力が発揮できる。
そう思っています。



そこに気づいたのは、私の転職経験からの気づきでした。
会社には、直接売上につながる仕事(直接部門)と
売上には直接繋がらない仕事(間接部門)があるんですが、
ちょっとそれに例えてみますね。
私の最初についた仕事は営業職.
直接売上に関わる仕事です。
数字を追いかけて、何千万の売上を上げて
会社を支えている実感もわきやすいし、
人からの評価もわかりやすいのでよいもわるいも
給与にも反映されやすいんです。
転職した仕事は、品質管理という仕事。
医薬品を市場に出すために安全性の調査をする会社です。
調査結果や契約状況にルール違反や不備がないかをチェックして、
データの品質を保つというものです。
この仕事は直接売上に関与しません。
データさえあれば良いということなら不要とされる部門かもしれません。
ですが、信用あるデータのためにはこの「質」が大切で、
クライアントに出す結果には差がでます。
知ってます?医薬品を市場に出すまでに膨大な時間と費用がかかっているんですよ〜!
この「データの質」が悪いと市場に出せるかどうかに大きく関わってくるわけです。
(実際に雑すぎて全ての仕事を切られた会社さんもあるんですよ!)
目に見えにくいけど、信用や質というところで会社を支えていたんです。
両方の立場を経験して、「売上に関係しているか否か」は関係なく「対等」なんだと。
間接部門だからとお給料をもらうことに
肩身が狭いなど思うことないですよね?
少なくとも私はありませんでしたし、
年俸制だったので給与交渉もしていました。
会社の運営がスムーズにいくために
、会社の信用を担保するための仕事に対しての
評価と対価をくださいと胸張って言ってました笑
でも「間接部門なんだから・・」という
ネガティブなことを言われることもありました。
当然、気持ちが良いものでもないですし、
胸がざわつきますよね。
そのざわつきは、全体で考えれば「売上」に関係なく
どちらが上下もない関係性なのにと思っていたから。



これ、家庭の中で考えたらどうでしょうか。
共働きであれば、2人で売上をあげて、家庭の質を担っています。
片働きであれば、どちらかが売上をあげて、もう片方が家庭の質を保っている。
ただそれだけ。
どちらも「家庭」を運営していくために必要なこと。
だから、結婚後は”共有財産”という考えがあるんだなぁと妙に納得したんですよね。
なぜ家庭になると
対等だと思えなくなるんだろう?
誰かの「収入」だけに注目するのではなく
「家庭全体の運営」に目を向けることで
自分自身が勝手に思い込んでいる価値観がわかるかもしれません。
会社ではお互いにそれぞれが力を発揮できるように、
互いのことを考えていたりするとおもうんですよね。
家庭の「お金」は誰かのものではなく、誰が得てきたかは関係なく、
家族それぞれが楽しく生きやすくなるためにあるんじゃないかな。

ってこと。
(だからと言って働いて、収入を得てくることを軽視してるわけじゃないですよ!)



私自身が、しんどかった時を振り返ってみると傲慢な考え方をしていたな。
と気づいてコミュニケーションを見直した学びが詰まっている講座です。
自分ともっと仲良くなり、周りとのコミュニケーションが楽になる発見があるので、もっとしなやかに自分らしく生きたいと思うあなたへおすすめします。

今の自分に対してちょっと卑下したくなったり、
立場が上だと思って傲慢になってしまったりした時に
思い出してもらえたらと思います。

家庭がしんどい場所にならないように。
チームとしてみんなが自分を楽しめる場であるために。

#家事分担の気づき


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