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「スキ」は自分のために押してほしい。
大前提として
記事タイトルに掲げた「自分のため」には、宣伝的な自己アピール手段としての「内容を読まずに押すスキ」は含みません。あしからず。
今回強調したいのは、
「義理で押す必要はないのよ」
の一点です。
『ライ麦畑でつかまえて』に登場するエピソード
サリンジャーの長編小説『ライ麦畑でつかまえて(訳:野崎孝)』の話をします。
主役にして語り手のホールデン・コールフィールドが振り返るエピソードには、いろいろと印象深いものが多くてですね。
おかげで「読後に真っ先に思い出す部分」は、再読を重ねる度に変わるのが定番でした。
ただ、ここ数年は毎回、三分の一ほど読み進めたところで登場する「ピアノ弾きのアーニー」への心情が刺さります。深々と。
ナイト・クラブで聴いたアーニーのピアノ演奏を振り返りながら「曲芸めいた弾き方」などと散々こき下ろすわけですが、不意に「アーニーが少し気の毒になった」と言い始めるんですね。
以下の引用は、そこからのホールデンの一人語りです。
あいつは、自分の演奏がそれでいいのかどうかも、もうわかんなくなってんじゃないかと思うんだ。それは彼だけの罪じゃないんだな。一部分は、頭がすっとぶほどに喝采するああいう間抜けどもの責任でもあるんだ――あいつらは、機会さえ与えられれば、誰をだってだめにしちまうんだから。
聴衆が送る大喝采の根底にある「名の知れたピアノ弾きの演奏”だから”凄い」という浅はかさを指摘した箇所だと、解釈しています。
ここで引用した内容は、アーニーが有名人である点が重要ではありますが。
「作品の内容よりも、つくり手が誰であるかを優先して称賛する」に置き換えた上で、ホールデンの言葉を受け取りたいんです。
義理で押す必要はないのよ
私も、褒められたらそりゃ嬉しいです。
始めて間もなかった頃の、スキ数はおろかビュー数も全然伸びずだった時期を覚えていますし。
だからこの記事で主張したい内容は、継続のモチベーションを保つにあたって、真っ向から異を唱えるものかもしれません。
でも、どんな内容でも好評価を得られるなら、試行錯誤の機会は得られないままです。
そうなると錆びそうな気がする。
(何を書いても傑作になる程の天才になりたかったね)
私のnoteに関しては、義理や返礼は抜きにして。
・\良い/ と感じたもの
・心が動いたもの
に、スキを押していただけると嬉しいです。
偏屈な人間という自覚はあるので、偏屈なりに自分軸を持って淡々と、粛々と続けていきます。
「自分の演奏」を、胸を張って貫けるように。
お読みいただき、ありがとうございました。
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