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観光を噛み砕いて考える

クールジャパンという言葉が定着し、東京オリンピックの誘致が決まったことも後押しして、日本が観光立国を目指す、という共通認識が生まれてから早数年経つ。

私もその流れを受け、外国人観光客からの確かな日本への観光需要を感じて観光業界へと身を投じた1人であるが、今回は改めて観光という産業を考えてみたい。

観光を輸出産業と捉える考え方がある。教授の名前も忘れてしまったが、私が学部生だった時に何かの講義で聞いた話だ。固有の資源を売る、という大枠で考えれば、確かに頷ける話だと、当時は目から鱗だったことをよく覚えている。石油、石炭、天然ガス、鉄鉱石、その他多くの産出物が豊富な国が、それらを他国に輸出することで利益をなす。根底にあるのは、無いものを求めるという購買動機であり、それになぞらえれば日本独自の文化を、それを目的にしている人たちに売る、と考えれば観光も立派な輸出業である。

さて、一般的なMBAにおいて、事例として頻出する企業というのが存在する。様々な産業から様々な企業が名を連ねるわけであるが、例えば工業の例にトヨタ自動車がある。ここで名を挙げる企業は言ってしまえばなんでもいいのだが、一般的にサービスではなく製品を販売することで事業として成立している企業のほとんどが、サプライ・チェーンと言われる行程のどこかに位置しており、他社から原材料を輸入し、加工して付加価値の付随された製品としてまたそれを販売する。当然だが、原材料を仕入れる際には、契約に基づいて代金が支払われる。何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、あえてこの当たり前を一度明記しておきたい。

ここで話を観光産業に戻そうと思う。観光業における原材料とは一体なんだろうか?この問いが、私が数年かけて目指している観光業のあるべき姿のスタートラインになる。
先ほども少し触れたが、外国人観光客は、自国にない「日本固有の文化」に対する漠然とした期待を持ってこの地を訪れる。では、彼らが何を持ってして興味深い文化だと感じているのだろうか?客観的な視点から、日本の文化の何が独特で魅力的なのだろうか?ここに対する回答を明確にしておかなければ、真の意味で観光業を成り立たせることは不可能だろう。なんでウケたかわからずにネタを披露し続ける芸人がテレビに出続けられるわけがない。

少し持って回ってしまったが、観光資源とは文化そのものなのである。散々引っ張ってそんな曖昧な答えかよ、と思われるかもしれないが、その通りなものはしょうがない。

文化とは何か、という定義だけで何冊も本が出版されるほどには一概には回答できない設問ではあるが、ここでは簡易的に人が暮らす中で環境との相互作用の中で育まれた積年の産物とでもしておこうと思う。その文化の何が面白さになるかは、外から比較の視点で評価しなければ見えてこないものであり、究極は日本人がどう認識していようとも外国人の目に面白く映ったことが面白い文化という脚光を浴びることになる。

少し話がそれるが、私が浅草で人力車の俥夫をしていた頃、最も外国人観光客のテンションが上がるスポットの1つが立体駐車場であった。残念ながらこちらが練りに練った歴史ガイドよりも、街中のなんの変哲も無い風景の方が、広大な土地に住む彼らの目には面白く映るらしい。

逸れまくってしまっている気がするが、観光資源は文化であり、それは私たちがなんとなく伝統的だなと認識しているところに存在する。サムライ、ニンジャ、ゲイシャは極端であるが、それらが存在した時代の文化生活風俗は観光資源の源泉としてはあながち間違った認識でも無いだろう。

さて、私が漠然と抱いた違和感であるが、日本への観光需要の高まりは、その生産者である伝統と呼ばれる産業にきちんと還元されているのだろうか、という点である。

工業と異なり、観光業は生産業者から物質的な資源を仕入れて販売するわけでは無い。東京オリンピックを目前にホテルが立ち並んだニュースは耳にしたが、工房に跡継ぎが相次いだ話は聞いたことがない。外国人観光客が、五つ星ホテルのベッドルームでくつろぎ、なんとなく神社や寺に足を運び、目抜き通りのプラスチック製の扇子を買って帰る。彼らはそれで満足かもしれないが、そんなのが当たり前にまかり通る業界では、日本の観光はすぐに死ぬだろう。

観光資源がなんであるかをきちんと理解し、観光産業のサプライ・チェーンの構造を、一次産業に需要に見合うだけの利益を還元する仕組みを構築しなければ、観光立国を目指すなんていう目標は絵空事にしかならない。

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