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どこかへ 1993年6月のミュンヘン、フィレンツェ、パリ、ルンド

1993年の6月にイタリアとスウェーデンで学術的な会議があり、それらに参加しました。会社の備品のコンタックスT2にフジのポジフィルムを詰めて出かけました。残っていたそのポジをデジタル・デュープしました。古い写真ですが少しだけ補正するとそれなりによく見えます。鮮やかな空の色や教会の塔から臨む古い街並みが写っていました。

当時もフィレンツェへの直行便はなく、ミュンヘン経由でいくことになりましたが、乗り継ぎのタイミングが良くなかったんでしょう。ミュンヘンで一泊して翌日にフィレンツェに移動しました。ミュンヘンでのホテルはSchutzenstrabe 11にあるExcelsior、今も残っているようです。ミュンヘン中央駅からも近く、ホフブロイハウスまで徒歩で20分くらい、途中に聖母教会がありました。冒頭の写真はこの教会の周辺で撮ったものです。

夕食にはビアホールに出かけました。歴史を感じさせる店内に厚い木のテーブルと大きなビアジョッキ、それを運んでくるウェイトレスの体格、隣のテーブルから迫ってくる大きな笑い声、ザワークラフトと何種類ものソーセージ、そんなものが記憶に残っています。それが本当にその時の記憶なのか、どこか他からの情報も混ざって形成された記憶なのか分かりませんが、それが僕の最初のドイツの印象になりました。あまりにステレオタイプのように思えますが。

フィレンツェでは日中は会議に参加して数日を過ごしました。ホテルはアルノ川の北側、駅からそれほど遠くないところでした。入り口の両側に檻に入った大きくて黒い犬がいたことを覚えています。セキュリティのためだったんでしょう。レシートにはQueen Palaceとありましたが、今はDe Rose Palace Hotelとなっているようです。Googlemapで見つけた写真にあるホテルのエントランスは記憶にあるものと似ています。フィレンツェについてすぐに最初の絵葉書を妻に送りました。切手は1000リラ。ミュンヘンのクリーンなホテルに対し、フィレンツェのホテルは機能的にイマイチながらデザインが美しいと書いてありました。

空いた時間を利用して市街を歩き、教会の塔からは街並みを眺めました。教会の中がとても美しかったこと、無宗教の僕でも厳粛な気持ちになったことを覚えています。メディチ家の教会(8,000リラ)と博物館(10,000リラ)の入場チケットが残っていました。通貨はリラ(当時13.5リラが1円)で、当時は路地に怪しげな子供たちがいて観光客を取り囲んでポケットに手を入れてきたこと、教会の塔への入場料が地元の人向けの料金に比べてとても高かったことも覚えています。写真に残っている街並みは綺麗です。

(左)フィレンツェの路地(中)ドゥオーモの塔から(右)ホテルの窓から
フィレンツェ、パリ、ルンドから出した絵葉書に貼られた切手
アルノ川にかかるサンタ・トリニタ橋の北側から

Googleマップのストリートビューで今の様子と比べてみましたが、街並みはあまり変わっているようには見えませんでした。もう30年も前のことなのに。
夕食には近くのレストランへ出かけました。多分夕方7時頃に予約して出かけたんでしょうが、その時間帯のレストランは閑散としていて、店が開いているのかどうかもわからない様子だったと覚えています。レシートにLa Lamparaとあったので探してみると、Braciere Malatestaという店がヒットしました。ホテルからそれほど遠くもなく、多分ここでしょう。挽肉の赤ワイン煮込みのようなものが美味しかった記憶があります。徐々に客が入ってきて、僕たちが食事を済ませて帰る頃になるとずいぶん混んでいたようです。ホテルの窓からも周辺のレストランからの賑やかな様子が聞こえてきました。イタリアの夜は長いんだろう、そう思いました。商店街(CANTO DEI NELLI)には紙製品を置いてある店があって、そこで何枚かのハガキサイズの印刷物をお土産に買いました。深い青と朱と黒、3色で刷られたドォーモを描いた版画のようなもので、今でも額に入れて寝室の壁に飾ってあります。生まれてくる予定の子どものために絵本も買いました。

スウェーデンでの会議に参加する前の週末はパリで過ごしました。オペラ座の近くのホテルに泊まり、市内を観光しました。当時パリの事業所に勤務していた会社の先輩が車に乗せて案内してくれました。小さなシトロエンだったと思いますが、プジョーだったかも知れません。パリの路地はとても狭い上に両側に車が駐車していて運転は大変そうでしたが、狭い路地も器用に走っていたことを覚えています。パリからも絵葉書を送っています。切手は4.2フラン、ルーブルとオルセーでの感動を伝えています。絵葉書にはオルセーのテラスでビールを飲めたこと、スーパーでハムやワインを買って同僚と一緒に部屋で食事をしたことも書いてありました。
オルセーのテラスからモンマルトルを望んだ写真が残っていました。ルーブルにも初めて行きました。美術館の中で写真を撮れることには驚きました。その頃の日本では厳しく制限されていたので。でも写真を撮るとそれだけで満足してしまうんじゃないかと聞いて、あまり撮らなかったと思います。サモトラケのニケを撮った写真がありました。この頃は修復前で、乗っている台座が今とは違うようです。2013年から2015年にかけて修復があったそうです。

(左)オペラ座近くの路地(中)オルセーのテラスから(右)サモトラケのニケ

パリからアムステルダム経由でマルメまで行きました。今にして思えばコペンハーゲンから車か船で行くのも楽しそうですが、その時は飛行機で行きました。マルメの空港からルンドのホテルまでタクシーで30分くらいでした。ボルボの240か740、長いステーションワゴンでした。赤のボディに黒の角張った内装を覚えています。大学の近くにあるホテルの前にはスウェーデンの国旗、青い空に映えていました。近くには何もなく簡素ながら共用のサウナがあるきれいなホテルでした。朝食は庭に面したレストランで、ハムやソーセージ、魚の酢漬けのようなものがあったと思います。パンとヨーグルト、何種類ものジャムやマーマレードのようなものが当時の僕には新鮮で、とてもおいしくいただきました。庭にはリスがいました。このホテルは今はもうなく、似た名前の大きなホテルが立っているようです。

(左)ホテル外観(中)部屋のバスルーム(右)ルンド植物園

ルンドからも妻に絵葉書を送っています。切手は6クローネ。夜10時過ぎになっても明るくて夜更かししそうだと書いてありました。ここでも絵本を買っています。

古い教会や街並みの写真が残っています。会議は大学の中で開かれたので、大学の食堂で魚のフライも食べました。日本で食べるフライと似たような味でなぜか安心したことを覚えています。この時に初めてトナカイを食べました。豚肉とも鶏肉とも似ている肉で、そのステーキを食べたと記憶しています。その他にもインド料理など色々と食べました。大学の近くのルンド大聖堂や植物園にも行きました。ルンドの駅前からバス案内を撮った写真がありました。
電車で隣町のマルメにも出かけました。なにせ夕方が長いので。ルンドは大学のある古い街で、マルメは少し大きな商業の街という印象でした。マルメの市庁舎の広場の写真もありました。Googleマップで見ると、この写真の薬局(茶色の建物が薬局)はまだ残っていました。

(左)ルンド市内 煉瓦造りの建物(中)ルンド大聖堂(右)マルメ市庁舎広場前
ルンド駅前のバス案内

帰りはアムステルダム経由で、しかしそのあたりの記憶はほとんどありません。写真もほとんど撮っていませんでした。フィルムを使い切ったのかも知れません。長旅で疲れていたのか、旅にも慣れて緊張が緩んでいたせいか、覚えていません。30年も前のことなんだからしょうがないとも思いますが。


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