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どこかへ

定年の少し前に転職して、しばらくしてコロナ禍がやってきて、出歩くことがとても少なくなりました。大抵の仕事はメールとウェブ会議で済ませるようになりましたし、そもそも遠くへ出かける用事も段々と少なくなってきています。コロナが5類に移行した後でもなかなか出かけようとしなくて。
僕は本来出不精なんだと思います。
若い頃から旅行に行くことは多くありませんでした。特に海外に出かけることはほとんどなく、初めての海外旅行は新婚旅行で、その後もしばらくは海外に出て行くことはありませんでした。国内も妻と自分の親の家に行くのがほとんどで。

しかしどこかへ行きたいという気持ちは、行きたいというよりここから離れたいという気持ちは子供の頃からありました。僕の郷里は北陸の小さな町で、昔は織物が盛んでどの家からも織機の音が聞こえてきていましたが、安価な中国勢に押されていつの間にかほとんど聞こえなくなっていました。東には近くの山が見えて、西へ車で30分くらい走ると日本海がありました。東の山の向こうにはまた山が続いていることは知ってはいましたが、いつかここを抜け出してあの山の遥か向こうに行くんだ、と念じていました。海に行った時には、その海の向こうにあるはずの韓国や中国は僕の関心の対象では全くありませんでしたし、海岸や小高い丘から見える海なんかほんの数キロ程度でその向こうに何があるってわけでもないこともわかっていましたが、いつかあの海の遥か向こうに行くんだ、そこに僕の場所があるんだ、とわかっていました。

今自分のいるここではないどこかへ行くんだ、そこには僕の居場所があるんだ、という思いは高校生の頃までずっと続いていました。デラシネという言葉を覚えたのもその頃だったと思います。自分自身にはデラシネの素養があって、土地やら何やらやに縛られないで、それが自由なのかどうかもわからないままに、どこか別のところに行くんだという決意のようなものがありました。
ここではないどこかへ行くんだというその決意は大学進学時に果たせたものの、そこでも結局同じ気持ちを持つようになるまで、それほど時間を要しませんでした。卒業後はまた別の土地で就職し、また同じような気持ちになっていきました。

それでも旅行に行くことにそれほどの興味はありませんでした。旅行に行ってもまた同じ場所に帰ってくるのであれば、そのことにはほとんど意味がないと、その頃は考えていました。社会人として仕事を始めて、転勤もあり、それまでとは違う場所での生活を始めてみましたが、それで何かが解消したわけではなく、いつも仮の宿りのような気分でいました。その気分は決して悪いものではありませんでしたが。

30歳を少し超えた頃から、仕事の関係で海外にも出張する機会があり、それは徐々に増えてもいきました。
以前から写真を撮ることを趣味にしていた僕は旅の記録にとカメラを持参しました。そのネガやポジは残っていてスキャンしたり見返したりすると、ああこんなところだったなあ、と少し思い出し始めたりもします。
そこは海の向こうであり山の向こうでもありました。かなり遠くまで行ったわけですが、出張という旅行がここを離れてどこかへいくということとは別のことだということを知ってもいました。帰ってこなくてはいけないわけですから。
この30年の間に世界でいろいろなことが起こりました。テロもあり国家間の紛争もあり、パンデミックもあり、その時々に渡航が憚られることもありましたが、機会を見つけては出かけていきました。出かけた国はのべ20カ国以上になると思います。

多くの場合、出張に僕は一人で出かけました。一人で出かけることで少しでも日常から離れたかったのかもしれません。
出張ですから仕事のために行っているわけですけど、出掛けている間には待ち時間もありますし食事をしたり寝たり風呂に入ったりもします。気分が良ければホテルの近くを散歩したり、時差の解消を期待してジョギングすることもありました。時間を見つけて公園や美術館に行ったりもしました。その時は基本一人になります。一人で歩いて電車やバスに乗って、そして何かを考えます。

そうやって出張を繰り返しているうちに、どこに行くにしてもそれほどのストレスを感じなくなり、いつの頃からか、出張先が気に入ってそこで暮らしたいと考えることが増えてきました。それが実現することはまだありませんが、出張で出かけた多くの場所で「ここで暮らすのもいいんじゃないか」と思いましたし、「老後はここで暮らせたらなあ」と思う場所もありました。言葉が不自由なことも気にせず、無邪気にそう考えていたとも言えます。しかし、そこで感じたことは、僕が子供の頃に東に山の向こうを思いを馳せ、西の海の向こうを夢見ていたことと、繋がっているように思います。確かにこここそが僕の居場所じゃないんだろうか、と多くの場所が僕に期待を持たせてくれました。仮にどこかに棲みついても結局は別のどこかを心に想うことになるかもしれないのですが。

僕は一体どんなところを旅して、そこで何を見て何を考えていたんだろう?と思い返します。出張先での記憶は日々薄れていって、行ったことすらも覚えていないところもあるようです。そこで何を考えていたのか?それを追憶できるだけの記憶はすでに薄れかけていて、それはこれからもさらに薄れていくことでしょう。
幸いなことに撮り溜めたポジやネガが時間軸で整理されて残っていますし、デジタルに移行してからのデータも大体ハードディスクに残してあります。そこからピックアップして眺めていると、忘れかけていた記憶が呼び覚まされるように感じました。当時の手帳と付き合わせてみると、その時にどんなことを考えていたのかも思い出せるかも知れません。

一つの仮説があります。
それは私にとっての旅行は、ここではないどこかへ移り住むことが難しい僕にとって、今ここから逃げ出す行為だったんじゃないか、というものです。昔の上司に言われたことを思い出しました。「お前は一仕事終えると海外出張を入れるね。特別休暇のつもりなの?」半分はバレていたようです。しかし、正確に言えば休暇ではなくて、しばしの逃避だったんだと思います。逃げ出したからといってどうなるものでもありませんし、逃げ仰るものではないこともわかっていましたし。そんな状況の中で、しばらくの間ココとは違うところへ逃避することで、僕は自分の気持ちを保っていたんだと思います。
子供の頃、山の向こうへ、海の向こうへ行くんだと念じていたことも、これと似ているのかも知れません。逃げ出したかったんだと思います。何から逃げ出したかったのか、今となっては思い出すことすらできないんですが。


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