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苦手な話題があるんだ、という話

 育児が大変だ、というお話を見聞きすると心が痛む、というツイートをしたことがある。そういう場面に出くわすと、リアルでもネット上でもかなり落ち込んでしまう。自分の母親も自分のせいで大変な目に遭い、苦労したのだろうと思うからだ。それなら生まれてこなきゃよかった、と思う。この呟きにいくつかコメントを頂いたので、今更ではあるけれど詳しく書こうと思う。Twitterの字数制限は厳しい。
 メンタル不調ではないときにお読みください。

なぜそう感じるのか、という考察

 どうしてそんなふうに感じるのか。ひとことで言えば「自己肯定感が低いから」である。ここで言う自己肯定感とは「自分ってすごい」と思うことではなく、「自分はありのままで良いのだ」と思える、ということである。自分はすごくなくても生きていていい。世界は信頼できる場所である。助けを求めたら誰かが助けてくれる。基本的に世界が自分に危害を加えることはない。そういった感覚のことである。エリクソンの言う「基本的信頼感」と大体同じだと思う。感覚の名前自体はなんでも良いけど。
 私にはその自己肯定感がほとんどない。そもそも私は本来この世に存在するべきではない。ただし何か世の中に貢献できれば、その対価として存在していても良い。そんなふうに感じている。まだ学生なので世の中への貢献なんて出来てはいないが、逆に学生だからこそ、色々と学び将来何か役に立ってくれるだろう、と「世の中の役に立つかどうか」の判断を保留されていると考えている。だから勉強や研究を頑張って、バイトもして、それでなんとか「私も一応役に立つはずなので、どうか存在することをお許しください」と願っている。
 別に常にそう思っているわけではない。勉強も研究もバイトもその他の趣味も、楽しいからやっているのだ。インターネットで良く見かける「生きてるだけで偉い」という言葉にもある程度賛成しているし、人権が「役に立つから」与えられる類のものではない、ということも理解している。そもそも役に立たない人間は生きている資格がない、と言ってしまえる世の中は殺伐とし過ぎていて、そんな言説には反対するべきだと思う。
 それでもふとした瞬間に、「生きていてごめんなさい」と思ってしまう。その最たるものが、特に母親による育児の苦労話だ。ほとんど反射的に、その話を見聞きすると苦しくなって消えたくなる。なぜだろう、と考えた時にどうやら私は前述したようなことを感じて生きているらしいということに気がついた。
 人生で一番苦労をかけているのは親だろう。今のところ。生きている価値のない私にお金も時間も労力もかけさせてしまった。その対価を払い切る自信がない。だからその現実に向き合いたくない。だからそんな話を見聞きしたくないし、してしまったら今すぐ消えてしまおうと思う。


 そんな話をすると、多くの心優しい人たちは「そんなことないよ。親は子供が可愛いから苦労も厭わないんだよ。対価を払おうなんて思わなくていいよ」と言ってくれるだろう。しかし申し訳ないことに、その言葉は私には響かない。
 その理由の一つは、やはり「私に生きている価値なんてない」という感覚が深層心理の中に強く根付いているからだろう。頭ではわかっていても納得できない、というやつだ。理由の二つ目は「親は果たして本当に私を可愛いと、愛していると思っているのだろうか?」と疑問に抱いているからだ。ここまでたくさんの犠牲を払って育ててくれたのだから、実際愛してくれているのだろうと考える。しかし頭ではそう考えているだけで、心はどうだろう。母はなんだか、義務感で私を育ててくれているような気がしてしまう。父は大事に思っていると言ってくれるけれど、そう言う自分に酔っているだけのような気がしてしまう。そう感じる理由は後述しようと思う。

 とりあえず、ここまでで理由の説明は出来たと思う。結局「思う」「気がする」だけしか言えることはない。そもそもが感覚の話だから当たり前だけれど。
 そしてこれに共感できる人はそんなに多くはないだろう。けれど、これは私の感覚なので、共感できなくてもどうか否定しないで欲しい。「そんなことないよ、大丈夫だよ」という声かけが優しさからのものだということは理解している。しかしその優しさを感じる前に、「感情を否定されてしまった」という傷がついてしまうのだ。私に普通の心がないのは分かっているけれど、それでもやっぱり否定されると心は痛い。

 Twitterでは育児の苦労話が良くバズっているけれど、私にとってそれが非常にしんどい。確かに親ってすごいけど、しんどいと思っている人もいるんだなって誰かに知ってほしい。

「理由の理由」を考える

 ここまでで詳細な説明は終わっているけれど、そもそもどうして自己肯定感がないのか?についても考えている。大体家庭環境の話だ。面倒くさい話なので読まなくてもいいのだけれど、書きたいので書く。

 父は怒りっぽい人だった。私の一番古い記憶もやはり父に怒られている記憶である。私が転んで泣いていたので、うるさいから早く泣きやめと怒っていた。多分三歳くらいだろう。
 私が邪魔なところに立っていたら怒鳴られる。お手伝いをしていて、思った通りの動きをしなかったら怒鳴られる。機嫌が悪かったり、体調が悪かったりしたら何かを叫んでいる。物心ついた頃からずっとそんな感じだった。
 成人男性の怒鳴り声なのでやはり子供には怖い。ついでに父親くらいの剣幕で怒る人は近頃ではあんまり見ない。一番近いのはドラマで叫んで怒鳴っている人か、コンビニとかで店中に響き渡るような大声で切れている人だろうか。学校で一番怖い先生くらい、かもしれない。
 今なら流石にこれ理不尽だよなあ、と思えることもたくさんある。例えば幼稚園児に自分がして欲しいことを先回りして判断して行動しろ、出来なければ怒鳴る、という対応は無茶だと思う。腰が痛いという理由で突然大声で叫んで悪態をつくのもちょっとやばい。
 しかし子供にそんな判断などできるはずもない。子供にとって家庭が世界の全てである。その中で絶対権力者である親が怒っている。当然自分が悪いのだと思う。
 自分が悪くないことでも自分が悪いと考えて、なんとか上手く生きよう、怒られないようにしようと小さい頃から考えていたら、「自分はこのままでは世界に存在してはいけない。早く完璧にならなければ」と思うようになってしまった。

 それで母親はどうしていたのかというと、共働きだったのだけれどその中でも家事も育児もきちんとやってくれていた。弁当を作り、習い事の送り迎えをし、その他の家事も滞りなくやる。今はそれがどれほどすごいことかということは分かっているつもりだ。
 しかし、それらは全て義務感で行なっているように見えた。これは母親の仕事だから、というように。なぜかというと、全然人生が楽しそうに見えなかったからである。いつも疲れたと言っていて、できれば休みたいと言っていた。そんな母を見て、私がいるから母はいつも疲れているのだと思った。私のせいで母は不幸だ。
 それに加えて、母はあまり共感的な言葉をかけてくれるタイプではなかった。よかったね、とか頑張ったね、とかは言ってくれるのだけれど、それも言うべきだから言っている、という感じだ。それに辛かったね、といった形の声かけはされた覚えが一切ない。父に理不尽に叱られて、それが理不尽だと母も分かってはいたはずだけれど、それでも「あなたは悪くないよ」とか「怒られて辛かったね」などと言ってはくれなかった。「お父さんはあんな人だから」と諦めたように言われるだけだった。

 そんな家庭に耐えかねて、早く離婚してくれないかと願っていた。いつか母もこんな生活に嫌気が差して離婚してくれるだろうと。小学校に上がるか上がらないかくらいだったと思う。その頃テレビで離婚問題について良く取り上げる番組があって、それを見るたびにいいなあ、うちもこうならないかなあと思っていた。
 その頃下のきょうだいが生まれた。きょうだいが出来るよ、と言われた時に私が感じたのは得体の知れない気持ち悪さだった。「こんな家に?嘘だろ」と思った。細かい知識なんて当然なかったけれど、こんなに居心地の悪い家に新しい家族ができるなんて悪い冗談としか思えなかった。けれどきょうだいなんていらない、と言えばなんて心の狭い子供だろうと思われるだろう。小学校一年生の私はすでに「いい子」のふりをする以外に生きる方法を忘れてしまっていた。だからきょうだいができて嬉しい、と答えて、他の大人に聞かれたら楽しみだと、きょうだいが生まれてからは可愛いと言っていた。別にきょうだいにはなんの罪もないけれど、その記憶のせいでいまだにぎこちなくしか接することができない。
 下のきょうだいの面倒を見ることに追われていたこともあって、母はあまり私に構ってくれなくなった。それは仕方ないことだと思っていたけれど、せめて父親はどうにかして欲しいと思った。何度かそんなニュアンスのことを訴えたと思う。しかし「お母さんだって大変なんだから」という返事以外もらえることはなかった。だから母が私を愛しているのかどうか、私には分からない。

 それで小学校の三年生か四年生になった頃、もう両親に復讐するしかないと思った。具体的に言うと自殺しようと思った。父親は怖いし、母親は助けてくれないし、私はこんなに苦しんでいたのだと、そう遺書を書き残して飛び降りでもしたら、流石に後悔するだろうと考えた。少しは反省するかもしれないし。それ以外この苦しみを知らしめる方法なんてないと思った。
 しかし自分で死ぬ勇気はなかった。ぼんやりとベランダから外を眺めながら、やっぱり痛いのかなとか、最初に見つける人は可哀想かなとか、そんなことを考えていた。でもやっぱり死んでやろうと思っている時は、復讐を考えている時はきっとそうであるように、少しだけ爽快な気分だった。
 高学年になって、中学受験をすることに決めた。そうすると夜遅くまで塾通いで家にいることが減った。勉強があるからあまり話しかけられないし、お手伝いも免除される。運よく勉強が出来たから褒められさえした。だからなんとか、復讐してやろうという考えを忘れることができた。それは中学高校と続いて、そのまま「勉強ができる子」という評価を維持して、両親が自慢できるような大学に入った。無事に実家を出て、これで自由だと思った。

 しかし幼い頃に植え付けられた恐怖心は消えることがなかった。大学のゼミで先生が厳しいことを言ってもみんなは平気そうにしているけれど、私は怖くてたまらなかった。誰かに質問するのも、先輩が指導してくれるのも、そして近くに知り合いがいることさえ怖かった。次の瞬間にも怒鳴られるんじゃないかと思った。父にそうされたように。
 別に怒鳴られる理由なんてないじゃないか、と思うかもしれないけれど、親の顔色を窺いまくって生きてきた私はすぐさま自分のここが悪かったんじゃないかという点を思いつくことができる。「字を書く音うるさかったかな」「机揺らしちゃった」「効率の悪いことをしてイライラさせたに違いない」「電車で邪魔なところに突っ立ってたから怒ったかも」、隣の人がため息をついた瞬間こんな感じのことが頭を駆け巡る。そして怒鳴られるかもと身構えてしまう。
 中学高校と運よく不機嫌になりがちな先生や友達はいなかったし、勉強が出来て周りに認められていたから恐怖心はあまりなかった。大学でも講義なら学期が終わればさようならだからそこまで不安はなかった。しかし研究室に配属されるとそうはいかない。毎日の不安や恐怖に負けて、学校に行けなくなった。それで、なんとか学部は卒業したけれど大学院は中退してしまった。

 なんでこんなに色んなことが怖いんだろう、普通の人は平気そうなのに、と思って家庭環境に思い至ったわけである。それまで父親は怒りっぽいけれど普通の範疇だと思っていた。というか今も、このくらいでメンタルやられるなんて私が弱すぎるだけじゃないか、もっと酷い環境にいた人もたくさんいるし、とも思っている。でも流石に父親はパワハラ上司みたいな挙動をしてたし、そんなところに小さい頃からいたらおかしくもなるか、という気持ちと半々である。

なんとか解決したいよな

 とはいえ過ぎてしまったことは変えられないのである。仮に両親が謝ったとしても傷が綺麗さっぱりなかったことにはならない。今更恨んでも仕方ないし、自分を変えられるのは自分だけだ。そんなわけで色々と試したことがあるので、こちらもメモ程度に書いてみようと思う。

1.カウンセリング
 こちらは大学の相談室と民間のカウンセリングルームどちらも行ってみた。先生のスタイルなのかもしれないが、どちらも具体的な悩み事を解決しましょうというスタンスだったので、「質問するのが怖い」「メールに返事ができない」などとこちらも具体的に解決したいことを相談していた。それで認知行動療法(というか認知療法かな)的なものを試していた。嫌だった出来事を具体的に書いて、その時に思い浮かんだ思考(自動思考と言って、〇〇さんに嫌われたかも!とか反射的に思ってしまうこと)をいくつかあげて、それに対して合理的な反論(その後〇〇さんは笑顔で接してくれた、とか)をして、気持ちを軽くする、といった手順である。確かに具体的な問題については多少良くなった気はするけれど、根本の問題は何も変わっていない気がした。ただ続けていれば行動を変えることで思考も変わる、とのことらしく、もしかしたら長期的には根本的な問題に対しても効果があるのかもしれない。しかし一つ一つの作業が重すぎてメンタル不調の時には一切出来ないので、あんまり向いていないと思う。元気な時は今もたまにやっている。

2.本を読む
 答えは全て本屋にある、と思って生きてきたので当然のように色んな本を読んでみた。最初は怒った声とか足音とかに過剰に反応するのが気になったのでHSPってやつかと思って、それ関連のものを読んでいた。しかし自己肯定感やアダルトチルドレンなどのワードを耳にするうちにこっちかなと思って、「毒になる親」とかトラウマ系の本を読んでみた。この辺りの本から、原因について考察してみた訳である。その点については役に立った。しかし解決の役には立たない。解決法についても大抵書いているのだけれど、それが出来たら苦労はしないわとか、一人では出来ないなというものばかりである。今のところポリヴェーガル理論は自分でも試せるかもしれない、と思って勉強中である。
 他にも問題があって、一般向けの本はあまり科学的でなかったりエビデンスに乏しかったりするものも多い。その中からいい方法を探すのは至難の技だ。間違った知識を基にして悪化しては意味がない。
 それにトラウマに触れるのはかなり危険なことのようで、一人で考えているうちにかなり精神的に悪化してしまった部分もある。トラウマの蓋を開けてみたはいいが、閉め方が分からないのである。それで余計に考え込んでしまって、いくらか傷が深くなってしまった面もあるだろう。生兵法は大怪我のもとだ。

3.メンタルクリニックに行く
 最初からそうしとけよという気もするが、そこまでじゃないよな、と思ってしまうとなかなか行きにくいものである。個人的には「そんなん病気じゃねーよ」と追い返されるのがすごく怖かった。しかしもうこれはやばいかもしれんと思うことがあって、年始にやっと診察を受けた(一応大学院を辞めるときにも病院に行ったのだが、調子が悪すぎて診断書をもらった後にばっくれてしまった)。
 とりあえず不安を抑えましょうということで弱めの抗不安薬とSSRIを処方してもらって、これが思いのほか効いている。まさかこんなに効くとは、早く薬飲んどきゃよかったなという感じだ。
 ただ対症療法的ではあるので、トラウマ治療的な何かをしてみたいなと思う。あと本題であった「育児の苦労話を聞くとしんどい」であるが、これは相当強力らしくて薬を貫通してくる。普通にしんどい。やっぱりさらなる対策が必要そうだ。

4.好きなことをする
 これはお医者さんに言われて意識するようにしたことだけれど、好きなことに没頭していればトラウマのことについて考えずに済むので、趣味の時間をできるだけ増やすようにした。文章を書くのが好きなので、noteもその一環だ。何かをする元気がない時もあるから実は難しいことだったりするけれど。元気がないときでもどうやらお笑い系の動画ならいけるらしいと気づいたので、アマプラとYouTubeを駆使し始めた。

5.信頼感を取り戻す
 こちらはこれから出来る様になりたいことだ。お医者さんにも「色んな経験をするともっと良くなっていきますよ」と言われていて、やっぱり人間関係を構築するのが大事なんだろうなと思う。結局本や薬ではなく人と向き合わないといけないのだろう。今のところ、「ここでは怒られたりしないな」「ここでは傷つけられないな」と確かめて自分に言い聞かせて、少しずつ大丈夫だ、と思える居場所を増やそうと意識している。

 このトラウマを治したいな、と思うのは普段の生活に支障が出ているからというのもそうだけれど、将来が心配だからである。仕事を始めたら不安なことはもっと増えてしまいそうだ。今は他人を信頼していなさすぎて結婚なんて全然考えられない。それに知り合いに子供が大変で、なんて話をされたらその場では平気な顔を出来てもあとで必ず寝込む。そのせいで失った関係もあるし、今後友達に子供が生まれたら縁を切る羽目になりかねない。それは避けたい。
 まあ時間がある今のうちに出来ることを色々やっていくしかないかな、というところである。まだ死ぬ勇気はないし、もう少しはやりたいこともあるので。

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