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SNSに子どものことを書くということ、そして個人的な小さな傷

 SNSでは子どもの話題は人気だ。ちょっとした可愛い言動について、あるいはつい微笑んでしまうような可愛らしい写真、それから子どもならではの失敗。子育てエッセイを書いて生計を立てている人までいる。どれも確かに人目を引くものだ。お子さんがいる人の間ではあるある、と共感できるし、そうでなくても可愛い子どものエピソードや写真に癒される、という人はたくさんいると思う。

 けれどそれは危険な行為だ、と思う。なぜなら子ども本人の同意を得ていないからだ。それなのにSNSに一度上げてしまえば、消すのは簡単ではない。その時何となく、日常の一コマとして呟いたつもりでも、いつか大きくなった子どもが見つけて嫌な気分になる可能性は大いにある。


 ここからは個人的なエピソードになる。私は小さな頃とても大人しい子どもだった。それでも家の中ではそれなりに子どもらしくはしゃいでいることもあった。当時は志村けんのバカ殿様が大好きで、家の中ではよく真似していた。けれど外ではやらなかった。恥ずかしかったし、保育園児なりに外での自分のキャラというものを意識していたからだ。私はそうやっておどけるキャラじゃない、と。
 しかし親がそれを他の大人に言って、その大人はとひろちゃんにもそんなところがあるのね!と可笑しそうに嬉しそうに言ってきた。私にはそれがとても屈辱的に感じられた。きっと親もその大人も悪気はなかったのだと理解はしている。でも家の中だけの秘密だったのに、と悔しかった。親に裏切られた、とさえ思った。目に浮かんだ涙を誤魔化すのに精一杯だった。


 今の子どもたちはそれをSNSに書かれてしまうのだ。言い間違いとか可愛い失敗とか、大人から見たら可愛いだけかもしれないけれど、子どもなりにプライドというものはある。後からそんなことを全世界に向けて発信されていたと知ったら、大きなショックを受けるのではないだろうか。それこそ親を恨む子どもが出てきてもおかしくない。

 子どもの時、といっても高校生や大学生くらいまで含まれるけれど、親がうちの子は〇〇で〜、と言いふらしていたのが嫌だったという記憶がある人はそれなりにいるのではないかと思う。もし嫌だったと覚えていて、今自分の子どものことをSNSに書いている人がいるとしたら、本当にそれでいいのかな、って一度考えてみて欲しい。昔に比べて言いふらされる範囲は格段に広がっているのだ。それこそ私だって顔も知らないフォロワーさんのお子さんの習い事とか部活のこととか家での過ごし方を知ってしまっている。正直とても危険な状況だと思う。

 そんなわけで、お子さんがいらっしゃってSNSを使っている方は、本当にこれ書いても良いのかな、って少し考えてみて欲しいなと願っています。
 そうでない人も、安易に子どものエピソードや写真を拡散する前に、これって大丈夫かな、とひと呼吸置いてくれると嬉しいです。




 ここからはこの文章を書こうと思った背景をつらつら述べているだけなので、読まなくて大丈夫です。


 たまたま今日Twitterで知った、ある人のブログをきっかけに書いた文章なのだけれど、同じことは昔から考えていた。直接注意しようかな、と思ったこともある。でもよその家の事だし、責任も取れないし、と思ってやめてしまった。しかし私が何も言わずにいたせいで、将来苦しむ子どもが増えてしまったら辛いなとも思う。だからその間をとってnoteに書くことにした。
 私はいつも、(特に親のせいで)苦しむ子どもや元子どもが減って欲しいと願っている。それは自分自身がその元子どもで、自分自身が救われたいからではあるのだけれど。今はまだトラウマに囚われたままだから、大きな声でこういう事したら子どもは傷つくんだからやめなよ!って言うつもりはない。何故なら感情が入りすぎて、歪んだ主張になってしまうと思うからだ。それでも今の私がこういうことを伝えたいと思っている、ということは残しておきたいので、こうしてインターネットの隅っこに文章を残しておきます。
 ちなみに親のせいで苦しむ、と書いたけれど、その親が悪いのではなく、知識や援助や適切な制度が行き渡っていない、議論されていない社会の方が悪いと思っています。罪を憎んで人を憎まずの精神でいきたい。

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