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味と混じりけのないものを欲する

 この冬、コンビニで白湯を売り出している。

 もっとも白湯と言っても、ペットボトルに入っているお湯のことだ。沸騰させてちょっと冷ましたものが「白湯」だと思っているので、厳密には白湯ではなく「お湯」だなぁと感じているのだが、でもまぁ「お湯」より「白湯」の方が売れるだろうから、メーカーやコンビニが「白湯」として売る気持ちは分かる。
 そのくらいのズレは、しょうがないだろう。
 
 ぼくは白湯が好きで、南部鉄瓶で数分間沸騰させて、冷まして水筒に入れる。
 ポッドキャストの『白湯FM』では、白湯好きの人を「さゆらー」と言っているが、常備しているぼくも、さゆらーの1人だろう。1カウントだ。

 コンビニは最初にテスト販売として、都内の数店舗で「白湯」を売り出した。今回全国発売として置いたのは、そのテストの結果がよかったからだろう。味の付いていない飲み物を欲している人が、多かったということだ。
 味のないもの、混ざり気のないものは、例えば薬を飲むのに適しているだろう。また、単に味や混ざり気が嫌いな人にもいい。ぼくは外出時、みんなと一緒になにか飲まなければいけないときがある。「ちょっと一服しよう」、などというときだ。今まではお茶にしていたが、お湯を選択できるようになったので、とても助かる。
 
 前にも書いたが、コンビニは消費者の鏡なので、消費者が求めればその商品を売る。「無添加」や「低価格でない物」も、消費の裏付けが取れれば置く。
 
 ずっと前、昭和の中頃くらいまでは、お茶なんて売られていなかった。飲み物には、必ず甘味が含まれていた。「味もそっけもないもの」に、消費者が金を払うはずがないとメーカーが考えていたのだ。
 それが、甘味のない飲み物が売れると分かったことで、メーカーが販売するようになった。そこから一気に、甘くない飲み物が出回ることになる。ウーロン茶や無糖の紅茶、コーヒーなどだ。
 缶やペットのお茶にだって混ざりものはあるが、さすがに炭酸飲料よりはマシだ。砂糖抜きの飲み物が出回ることによって、消費者は健康的な選択肢が広がったわけだ。
 
 今回、お茶ですら、味や混じりけがあってイヤだと、消費者が打ち出した。そこで販売側が求めに応じた。お湯であれば、お茶のように色を保つための混ざりものは必要ない。消費者は健康的な選択肢が増え、販売側は元手が安くて利益になる。
 
 驚くほど安い工業製品のような食べ物だって、消費者がソッポを向けば販売側は売らなくなるはずだ。

駄文ですが、奇特な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。