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豚の搬入は未明に行われる

 

 作家、藤原新也さんの『東京漂流』という本の中に、芝浦屠場を書いたくだりがある。簡単に書けば、こういう内容だ。当時芝浦に住んでいた藤原さんは、未明に、豚を乗せた大型トラックをよく見かけていた。車は芝浦屠場に入っていく。豚は屠畜されて食肉になる家畜だったのだ。藤原さんは、なんでこんな時間帯に搬入するのかと、ちょっとした疑問を持つ。もしかしたら、屠畜という、どちらかというと世間から隠したい行為を見せないようにするため、最も人が活動しない時間を選んでいるのではないか、と。
 
 藤原さんらしい視点だ。こういった、何か一つの物事を一歩立ち止まって、冷めた視点で掘り下げるのが特徴の作家だからだ。ぼくは大学の図書館で『アメリカ』を手に取ってから、『全東洋街道』、『印度放浪』など、さまざまな著作を読んできた。
  
 藤原さんはその疑問を、直接芝浦屠場に問い合わせる。しかし電話に応対した男は面倒くさそうな態度で、まともに取り合ってくれない。そして藤原さんの問いに、「そんなことはないですけどねぇ」といった感じで適当に否定されてしまう。
 
 1節を使って書かれているので、実際にはもっと長くて読み応えある文章だ。人々が寝静まった、労働するには不自然な時間帯に運び込まれる豚を見て、都合の悪い物に蓋をして見えなくさせているように感じてしまうのは、藤原さんらしい深い「読み」だ。しかしこの屠場の一件に関しては、残念ながら間違いだ。生きた家畜を未明に搬入することは、世間の目から隠しているわけではなく、その時間が商売上最も好都合だからだ。
 
 人は、自分の立ち位置から物を見る。ノンフィクション分野の作家の視点から見れば、屠畜というものは、それが持っているダークな面を前面に挙げて語ってしまいがちだ。一般人が抱える、「食べるのに必要なこと」ということと、「穏やかな日常のためには生き物の死を生活に取り入れたくない」という矛盾とを。ましてや、日本では屠畜の歴史は差別とも絡んでいる。しかし仕事としてやっている者からの視点とは大きくずれる。
 
 当然のことだが、仕事は、利益が大きければ大きいほどいい。日本には大小問わず星の数ほど会社や事業者があるが、そのなかで、なんの因果も余禄も特典も生じないのに、ただ単に「利幅の少ない仕事がいいっ!!」などという業者は1つとしてないだろう。もしいたら、会ってみたい。
 
 そして、未明に豚を屠場に運び込むという行為は、豚屋の仕事の利益を上げるために必要なことなのだ。日中に運び込むよりも、理にかなっている。
 
 豚は食用として育てられているので、ふんだんに餌を与えられて太らされている。それを、今まで乗ったこともない『車』というものに乗せられ、遠方まで運ばれる。それも、ある程度の頭数を詰め込まれて。そして不安定な荷台に乗せられて。人間のようにふかふかの座席でシートベルトを締めて運ばれるわけではないのだ。
 
 豚が人間のようにおとなしく外の景色でも眺めていてくれればいい。しかし、豚にドライブを楽しむという感覚などなく、ただただ不規則に揺れまくって高速で動く荷台の上で、四つ足で踏ん張ばろうとしているだけなのだ。これがどれほど太った個体に負担をかけることになるか。
 
 しかも1頭だけではない。ぶつかり合ってパニックを起こす。1頭がパニックを起こすと、周囲に伝播する。パニックがパニックを呼ぶのだ。そしてパニックを起こして暴れれば、それによって怪我をする豚も出てくる。元々ブクブクに太らされているのだ。骨折や脱臼など、簡単になってしまう。そして動けないことや痛みが、豚のストレスとなる。
 
 肉というものは、血が混じると味が落ちる。だから屠畜の際、気絶あるいは絶命した豚からすばやく血を抜き取る「放血」作業がとても重要になる。どこの屠場でも熟練者がいて、倒れた豚たち(10頭セットで屠畜することが多い)の喉の動脈を迅速に切って回る。遅かったり変なところを切ると肉に血が入り込んで味が落ちてしまうことになる。
 
 血を全身の肉に混じらせないためには、的確な放血よりもまず先に、気持ちを落ち着かせることが大切だ。だから豚屋は、屠畜までになるべくストレスをかけず、落ち着かせて血を沸き立たせないようにする。豚の搬送時間を短くするのもその一つで、それならば交通量の少ない深夜に運ぶのがいいに決まっている。日中の渋滞に巻き込まれたら、肉質を落としてしまうのだ。そして搬送時間が短くスムーズなら、それだけ怪我のおそれも少ないというものだ。地方の屠場なら日中でも道が混まないだろうから構わないが、首都圏で日中のスムーズな搬送など考えられない。
 
 藤原さんがそういうふうに勘繰ることは、不思議ではない。ノンフィクション作家の立場であれば。実際、本ではなんとなく、芝浦に質問した部分では、公務員がジャーナリストの質問をはぐらかしているような記述に感じられた。もちろんはぐらかしもあるにはあるだろう。しかし聞かれた芝浦の事務員の立場から見れば、豚を深夜に持ってくることなんて当然じゃないか、ということになるのも事実だ。「なぁんで商売人が利益を多くする行為に疑問なんて感じるの?」、と。
 
 藤原さんとすれば、屠場職員ではなく、業者の側に聞いてみるのがよかったかもしれない。その方が、実情を聞けた率が高い。それに藤原さんくらいの人であれば、つてを通してインタビューできそうだ。つてなら、より素直に話してもらえることだろう。
 
 実情を知ることは、なかなか手間だ。少なくとも屠場に関することは、効率を念頭に考えた方が実情をつかみやすい。豚は単なる商品で、ほとんどだれもが、より手早く、より高価に、としか意識が向いていない。その中での深読みは、的外れとなる場合が多い。

駄文ですが、奇特な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。