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4度の起業、2度のバイアウト。その経営者による特権のレッスン@トグルという物語/エピソード8


※前回のエピソードはコチラ

企業カルチャーへの2つの願い。互助の関係と既得権益の排除

S:どんな信念を伊藤さんは表現することが、できなかったのですか?

伊藤:相互理解、相手をおもんばかるとか。それらの大切さを当時の私は真の意味で理解していなかったし、それを伝えることも、してこなかった。だから当然の結果だと思いますが、そうした文化が、あまりない組織だったのかなと。

S:どうして、それらが組織に必要だと思うのですか?

伊藤:私がいたころのイタンジは、人が残らなかったからです。

S:残らないとは?

伊藤:人が退職するということです。そういう意味では、人の入れ替わりが激しく、当時の社内(イタンジ)は殺伐さつばつとしていました。実力者しか生き残れない、みたいな。

S:入社テストを受け続ける日々というか、終わらないトライアウトが日常の雰囲気というか?

伊藤:そうそう。

S:それを研ぎ澄ます、続けることで残る人がいる。それで集団は選りすぐられる。そうした考えかたも、あるとは思います。一方で、そうではない、人が残らないことについて伊藤さんのなかで好ましくないというか、それを問題視する部分があるということですか?

伊藤:はい。

S:問題だと感じる背景を教えてください。

伊藤:今思えば結局、強い人だけの組織だったのだろうなということです。必要な場面、求められる状況で助け合いが生まれないというか。

S:互助の関係?

伊藤:それがないと新しい人が参入できないと考えます。

S:言葉を選ばずに言えば優生学的な思想というか。多様性や柔軟性が下がり、組織の文化が排他的になりやすい面もあると感じますが、いかがでしょうか?

伊藤:それもあり得ますね。私がもっとも気にしているのは、組織が既得権になってしまう危険性です。既得権を得ると多くの人は守りに入ります。

S:自分が持つ権利、権力を守ろうとする?

伊藤:それに気づいていない場合でも、無自覚にそうした言動におちいるというか。当時のイタンジでは、最初にポジションを持った人、偉くなった人からのコミュニケーションというか、下の人への指示は、ほとんどなかったんじゃないかな。ゼロ、ということは当然ないですが、比喩ひゆとして。

S:人間関係を円滑にするためのコミュニケーションを含めた、業務上のやり取りみたいなことですか?

伊藤:それらが少ないので雰囲気が殺伐さつばつとしていったというか。実力主義というテイには、なっているものの、新しい人が下の立場から既得権を持ったポジション、上の役職に上がることは、なかなかに難しい。強い人だけのような能力主義的な組織の場合、意図的に新しい人を引き上げるようなチカラが、上から下へ向かって働かないと、ひたすらに既得権益化が進むのではないだろうかと。下の人が育つことなく、組織内の壁を乗り越えるモチベーションも生まれない状況になってしまうと、今は思います。そこには梯子はしごが必要で、壁を登ることができる梯子はしごを上の役職者から、けることをしないといけない。育成、新人教育みたいな話も、そうなんじゃないでしょうか。会社に入ったあとも、みんなが打ち解けやすくするとか。

S:古参メンバーは壁の下を見て梯子はしごけるだけでなく、登ってきたメンバーに手を貸すし、登ってきた側は差し出された手を握る。どちらの側からも、積極的に働きかける必要があると?

伊藤:そういうことをしないと、人が育たないんじゃないかなと思います。現在の状況は、わかりませんが当時のイタンジには、それが、ありませんでした。「ポジションは、いらない」そう話す人が多かった事実もあって、ポジションを上がるための梯子はしごを組織として用意してもいなかったんですが、それは「壁の上にある自分の既得権益が奪われることを危惧して、下の人が登ってこられないよう梯子はしごけなかった」わけでは決してなく。「梯子はしごなしで上に、あがって来られるだろう」そう完全に思っていました。でも、その構造が結果的に既得権益化を強めてしまうのではないかと。

S:構造の力学ですね。少し話のテーマが広くなりますが、生まれながらの格差問題にも通じる気がしました*1。

伊藤:たしかに。そうして無自覚にも既得権益化してしまう恐れというのは、あり得ますよね?

S:あり得ると思います。いわゆる特権ですよね*2。それを持つ人は、持たない人の存在そのものが視界に入らないので、自分が置かれている状況に気が付きにくい。その構造が生み出す問題が、既得権(特権)になり得ると思いました。それに不満を覚えてメンバーが去る、組織内がギスギスする、みたいなことを繰り返したくないという思いが伊藤さんにある。そういうことですか?

伊藤:それは一つありますね。もう一つは、最初の起業で不動産仲介業をしていたときの話にもつながります。事業が都内に3店舗くらいまでの規模に成長したとき、その会社を売却しました。その後、私が退任したら、もともといた8割くらいの社員が辞めてしまって。このとき私は「何も組織化できなかった」そう思いました。当時は、組織と事業をわけて考えることが、そもそも私には、できていません。10名にまで増えた社員は最後、2名になってしまい、事業も組織も何も残せなかった。そこから学んで、自分がいなくなっても成り立つ会社を作ろうと思い、イタンジをおこしたという部分もあります。それから6年、7年たって、イタンジでは再現性をともなった事業を仕組化することができました。でも組織を組織化、仕組化することは、できなかったと感じます。

伊藤:イタンジを売却し、しばらくして私は思いました。「事業は仕組化できたし成り立った。でも心残りがある。もう一回、起業して会社を作るのであれば組織のほうを特にチカラを入れたい」ステップバイステップですよね。

S:階段を一段ずつ上がるように、着実に進むと?

伊藤:その積み上げが今の私ですからね。でも、決して簡単に上がることができるような高さの一段では、ないと思っています。私にとってはチャレンジングなことです。私も成長しないと。

S:話を聞いていて思い出したんですが、伊藤さんは成長という言葉にラボのイメージがあると話していましたよね。

S:理科の研究室から、専門の研究所を手に入れたような?

伊藤:そうですね。エクセルで頑張っていた日常にAIが現れ、AIを使っていくうちに計算容量が足らなくなって、それを増やすためにスーパーコンピュータを導入するというか。そこに「成長しているな」という実感があります。質の成長なんでしょうね。量の成長というよりは。量が複利的に増えていくことよりも、できなかったことをできるようにすることに興味・関心があります。

社歌に込められた思い@トグルという物語/エピソード2より抜粋

S:事業においては質の成長であり、できなかったことをできるようにすることに興味・関心があると。それが組織に替わったら、いかがでしょうか。組織面、企業の文化醸成における成長を目指したとき、そこには、どんな質への興味・関心がありそうですか?

伊藤:それでうと、私がアンチテーゼとしているのは、官僚化した組織です。手続き主義というか。一つやるにも手続きが必要で、大きな意思決定をやりにくくなることです。これは乱暴な表現かもしれませんが、自分の思いを率直な言葉にするなら、新しいことができなくなる=大企業化することです。そういう組織をアンチテーゼとして私は意識しています。会社が大きくなるというのは組織が官僚化するほうへ、チカラが働きますよね。そうした力学が生まれないように会社を大きくすることには関心も興味もあります。つまりは、チャレンジ精神やイノベーションへの熱量みたいなものを保ちながら、組織として会社として、大きくなることができるか。私なりの挑戦です。イノベーションへの思いを失わない組織文化を維持することは難しいでしょうから。

S:現時点で、そのためのアイデアは、ありますか?

伊藤:正直にいって、まだ、わかりません。ただ現時点で明確な思いとしてあるのは――

(つづく/エピソード9へ)

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※本企画で伊藤嘉盛よしもりが言及している内容は、過去のイタンジのことであり、現在のイタンジについてでは、ありません。イタンジの事業は成功しており、本企画を通じて「失敗」として描かれているのは、彼が経営者として至らなかったと感じている自らの部分のみです。それを再認識し、気づきや糧、教訓や自らへのいましめとして現経営に活かしたいという個人的な願いから言語化している側面があります。

【参考情報一覧】

*1◆Hayakawa Books & Magazines(β)より【サンデル教授「君は自分の力で最初に生まれたのかい?」ハーバード白熱教室・能力主義篇①
*2◆GIGAZINEより【格差を生み出す「特権」とは何か?が誰にでもよくわかる授業が秀逸

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