野心と合理だけの過去@トグルという物語/エピソード7
※前回のエピソードはコチラ
コーチング&内省による、全体性への目覚め
S:2012年にイタンジを創業。その当時に「社内でメンタル的な部分に取り組もう」と誰かから声があがったら、伊藤さんはポカンとしていたに違いないと。そんな伊藤さんが、それから3年後、4年後に、メンタル的な部分に取り組もうとした。なぜ、ですか。創業から時間がたって、事業とは離れたところで、社内のコーチングや研修に取り組んだ背景には、何があったんでしょう?
伊藤:それは、私がコーチングを受けたから、ということがあります。
S:プロのコーチに、ついてもらった経験があるんですか?
伊藤:あります。
S:いつ頃ですか?
伊藤:社内のコーチングや研修に取り組んだときと同じなので、2015年、2016年くらいの話ですね。
S:コーチングを知らない人に、伊藤さんが体験したコーチングを説明するとして、どんな内容でしたか?
伊藤:平たく言えば、人が内省をするときに、その手伝いをするスキルを持っている人がコーチで、その人に私は、自分が内省をする手伝いをしてもらった感じです。
S:スポーツ選手が受けるような、メンタルコーチング的な?
伊藤:そう理解してもらってOKです。
S:どうしてコーチングを受けたんですか?
伊藤:学びの一環です。当時は事業が、うまくいってませんでした。VCから資金調達をすることはできましたが、お金を使えど使えど、うまくいかない。創業役員とはコミュニケーションで衝突することもあって。いまなら、その原因がわかるんですが、その当時の私は、初めて起業したときのマインドで、イタンジの経営をしていました。それが最大の原因です。
S:初めての起業は、いつ?
伊藤:2008年、24歳でした。
S:どんな事業?
伊藤:不動産仲介業です。
S:業績はいかがでしたか?
伊藤:4年間で、都内に3店舗を構える事業に成長させることができました。
S:その会社は、どうされました?
伊藤:2012年に売却しました。同じ年の6月に創業したのがイタンジです。
S:2社目の起業ですね。おいくつでした?
伊藤:29歳。
S:それから3年後、4年後くらいの31歳、32歳くらいに、伊藤さんは個人でコーチングを受けたと。
伊藤:でも実際は、不動産仲介業を一人で立ち上げた当時のマインドだったんです。つまり、32歳くらいの私は、24歳くらいのメンタルのままイタンジの経営や事業を頑張っていたわけです。そして、いろいろと、うまくいかなさ過ぎました。
S:当時に、どんなことを思ったか覚えていますか?
伊藤:限界が近いなって、なんとなく感じました。
S:事業は、うまくいってなかった?
伊藤:経費だけで毎月2,000万円、でも売上は100万。「あと一年で、ヤバいぞ」という感じで「このまま自分が変わることができないと会社がマズイことになりそうだ」そう感じたのを覚えています。そんなときに、コーチングを受けてみました。知人の紹介です。それがきっかけで私は内省するようになりました。その頃から少しずつ全体感、全体性を大事にするみたいなことへ意識が向くようになったんです。
S:クレドにある『全体性』のキーワードは、ここにつながるんだ――。
S:伊藤さんの内省力みたいなものは、コーチングを受けたことによる賜物なんですね。限界が近いなと感じた当時の自分を振り返ってみてください。どんな人物でしたか?
伊藤:野心と合理性だけの人間です笑。
S:今の伊藤さんとは結構、違うのではないでしょうか。基本となるOSがグレードアップされたというか。別な世界観なのではないかと想像するんですが、いかがでしょうか。
伊藤:そうですね。
S:伊藤さんに、そうした変容が起きていたんですね。
伊藤:合理性が活躍するというか、極めて万能な時期というのが社会人になると、あるように私は思います。一般的には大学を卒業して30歳くらいまでですかね。とくに若いうちに、それを高校生、大学生あたりで手にしたら、すごく強いじゃないですか。いわゆる、”いい就職先”から内定をもらうことができます。大人とも会話できるし、ビジネスもできる。合理性が大活躍する。でも、合理性がワークしないというか、それまでのパフォーマンスが充分に発揮されない時期があって――。
S:その時期が「いろいろと、うまくいかなさ過ぎました」そうおっしゃっていた、イタンジを創業して3年から4年くらいが過ぎた時期だった?
伊藤:はい。振り返ると、だんだんと自分がいるフィールドが変わったり、かかわる人や会社の数が増えたり、役職や地位が上がったりした時期なのだと思います。その当時に比べ私は、自分のメンタルモデルを少しは変えることができたんじゃないだろうかと思っています。当時に比べれば、いまは少しはバランスのとれた人間へ成長できたなと。
S:今の自分との大きな違いは、どこにありますか?
伊藤:野心と合理だけではない世界への気づき、ですね。これはブレイクスルーでした。
S:コーチングを受けたきっかけは?
伊藤:それで言うと私は、限界を感じる状況に直面したとき「刺激が足りない」と考え、刺激を求める行為の一つとして学び直すようにしているんです。
S:たとえば?
伊藤:早稲田や東大などの大学院の門をくぐったり、アカデミアに触れたり、長期で旅行へ出かけたりもそうです。より純粋な知識、体験を獲得しに向かうというか。未知の領域を学ぶ姿勢を私は大切にしています。その文脈で、学ぶ機会として、コーチングを知人から紹介されたんです。
S:自分の限界を突破する何かを求めていた。その一つが学ぶことだったと?
伊藤:学者でも研究者でもない私が、この手の話題を語ると、至らない考えをさらすような面もありますが、それを承知の上で話すと、ある部分では人間の合理性とは、人間が生き残るためにプログラムされたアルゴリズムの一種だと私は考えています。たとえば「合理性だけを追求すればいい。そのプログラミングの通り生きていれば、サイコーだぜ」という具合に。そうした生きかたは捉えようによっては、枠に囚われた生きかたでもある、とも受け取れます。自由意志がない、というか。人間にとっての合理的な行動は、あくまでもプログラミングのコマンドの一つなわけです。そう認知することができれば、プログラミングの枠の外の意思決定ができると私は思っています。メタ認知というか、俯瞰して眺めることをするわけです。
S:イタンジを創業して3年、4年くらいまでは、全体性への関心はなく、そうした俯瞰やメタ認知をしていなかった?
伊藤:していません。合理が正しいとは、そういうことですよね。
S:合理的であることが一番、あるいは最強であると考えてきた自分を自ら否定することには、なりませんか?
伊藤:そういう一面もあるでしょうね。
S:合理性や野心を捨てたということですか?
伊藤:そうではありません。
S:それらを残しながら認知できていなかった世界や価値を知った?
伊藤:うーん...そうですね。たとえば仕事において、私はドラッカーの考えかたを参考にしているんですが、彼が言っていることの一つに「会社の効率化をする際には、やめたほうがよい仕事は何かという問いを持つことが重要である」があります。この仕事はやめたほうがよいか。そうした問いで事業の再編、スリム化を考察します。このときのポイントは「この事業がなくなったときに会社は崩壊するか」あるいは「この仕事がなくなったら事業は崩壊するか」です。そうした問いで考えなさいとドラッカーは指摘しています。問いへの答えがNO(崩壊しない)なら、今すぐに全部やめなさいと。すべての仕事をそうすべきという話ではなく「もしスリム化に取り組むなら」という話です。効率化を合理的な視点から判断するなら、つねに私は、そうして事業を再編しています。
S:結果はどうなるんですか? 崩壊せず、スリム化につながる?
伊藤:つながるケースがほとんどです。
S:つまりは、培ってきた合理性を残しながら、それを活かす部分では引き続き活かす。ただ、すべての事業、仕事をそれだけで判断しないというニュアンス?
伊藤:近いですね。
S:それは過去の成功体験を疑うというか、自らを否定する認知でもある気がしました。だとすれば簡単なことではないように感じます。葛藤に苦しむというか、過去の信念に引き戻されるというか。「合理がすべてで、正しい」という世界観から「それだけはない」という価値や世界観をすんなりと受け入れることは、できたのでしょうか?
伊藤:受け入れるというか...うーん。私の場合は「受け入れないと、やっていられない」が近いかもしれません。ベンチャー企業の経営者という立場や責任がありますし、それだけ、たくさんの失敗をしたってことだと思うんですが。
S:失敗とは、事業や仕事における失敗という意味合いですか?
伊藤:ほかにもありますよ。メンタルモデルというか、生きていくうえでの価値観、物事の判断軸を変えてみる、調整してみるみたいな頻度も少なくはないと思うんです。
S:たとえば?
伊藤:ビジネスにおける人付き合いという意味において私は、目の前にいる相手の幸せを最大限に考えることを大切にしてきました。この原則に忠実になろうとすると、責任を負う範囲が広くなりすぎて苦しくなるんです。八方ふさがりになるというか。そういうときは、新たな出会いを減らしたり、人間関係の範囲を狭くしたりすることを試す。試したら、どうだったのかを振り返り、継続するのか違う工夫をするのか決めます。コーチングを受けてから、そういうメンタル的なことを私なりに、いろいろと試してきました。話を事業に置き換えても基本的に同じで、事業の場合は最初の起業から失敗の連続でした。ビジネスにおいても私は、実力がないまま、施策の数を打つことを繰り返してきたのだと思っています。
S:事業において伊藤さんは、どうして「実力がないまま、施策の数を打つことを繰り返すことができた」のだと思いますか。自己認識をお聞きしたいです。
伊藤:一つは先天的な性質、遺伝としての特性であると認識しています。
S:どんな性質ですか?
伊藤:失敗を恐れない性質。リスクを感じても怯まず、ブレーキを踏まないみたいな。
S:そうした、もともとの性質がビジネスにおいて強みになると?
伊藤:それだけではなく、リスクを知りながらアクセルを踏んで、”得”をした経験もあります。それによって「失敗を恐れない性質」は、強化されていくわけです。挑戦すれば失敗もするけど、うまくもいく、やればできると。起業したのもそう。何もできないけど起業したわけで、失敗と挑戦と繰り返して、いまがあります。
S:成功し続けた、という認識ではない?
伊藤:それは結果論です。当然ながら、事業の立ち上がりが遅い私としては、少しずつ自らの仮説への確信を深めていくわけですが、再現性のあるビジネスを仕組化するに至った道を振り返るなら、それは失敗と挑戦で敷き詰められています。そういう意味でイタンジの、組織を組織化することに言及すれば、そこには失敗も挑戦もなかったというか――。うーん...もう少し正確に言えば文化は、できてはいた。とても強い文化が、です。合理的で起業家精神を持った人が集まり、他人からの指示を必要としない自律駆動できる集団には、なっていました。それをチームで考えたとき、私の信念を表現したチームではなかったのです。そうした組織文化を作ることには着手すら、していなかったことは明らかでした。
S:どんな信念を伊藤さんは表現することが、できなかったのですか?
伊藤:相互理解、相手をおもんばかるとか。それらの大切さを当時の私は真の意味で理解していなかったし、それを伝えることもしてこなかった。だから当然の結果だと思いますが、そうした文化が、あまりない組織だったのかなと。
S:どうして、それらが組織に必要だと思うのですか?
伊藤:私がいたころのイタンジは、人が残らなかったからです。
(つづく/エピソード8へ)
* * *
※本企画で伊藤嘉盛が言及している内容は、過去のイタンジのことであり、現在のイタンジについてでは、ありません。イタンジの事業は成功しており、本企画全体を通じて「失敗」として描かれているのは、彼が経営者として至らなかったと感じている自らの部分のみです。それを再認識し、気づきや糧、教訓や自らへの戒めとして現経営に活かしたいという個人的な願いから言語化している側面があります。
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