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東京大学2003年国語第1問 『神なき時代の民俗学』小松和彦

 戦没者などの遺骨収集についての論考。死者に対する日本人の感情が論じられているともいえるし、日本の社会や政治のあり方が述べられているともいえる。
 問題文は平易だが、解答すべき論拠が、傍線部と離れていたり、必ずしも明確でなかったりするので、精確な読解力と表現力が試される。

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(一)「生きている日本人は、生きているというだけで、霊に対して弱い立場に置かれていたのである」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。
 第1段落には「殺されたり、人生半ばでこの世を去った人びと」や「殺した者の呪い・祟りを恐れ」「怨霊を封じ込めるために祀り」を行ったとある。
 さらに、「しかし、それだけでなく」に続き、「家族や親族、共同体のために犠牲になった者に対しても『負い目』『後ろめたさ』を感じ、その者の心境を思いやり、その霊を慰め、そのために祠を建て、神に祀り上げることさえした」とある。
 これをまとめたのが、「『慰霊』という行為は、怨霊を鎮めるというだけでなく、もっと広い意味での鎮め、霊に対する生者の心の内部に発生する『後ろめたさ』『負い目』を浄化する行為であった」という文である。そして、傍線部アはまさにこの文の言いかえとして提示されている。
 傍線部の直後の文には「(霊の目を)無意識のうちに気にしている」という句があるので、これを傍線部中の「生きているというだけで」に対応させるとより適切であろう。
 以上のことから、「日本人は、非業の死を遂げた人だけでなく自分と縁のある死者一般に対し、慰霊によって浄化すべき負い目を無意識のうちに感じてきたということ。」(67字)という解答例ができる。

(二)「慰霊団の現地での慰霊行動は、私には十分理解できるのである」(傍線部イ)とあるが、なぜ「十分に理解できる」のか、説明せよ。
 第5段落には、「日本文化のコンテキストに位置づけて解釈できない異文化の人が、その姿を見て奇妙な感じを抱くのは当然のことであろう」とある。裏返しにすれば、日本文化を共有する筆者は、その姿を日本文化の文脈に位置付けて理解することができることになる。
 「その姿」とは、「遺骨収集」(する姿)である。これは、傍線部イの「慰霊団の現地での慰霊行動」と同義であり、具体的には、慰霊碑や船上での供養を指すのではなく、「海底の沈船から引き上げられた遺骨を関係者が最敬礼で迎え、日章旗や海軍旗で覆って浜辺で荼毘に付し、お経を読んで供養し、翌日、その骨を拾い上げて骨壺に納める」ことである。
 第4段落には、遺骨収集について、「しかしながら、次のような儀礼的光景は、それを目にしたアメリカ人や現地人には異様なもの、不思議なものを目撃してしまったという印象を与えるらしい」とあるので、その前段で触れられている「慰霊碑の前に花輪が飾られ、同伴してきた僧が戦没者の霊を慰め鎮めるためのお経を読み、参列した人びとが線香をあげる。あるいは、船で海上に出て、花輪や写経を捧げる」ことについては、筆者はもちろん、アメリカ人や現地人にとっても特に違和感を覚えるものでないことになる。
 以上から、「日本文化を共有する筆者は、日本の慰霊団が行う慰霊碑前や船上での供養だけでなく、遺骨収集も日本文化の文脈に位置付けて解釈できるから。」(65字)という解答例ができる。

(三)「戦争によってこの年老いた元日本海軍の兵士たちの人生の時間の、ある部分が止まってしまった」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか、説明せよ。
 傍線部ウの元日本海軍の兵士たちが戦死した戦友に対して抱く感情は、設問(一)の日本人一般の霊に対する感情と同じである。そして、その感情こそが傍線部説明の趣旨となる。
 この感情は、「生き残って申し訳ない」という「思い」から発している。そして、傍線部の「戦争によって(中略)人生の時間の、ある部分が止まってしまった」は、「負い目を戦後絶えず感じ続けてきた」ことを意味すると考えられる。
 以上から、「生き残った元日本海軍の兵士たちは、死んだ戦友に対し、慰霊することでしか浄化できない負い目を戦後絶えず感じ続けてきたということ。」(63字)という解答例ができる。

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