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the water is wide (2)

こんにちは、こんばんは。toga.shiです。
前回のあらすじ お知り合いのAさんがやっている地域の茶の間で、スコットランド、アイルランドの民謡を演奏することになった。タイミングよく前日の練習に参加でき、いよいよ本番の日を迎えるのであった。

その地域の茶の間は、古民家である。会場にはペレットストーブと、石油ストーブがあった。それでも少し寒かったが、集まる人達も、お料理も、暖かみが感じられた。こども100円、おとな300円で、ご飯が食べられる。その日は寒い国の料理、がコンセプトであった。子どもと、そもお母さんたち。ご家族の姿が多く見られた。自然とか、天然のものを大切にしている人たちが集まり、つながりが生まれる場所、という感じ。Aさんの人柄と行動力に惹かれて、この人達が集まっているんだなぁと思った。

庭の千草
the water is wide 
サリーガーデン

を演奏した。リズムがぎこちなくなってしまうところもあったけど…ニコニコして演奏することができた。この音の響きの中にいられて、幸せだなぁ。

「ありがとうございました!また一緒にやりましょう!」とバンドメンバーにあいさつして帰った。帰り道、車を運転しながら、色々考えてしまった。

私はこれまで音楽療法に興味があったので、そういう活動にいくつか参加してきたし、自分でもやってきたけれど、その波長とは、何かが違うなぁと思った。Aさんの歌声は澄んでいて余計なものがついてないし、よい意味で力を抜いているし(だって、Aさんは音楽の他に、茶の間の運営や、食堂の料理のことにも力を注がなくちゃいけないだろうし)、言語化がそんなにいらない。力んでいない分、余白があって、そこに心地よさが感じられる…(あぁ、私はクセで言語化してしまうけど) 私は、かつて、そういう活動の社会的意義、価値の言語化に取り組もうぜ、と、大学で力んでいた時代があったけれども、そういうことをしようとすればするほど、心地よい感覚が消えていく矛盾を感じていてやめてしまった。
やっぱり私は、力を抜いたときに自然に流れ込んでくる心地よさのほうが好きで、それを大事にしていきたいとあらためて思った。どんな協力ができるかな?

それから、地域の人が集まる、雑多な場所。だけど、美味しいご飯が安く提供されて、神様に通じるような澄んだ歌声が聴くことができて。ここは 教会 とか お寺 に似ている。現代は、地域の茶の間、という形でやっているけれど、これが昔だったら、教会っぽい。で、その感覚が、やっぱり懐かしい。
私にとって、教会はたぶん、すごく大切な場だった気がする。気がする、というのは、今世ではなくて、前世、という感じがするからだ。きっと、私は教会にいた時代があったようにすごく思う。建物そのもの、というより、そこで行われていた物事や、向かう気持ち、みたいなところに共感する。
だから何?大切なのは、今、何をするかでしょ。という感じもするけれど。妙な話でごめんなさい。
でも、魂にすりこまれている力を、あらためて感じられたような気がする。

アイルランド民謡の、the water is wide が、すっかり気に入ってしまった。祈りの気持ちを呼び起こすような詩とメロディー。この曲、賛美歌にもあるそうだ。そんな気持ちで、歌っていた時代が昔あったのかもしれない。


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