事情を知ると大体のことは許せる
新しい仕事も2ヶ月が経った。
早かった〜
前の職場より時間的に安定して、今は夫と同じ土日休み!平日の夜や週末に絵の仕事や作品作りをしながら、週2回は仕事終わりにフランス語の学校に行き始めた。
この国で生きていくためのフランス語習得の時間と、人生かけて続けていきたい絵の仕事が両立できるという点でも今の仕事環境にとても感謝している。
今はひとまず日々楽しみながら粛々と作品作りや目の前のいただいた仕事に向き合っていく時期なのかなと思う。
一緒に働いている人たちもいい人たちで、コミュニケーションの中から学ぶことも多い。
最近は、他者の人生で困難な時期を垣間見た時、私は他人だからそれをどうにもできないけど、勇気を持って寄り添いたいなと思う出来事があった。同情よりもドライで、でも気まぐれではない共感というか。私はそれが苦手(同情して精神的に共倒れになる程ダメージを受けるか、全く耳に入れないということしかできなかった)
自分は自分のことばかり考えて生きてきたけど、も〜う少し、周りの人の痛みもわかる人間になりたいなと思う30歳のこの頃です。
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フランス語は相変わらずヘタッピですが、やっと度胸がついてきた。数少ない単語力を組み合わせて、段々と生活が快適になってきたヨ。
語学を学ぶとき大事なのは、なによりも飽きない工夫だと思うのですが、自他共に認める飽きっぽい性格なのでこれがまあ難しい。
でも、学ぶ上で小さく噛みしめる嬉しさみたいなものはあるなと最近気づき。それは私の場合だけど、画家の言葉や好きな映画の台詞がより近しいものとして自分の目や耳に触れたとき。
ピカソ、、、話してることわかるうう!!とか(インタビューなど)
グラン・ブルー、、、アメリカ人の話すフランス語もかわいい!!とか(聴き取りやすいし)
十代の頃から無意識のうちに触れていた作り手たちが、実はフランス人であることを知らないことが多く、今更の驚きを隠せない。
フランスすげえなって(今更)
時々なってます。
でも、ほぼ毎日それと同時に
なんで私こんなところで生きてるんだろう
っていうことは通勤しながら考えています。
フィールドワークでいうよそ者の視点。
でも、よそ者という立ち位置に意識的だから許せることや受け入れられること、チャレンジできることが多いのも確かだと最近感じている。相手の文化をリスペクトする謙虚さを持ちながら、その波を乗りこなしたいというサバイバルな精神。
私は私、あなたはあなた感。
それは日本で生きていたとしても、きっと必要な作業だ。
日本の当たり前がフランスの当たり前ではない。これはみんなわかる。
でも、私の当たり前が夫の当たり前ではない。これは時に受け入れ難い時がある。
(例えばの話!
いや実際日々ありますが)
家族など近しい人ほど難しいことも人生時々ある。
だから、私はフランスを受け入れていく作業を通して、他者を理解し受け入れる、そして受け入れてもらうという練習をしていると最近思う。
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どっでもいいけど、今後はnoteのトップのイラストも
自分の絵をちゃんと使っていこうかなと思っています。
自分のブログに挿絵を添えるようで、なんとなくいいなと!
最後までお読み頂き、ありがとうございました! このnoteではこれからの人生の過程もシェアしていきたいと思っています。よろしければぜひ応援してください。