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好きな事するのに理由が必要なのか?

こんにちは、僕です。
今日は前に書いた、「田舎暮しするって言うと言われる事あるある」の続きみたいな話なんですけどね。

なんで?

今度は都市部の人によく聞かれる事で、「なんで田舎暮しとかしたいの?なんで田舎好きなの?」とか「毎回田舎の話するけど、本当に好きなんだね。なんで?」てよく言われるんですよ。
正直ね…

「好きな事するのに理由が必要なんスか?」

僕の友人が口癖のように「好きな事してる理由言える奴は本当にその事を好きとは言えない」って言ってます。
正にその通り。だと思う。
いや、、僕達の主観ですけどね。。

仮に僕が「田舎大好き!」とか言って、「どこら辺がが好きなの??」と聞かれた時。
「空気が美味くて人が優しくて水が綺麗で野菜が美味しくて鹿とか猪がいてキジが鳴いてて人が少なくて花粉が飛んでて夕日が綺麗で空が広くてストレスフリーで云々かんぬん…」
とか言っても、聞いてる方は「へぇ〜、っで?」
てなると思うんですよ。
そこに共感は無いと思うんですよね。
それって聞いてる方だって辛くないですか?

共感を得られるか

それよりも、理由聞かれて
「ただただ好きなんだよ。(ニコ!)」
って言われたほうが理解できると思うんですよね。

例えば僕はレーズンが好きじゃないんですけど、隣でラムレーズンアイスを食べてる人に「美味しい?」って聞いたとします。
そこでその人が
「このラムレーズンはレーズンの香りとラム酒の香りが非常にバランスよくマッチしていて、しかもこのラム酒というのが最高級の…」
とか話始めたら、間違いなくそいつ口の中に子羊の肉を突っ込んでやるだっちゃ!
でも、目を輝かせながら一言「うん!すげえうまい!!」って言ってきたら、この人はそんなにラムレーズン好きなんだな~、その感覚わかるな~って共感をすると思います。

自然と好きな事やってるのって…


だから、そこに論理的な「理由」なんてものは無くて良いんじゃないの??って思うという事なんですよね。
つまり

・「何で?」と聞かれた時に明確に理由なんて無い。
・理由なんて無いけどただ「好き!」ってだけで共感してもらえる。
・「共感」は個別の事柄じゃなくて、「好き!」という感覚に対して。

という事なのではないだろうかと思うんです。

それと、少し話が違うかもですけど、嫌な事が有っても好きな事してたり、嫌な事の先に好きな事が待ってたりすると、それだけで「ま、いっか」ってなるんですよね。
それも理由なんて無いんですよね。

感覚の達人

この、「なんで好きなのか?という事に理由なんて無い」って事は、子供達を見ている時に凄い感じるんですよ。
子供達は自分が好きな事をしている時って態度に凄い出ますよね、めちゃくちゃ目がキラキラしてるのわかりますもんね。(目にラメ注入したのか?って思う)
逆に学校行事とか、大人の顔色伺って無理して楽しそうにする時もすぐにわかります。(すぅんげぇ嫌な顔しますよね)
この、子供の行動をもっと大人が真剣に学んで、何故子供達がその行動が好きなのかを、大人は自分なりに分析してみるのって大切なんじゃないのかな…って思うんですよね。

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逆に、大人も子供から学んで真剣に遊んで楽しんでると、子供はもっと「楽しい事やりたい」って思うはずだから、またその相乗効果で…ってなると思うし。

最後に

僕はこの記事を主観でしか書いてないので、皆さんの中には「いや、好きな事は明確に言えるし、言えないヤツは本当にそれが好きとは言えない」って人もいると思います。
確かに、そういう意見も有ると思うんで、全然良いと思います。

ただ、分かってもらいたいのは
自分の中に有る本当の「好き」を見極める事ってなかなか難しいと思うんですよね。
それをちゃんとわかっているのは子供達で、僕たちも昔子供だった。
子供だった時に好きだった事って、何か明確に説明できましたか??って事。
僕はできなかったんですよ。今もできません。

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