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おむすび

妻は年に約4000個のおむすびをこしらえていた。
娘のバレエ、息子のサッカー、僕のお昼、自分のお昼用だ。大きさはコンビニおにぎりの倍くらい。毎日5合から8合のお米を炊いた。娘と息子のおむすびは休日には更に量が増えた。


今でも毎朝家族の分をこしらえているが、3割くらいの量ですむようになった。それでも、えらい数だ。毎朝、限られた時間でそれだけこしらえるのだから、手際も無駄がなくシステム化され、流れるような動き。そして、必ずフィニッシュは妻の「手」で握られる。
いや、「むすばれる」。


おむすびは、「お結び」なのだそうだ。そして、おむすびは女性のつくったものに限るらしい。お米とお米を結ぶのに、女性の力加減が絶妙なのだとか。男性がこしらえたのでは力の加減が強すぎ、お握りになってしまうのだという。そういえば、たまにぼくがこしらえると、今日のはいつもよりギュウギュウだった、と子どものキビシイ批評をいただいたものだ。おんなじふうにこしらえているハズなのに、やっぱり妻のおむすびにはカナワナイ。


ひとくち頬張れば、ぱらぱらっと口のなかでお米がほぐれていく。
梅干の香りと海苔の香ばしさが口いっぱいに広がり、発芽玄米の歯ごたえがプチプチして、ひと噛みするたびにもちきびの滋味がにじみ出てくる。たまらないですな。ひとりで食べていても思わず、美味っ!うんめえなこりゃ、と笑みがこぼれる。朝の台所風景がよみがえる。


娘が誕生してから、水とごはんにこだわった。家庭の味にこだわった。手作りにこだわった。娘に、自然に丁寧に作られた食べ物の美味しさがわかる大人になってほしかったからだ。

そこで出会ったのが、伊賀焼土鍋の「かまどさん」。


3合鍋で炊き始めてから炊いたごはんの美味しさにおどろき、電気炊飯器を使わなくなった。当然、予約機能なんかはついていないから、晩に米を研いで浸しておいてから朝早起きして炊飯するのは、言い出しっぺのぼくがやることにした。
思惑通り、ごはんは家族みんなでつくるものとなった。


土鍋から勢いよく湯気が吹き出し、ふたのまわりに泡が吹きこぼれんばかりに溢れてきたら頃合いだ。火を止めて蒸らすこと20分。タイマーがなったら炊き上がり。

「炊けたよ~。」

声をかけると、袖をまくりながら妻があらわれる。いよいよ真打の登場だ。
ふたをとり、炊きたてごはんの湯気がぶわ~っとあがる。しゃもじでごはんを切り返すたびに、ごはんの香りで部屋がいっぱいになった。


今日もまた、妻は家族の笑顔を結んでくれる。

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