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朝練

息子は小学1年の終わり頃からサッカーをはじめた。
サッカーの世界で、これは年齢的に遅いそうだ。上手いとされる子は皆、就学前にサッカーをはじめていた。
上手くなって試合で活躍したいという息子と相談し、毎朝一緒に朝練をすることにした。サッカー素人のぼくは、サッカー指導関連の本やDVDを買い漁り、トレーニングメニューを息子用にアレンジ。週末の試合の内容を記録し、トレーニングプランに落とし込み、ノートに蓄積していった。そして、それは息子の成長日記にもなった。


サッカーの世界は過酷だ。
年齢が上がるにつれ、セレクションなどといって、子どもを大人の好き勝手にふるいにかける。人間を物の様に扱うそのやり方は、サッカー先進国であるヨーロッパの育成システムを真似ているとのことだが、日本のそれは、軍隊式精神論をふりかざす旧態依然とした人格も指導スキルも未熟な指導者が、己の勝利の為に子どもを選別していることが少なくないように感じて疑問に思う。ヨーロッパなどでは、プレーヤーズファーストが徹底しているそうで、育成年代別のこころと身体の特徴を徹底的に学ばないと、そもそも指導者足り得ない環境が整っているようだ。システムの下地が根本的に違うのだ。


親としては、子どもの人格形成のために年代毎のチーム環境が良いかどうか目を光らせる必要を感じるが、息子がサッカーを大好きなことに変わりはない。年齢が上がるにつれ楽しんでプレーすること自体が難しい環境で、高校生になった息子は幸いまだサッカーを続けることができている。


朝、日が昇る前の透き通った空気。朝露の芝に配置してゆくコーンが濡れる。
親子ふたりだけの楽しい時間。

6才の子が眠い目をこすりながらも、辺りがまだ暗い中よく毎朝起きてきたものだと思う。息子が夢中になれるように、毎日トレーニングメニューに工夫を凝らした。楽しくなければ続けられるものではない。
あの朝練の時間が、息子とぼくのゆるぎない信頼関係をつくったのだろう。ドラマなどで親子がこころを通わせる描写としてよく使われるキャッチボール。あの時間はきっと、ただのサッカーの朝練などではなく、息子とぼくのキャッチボールの時間だったのだ。


中学高校と、取り巻くサッカー環境がどんどん厳しくなり、さらに思春期を迎え、挫折や迷い、誘惑などさまざまな荒波があるなか、ありがたいことに一度たりとも息子がぼくに心を閉ざしたことはない。真の成功は、親子のこころの真ん中を結ぶ宝物のような時間を共にしたことなのだろう。


今日は初めての全国高校サッカー選手権予選。息子がどこまで楽しむことができるか、見守っていきたい。

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