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麒麟と明智光秀の考察

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 皆さん。こんにちは。
 本日は、最終回を迎えた大河ドラマ。『麒麟が来る』について考察していきたいと思います。とはいえ、多くの視聴者が今回の大河ドラマについては幾つも考えを巡らせ論議しているので、最終回を迎えた今、僕がなにかを言うのも野暮だと思います。ですから、今回は歴史的知識は、さほどなく、大河ドラマ初心者の視点から観た、明智光秀という人物。本能寺の変の魅力そして麒麟について考えていきたいと思います。※この記事は4755文字で構成されています。 

 ①日本人は本能寺の変と明智光秀が好きである。

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 まず、認識として、これは事実であると言っても過言ではないでしょう。
 小説や著作、歴史的資料でも本能寺の変は日本史全体の中では小規模な事件にも関わらず、ページを多く割いて熱く語っているからです。ウィキペディアを引用してみましょう。(下記引用)

 本能寺の変は、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に滞在中の織田信長を家臣・明智光秀が謀反を起こして襲撃した事件である。信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた信長の嫡男で織田家当主信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に移って抗戦したが、まもなく火を放って自刃した。これにより織田政権の中心人物が失われ、6月13日の山崎の戦いで光秀を破った羽柴秀吉が豊臣政権を構築していく契機となった。

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要は上司の寝込みを襲って織田をぶっ殺した。

 読者の皆様は、ここまで、読んで思ったのではないでしょうか?明智光秀って歴史に対して大した事をしてなくない?
 思い返してみてください。歴史の教科書に残る人達は、それはもう、素晴らしい偉業を成し遂げています。
 世を太平したり、戦国の世を治めたり、発明したり、法律を作ったり、無形、有形に関わらず、僕達の生活の基盤を創りだした人達と言えるでしょう。
 では、明智光秀はなにをしたのか?上司の寝込みを襲って当時のカリスマを殺しただけです。その上、後日、自分が天下を取る訳でもなく、呆気なく猿こと羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗けてしまっています。歴史において敗者が色濃く描かれことは、滅多にありません。
 なのに本能寺の変の逸話は後世にまで熱く語り継がれている。これは、すごいことです。

明智光秀という男について。

 光秀を馬鹿にしてしまったように書いてしまいましたが、繰り返しますが、日本人は明智光秀こと本能寺の変が大好きです。何故か?彼に、日本人特有のサラリーマン精神を垣間見るからです。

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 私達の多くが知っているであろう彼の本能寺の変の動機は怨恨説です。信長の度重なる折檻(パワハラ)で積り積もった怨恨が爆発。反逆してしまう。その上、なんと叛逆は成功。登り龍。織田信長を斃してしまいます。

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俺なにかやっちまいました……!!?

日本人はこのいじめられっ子からの大逆転劇が大好物です
 

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敵は本能寺にありッ!!!

前に書いた記事。『鬼滅の刃は何故、共感を得るのか?』

https://note.com/todorero0620/n/n9516ba1c44e7

でも記しましたが、物語りの賛否は今を生きる読者が作中の登場人物に共感できるかが重要になってきます。これと、同じような構成をした事件に赤穗事件というものがあります。正月の定番番組、忠臣蔵です。

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 忠臣蔵の内容は自分達の上司が、その上にいる社長にぶち切れをして、刃傷沙汰をおこしたことを理由に切腹させられたのを、ガチで気に食わなかった部下達が集まって社長に討ち入りするという話です。過程こそ違いますが、上司のパワハラに耐えかねてやり返すスタンスは同じといえます。

 では、次に社会環境を見ていきましょう。
 戦国時代の社会システムは封建社会。封建社会とは強引に通訳すれば、一部のサディスト。大多数のマゾヒストで構成された社会です。

 これは現代の社会基盤にもなり、私達の生活に強く影響しています。殿様(社長)がいて、家臣(サラリーマン)がいる。一部のトップが指揮を執り、国を動かしていく。ある意味完成されたシステムです。先頭多くて山登らず。トップか精鋭なのは合理的です。

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 ですが、完成されて、長年使われてきたシステムだからこそ、その仕組みに組み込まれた歯車(人達)は軋みをあげます。不安、矛盾、降り積もった怨嗟は発散を求め、時には暴走を。そして時には妄想を求めるのです。ここで言う妄想は自分に似た誰かが、活躍する共感できる夢と言い換えることができます。その夢の一端を当時、本能寺の変(明智光秀)が担ったと考えると少し面白いかもしれません。

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 年貢減らせ馬鹿野郎!!(暴走一揆の方々)

 以上の観点から見て明智光秀は主役には成れないが、民衆が共感できる人物だということが分かり、当時の時代背景に合った人間であることが分かります。
 
 しかし、これだけでは、本能寺の変がここまで、後世に残る事件(物語り)には成りえなかったことでしょう。本能寺の変が何故ここまで愛されたのか?

そこには、人の好機と心理を揺さぶるミステリーがあるのです。


本能寺の謎

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 日本史最大の謎。明智光秀の弑逆には謎が多く含まれています。世間は怨恨説に傾倒していますが、創作である可能性も高く、謎が多い事件です。

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怨恨説やなかったら。なんで信長殺したん?

 事実、みんな、そう思うでしょう。僕もそう思います。しかも、真実を知る謀反人。明智光秀は故人。事件の動機を書き記した遺書もないのが実情。事件は迷宮入りしています。

 とまれ、この記事は本能寺の『謎』を解明することが主題ではないので、それは棚に上げ、人が、『謎』が好きだということの方を究明していきましょう。
 
 そう。人は謎が好きな生き物です。解けない謎。迷宮入りした謎を深堀りしていく生き物です。

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令和になってもミステリーのジャンルは大人気ですよね。

 光秀のような、共感を呼ぶ人間が起こした事件なら尚更です。何故あの人はあんなことをしたのか?謎を解く鍵はないかと評論家達は事実を調べます。状況証拠を繋ぎ合わせ、事実をこねくりまわします。でも、いくら調べようと真実は闇の中。謎は深まるから妄想は誇大化していきます。妄想はズレて空想に成り果て、副産物を産み小説や軍記物等にも形を変えていき、結論。事件は神格化。みんなの都合のよいエンタメ素材になっていくのです。

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明智光秀を題材にした創作の多いこと。

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クラスはきっとアヴェンジャーですね。

 ただ都合のよい素材ということは、裏を返せば愛されているということでもあります。本当に嫌われものなら、これ程までに認知されるわけがないからです。愛情の反対は無関心とも、言われていますから、これは明智光秀と本能寺の変が愛されている証とも言えるでしょう。

 明智光秀という男と本能寺の変を考えていくと、光秀はカリスマに成れないが共感を集める人物であったこと。
 本能寺は動機が分からないから魅力的だということが察っせられます。だからこそ明智光秀と本能寺の変の謎が合わさり、付加価値となり話題性を集め、ここまでの後世に伝わった。と解釈できるのです。


麒麟について

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 では、最後に大河ドラマの主題(テーマ)となる『麒麟』について考察していこうと思います。作中では、具体的に言及されなかった麒麟についてですが、結論から先に述べてしまうと、麒麟の正体は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人だったのではないか?と思っています。

麒麟についてのウィキペディア。(以下参照)

概要。 

 麒麟は、中国神話に現れる伝説上の動物(瑞獣)の一種。泰平の世に現れる。獣類の長とされ、鳥類の長たる鳳凰と比せられ、しばしば対に扱われるただし『淮南子』によれば、応竜は建馬を生み、建馬は麒麟を生み、麒麟は諸獣を生んだのに対し、鳳凰は鸞鳥を生み鸞鳥が諸鳥を生んだとされており、麒麟と対応するのは正確には鳳凰より生まれた鸞鳥となっている。日本語と朝鮮語では、この伝説上の動物に似た実在の動物も「麒麟」(キリン)と呼ぶ。

外見。

 外見の形は鹿に似て大きく背丈は5mあり、顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、麒角、中の一角生肉。背毛は五色に彩られ、毛は黄色く、身体には鱗がある。古くは一本角、もしくは角の無い姿だが、後世では二本角や三本角で描かれる例もある。また、日本では東京都中央区の日本橋に建つ麒麟像が広く知られているが、この像には日本の道路の起点となる日本橋から飛び立つというイメージから翼が付けられている。

性格。

 普段の性質は非常に穏やかで優しく、足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌う。神聖な幻の動物と考えられており、1000年生きるという。動物を捕らえるための罠にかけることはできない。麒麟を傷つけたり、死骸に出くわしたりするのは、不吉なこととされる。

ここまでがウィキペディア引用。

 物語り上、麒麟の伝説は世を泰平に導く存在と定義されます。素直に歴史的な史実を考証し当てはめていくと、麒麟の正体は織田信長ということになります。織田信長は麒麟という字を具現化した花押(麟の花押)を使用しています。そして将軍足利氏にかわってみずから天下を統一し新しい世の中を創ろうと願望を抱いていたためとされているからです。

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織田信長の花印。

 しかし、実際、信長は戦国を平定しておらず、道半ばで本能寺で自刃しています。この構図から。麒麟、信長説は違う気がします。
 では、天下をとった豊臣秀吉が麒麟だったのか?彼は戦国時代の覇者には成りえましたが、自身が亡くなった後、徳川家康に豊臣家を滅ぼされています。戦国の世を完全に平定したという意味では少しパンチが弱い気がします。
 ならば、江戸時代を設立。その後300年平定した徳川家康が麒麟だったのでしょうか?結果論的に見て、彼こそが麒麟だと答える方も多いのではないでしょうか?しかし、彼の生い立ちや天下を平定するまでの期間を考えると、その過程で血が流れすぎており、かつ、彼だけでは戦国の世を平定できなかったとも思います。

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 有名な句。「泣かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」も麒麟にマッチしないイメージです。

 麒麟とは誰か?戦国の誰かに特定しようとすると、どこかしらなんらかの違和感を覚えます。ですから、ここで一旦、登場人物ではなく麒麟視点で考えてみようと思います。
 
 僕が注目したいと思ってるのが、麒麟の外見です。麒麟は竜、牛、馬など数種類の動物が複合してできた神獣です。麒麟という生物は一つの生物ではなく複数の集合体。ファンタジーで例えるならキメラなのです。

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 創作上、ファンタジーの世界では、キメラは人間が生物を合成させて造ったモンスターで登場することが多々あります。

 物語り終盤。帰蝶は「信長様を創ったのは父(道三)と光秀だ」と答えます。麒麟は空想の概念。世の中に存在しないから人が創るか導く(祀りあげる)しかなかった。帰蝶の言葉からは、そんな含みがあるようにも思えます。
 この仮説。麒麟=キメラなら、麒麟該当者が複数人でも納得できます。麒麟は人によって導かれ、創りあげられた者だからです。そして主役、明智光秀は、その麒麟の水先案内人(祀りあげる者)だったのではないでしょうか。

 長々と語りましたが、以上が僕の『麒麟が来る』について明智光秀と本能寺、そして麒麟についての考察であります。本作はNHK大河ドラマの主役に明智光秀をそえるという異色な組み合わせでしたが、本能寺の変への布石や麒麟という抽象的な表現を使って面白く構成されていた作品だと思いました。

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スタッフロールの隠れ麒麟の等も話題になりました。

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スタッフの皆様。お疲れさまでした。

では、またね

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