ESGは途上国の労働環境を改善する要因となり得るのか(後半)
前半でナイキの事例をあげて、サプライヤーがやってることであってナイキがやっているわけではないという言い訳は通用しないこと、崇高なステイトメントを発表するだけでは十分ではなく、実際に実行されているかの実態が大事であり、実際に決めたルール通りに運用させるためには現場の力学を把握する必要があることなどを述べた(…はずだ)。
後半ではもう一つ、同じくアパレルのH&Mの事例を軽く紹介し、ぼくなりの仮説を披露し、現在かかえている課題を共有したい。
H&Mの事例
2015年にNGOがH&Mのバングラデシュの工場の労働環境改善の遅れを非難する声明をだした。
内容と時系列をかいつまむと、
・2010年や2012年にバングラデシュのアパレルの下請けを行う工場で100名以上の人が亡くなる事故が発生。それ以前にも建物崩壊などの事故で労働者が亡くなる事故が多かった。
・これを受けて、発注元の大手アパレルメーカーやNGOなどが発起人となって工場の安全性を上げるイニシアティブ(Accord)を発足。
・このイニシアティブでは以下の取り決めがなされている。
①発注側と受注側双方が相当の期間内に工場に防火扉を設置するなど安全性を改善する義務を負う。
②受注側に改善する資金がない場合等は、発注側が資金援助などをして期限内に改善しないといけない。期限内に改善がなされない場合は、その工場との取引を停止する。
③独立した検査機関が改善状況を視察し、現状をウェブサイトにアップする。
・ところが、H&Mは改善期限が過ぎても改善されていない工場に引き続き発注している!
という流れ。H&Mはこのイニシアティブの発起人のうちの1社であり、マーケットや社会的責任のリーダー自認していただけに衝撃が大きかった。
下請け工場だけが改修義務を負うのではなく発注側も同じ責任を負い、改修できなければ取引停止、改修の進捗はウェブサイトで公開されているという強い内容にもかかわらず守られていなかった。
当時、H&Mはバングラデシュ内に229の提携工場を持ち、プラチナ、ゴールド…などと工場をランク付けしており、同国内には56の長期的パートナーシップを結んだゴールド以上の等級の工場があり、それら56の工場で6割の製品を製造していた。しかし、そのトップ56の内32の工場で計2,000件以上の構造上の違反があり改善がなされていなかった。事故が起これば複数の死傷者がでるというリスクをH&Mはしっかりと認識しているにもかかわらずである。
考察
このH&Mのケースはここまでやってもダメなのかという徒労感がある。イニチアチブではおそらくナイキのケースの反省から、単にサプライヤーである下請け工場にのみ責任を求めるのではなく、発注側にも改修責任を負わせることで、単なる市場主義(価格、納期、品質で受発注が決まる)にならないように工夫され、両者に改修に取り組み期限内に改修されなければ取引停止することを言質をとって署名させ、さらに実際の進捗を検査し状況をウェブサイトに随時更新することで、プレッシャーも与える仕組みにしているのにダメだった。
これ以上どんな仕組みを用意できるだろうかという気までしてくる。履行されてなければなにかしらの金銭的罰則、BBCやNYタイムスなど国際的なメディアに告発する条項も付しておくべきだったのだろうか。
あまりに厳しい条件を付すと署名するアパレルメーカー数が減ってしまうし(実際このAccordにもウォルマートなどは参加せず独自基準をつくることとしている)、所詮は下請けで弱い立場ではあるので、発注側から高コストだとみなされるとどこか別の国に製造拠点が移されてしまうことになりかねない。
協定でできる範囲はAccordがベストであり限界なのではないかと思う。実際それまでの様々な協定に比べ、履行に強制力を付したりかなり画期的であった(改修状況が公開されているウェブサイトのトラフィックがもっとあり、工場の主要取引先がわかりやすく表示されたりすると、結果は違ったのかもしれないが…)。
これは以上は、やはりナイキのケースと同様、まったく利害関係のない第三者の監視によるプレッシャーがものを言うのだろうと思う。ナイキのケースでは再三の告発により、世論が動き、ナイキというブランドにネガティブなイメージがついた。それにより売り上げが影響し企業に具体的な損害がでた。そこに至り、ようやく改善するインセンティブが生まれた。
H&Mのケースでもブランドイメージには悪影響を与えた。開発を学ぶ人の間では、「バングラデシュ、アパレル、事故」というキーワードではまずH&Mの名前がでるようになっている。告発から7年ほど経って、H&Mがどう変わったのかを知るのは少し難しい。H&Mのウェブサイトでも取り組みをオープンにしていないし、当時のリリースは削除しているようで追えない。しかし、幸か不幸かこのSNS時代、こういった告発がしやくなっているように思う(あまりにも数が多かったり、SNSという特性上は人々は数日でその話題を忘れてしまったりするが…)。
協定の履行を含め、ソーシャルグッドな取り組みが実際に行われているかというのを企業のたんなる口約束で終わらせるかどうかは、どういった協定がなされているか、仕組みが作られているかに関わらず、社会からの監視が必要なのだろう。
このナイキやH&Mの事例というのは氷山の一角に過ぎない。以前、カカオ農家の生活を支えるために、あるイギリスのチョコレートメーカーが市場から仕入れるのではなくフェアトレードで直接仕入れると宣言したが、ふたを開けてみれば、市場平均よりも安く買い取っていたという事例もある。
「何を言ったかではなく、実際に何をやっているか」を多くの人が知る仕組みが、社会を次のフェーズへアップデートする要素ではないかと思う。そしてその仕組みの1つが第三者による告発であり、それにより世論が動くことなのだろうと思う。
ぼくたちは、民主主義というのは、投票で選ばれた人が他の人を代表して物事に取り組むものであって、投票してぼくらの仕事は終わりと思っているフシがある。けれど、実際はきちんと働いているか、適切に運用されているか常に監視しないといけない。選ばれた一部の人だけではなく、文字通りみんなでより良い社会をつくる不断の努力が必要なのだ。
まとめ
前半でESGというのは、長期的に成長していくために予測し得るリスクは取り除きましょうという取り組みだと述べた。異常気象や不正会計、炎上案件で企業の株価が下落したり企業イメージが悪くなるのはいただけない。投資家は投資先企業に安定した成長と収益を求めている。少しでもリスクを減らすために、対策可能なリスクに取り組み、短期的には利益を圧迫しても長期で見れば安定成長が見込まれる事業にしましょうという、言ってしまえば後ろ向きな投資がESGだ。
これは決してESGが儲からないということを意味しない。何年もかけて国際機関や金融機関のワーキンググループがESGはきちんと利益を生むのか、受益者の利益のためだけに職務を遂行する受託者責任に違反しないかということを議論して理論武装して乗り越えてきている。平易な言葉でいうと当局のお墨付きであるし、傍流の投資手法ではなくこれからますますシェアを伸ばす領域である。
そのESGの中で、ぼくはS、Social(社会)にフォーカスして現場での取り組み具合をざっとではあるけれど眺めてきた。課題は多い。パブリック・リリースで耳障りの良いことを書いていても実態は残念なこともある。大企業ですら口だけなこともある。
それでもこのESGという潮流は、これまでよりもいくらかは社会の注目が弱い立場の人たち(この場合は下請け工場の労働者)に向く。これからもESG関連の新しい投資商品が登場し、先進的な取り組みを行う企業の様子がニュースで取り上げられるだろう。現在ですら、運用されている資産の4分の1がESG関連であり総額は23兆ドルにのぼる。
ぼくたちに求められているのは、より良い社会を作るためには、それらに満足せず、実際にその企業が何をしているのかを監視することであり、透明性を求めることであり、場合によってはボイコットも辞さない強い姿勢と連帯なのだろうと思う。それが企業に対し、物事に真摯に取り組むインセンティブを与える。
もちろん、それらですらうまく働いていない分野もまだある。炭鉱労働などは典型で、リチウムなどスマホやEV(電気自動車)などで需要がますます上がっているのに、その炭鉱の労働環境は変わっておらず、むしろ悪化していたりする。
これは、社会運動を起こすためには人々の共感が必要なのだが、リチウム採掘の場合は最終製品との距離が遠いからであったり、特定のブランド(企業)に結び付けられていないが故に運動も起こしづらいのかなと想像する。
難しい。