見出し画像

日本のお茶の文化はカリブで理解を得たか?お茶をめぐる話

先日、天皇誕生日を祝う大使館主催のイベントがセントルシアで執り行われた。セントルシアの社交界や政治家、各国の大使館の大使を招待してのイベントだった。

ぼくら協力隊員も招待していただき、お寿司を堪能した。おいしかった。感動した。

それに関連して、何日か前にセントルシアの映画観を貸し切って、ジャパンナイトとして日本映画の上映会が催されたらしい。ぼくはセントビンセントにいたから詳しくは知らない。

その時に上映されたのが日日是好日という、お茶の映画。

大使館主催のイベントであるし、日本文化の紹介の意味合いが強いのだろうと思う。観た人によると、日本人にも難しい、繊細な映画だったそうだ。

カリブの人は分かりやすいのが好きで派手な演出が好きだから、ウケを狙うのならドラゴンボールとかアニメで良かったのでは?とも思うんだけど、そういうのは既に知ってるだろうから…ということなのかもしれない。詳しくは知らない。

せっかくなので少し、ぼくの知ってるお茶の話をしようと思う。

日本では茶道。茶の道。剣道は剣の道、柔道は柔らの道、日本人は道に例え仰々しくこしらえるのが好き。茶道においてはお茶の味よりも作法を重視するあたり、中国やイギリスとは異なる。

例えばイギリスの紅茶ならミルクを先に入れるか後から入れるかで大論争になるほど味へのこだわりがあるし、中国茶でも同じように茶器をお湯で温めてから茶葉から茶を抽出したりと、いかにおいしいお茶を飲むかに注目しているのに対し、日本の茶道というのは、畳1畳分は6歩で歩くのが美しいとか、俺の茶の淹れ方の方が宇宙とつながっているとかワケの分からんことを競ってきた歴史がある。味はそっちのけで、いかにカッコよく茶をこしらえるかに注目してきた。占いにしてみてたり、飲み方から性格診断のようなものをしてみてり…いや、うまいお茶作れよとツッコみたくなる。

アホやなあと思うんだけど、それだけ無駄なことに費やせるのはそれだけ生活に余裕があるということであり、豊かだったのではとも思う。実際、茶道は金のかかる趣味として、かの豊臣秀吉は息子に向けて「鷹狩り、女遊び、茶道は身を亡ぼすから手を出すな」的なことを手紙に書いているし(※ちょっとうろ覚えで自信がない…)。当時から金のかかる趣味だったんだろうと思う。茶器とか。

茶の起源はもちろん中国。紀元前ごろから茶は飲まれていたようだ。その後、9世紀初めに最澄(比叡山延暦寺)が日本に茶を持ち込んだとされる。日本の茶の文化はそこから始まった。

欧州に伝わったのはもっと後のことで、江戸時代に日本から伝わったらしい。イーストエンドからもたらされる、茶というものはさぞ超高級品だったろうと思う。

それをアヘン貿易(関連記事:シンガポールを創った男)で茶の取り扱い量を増やし、アヘン戦争勃発後は、中国から茶の木をインドやスリランカに持ち込み、そっちで茶の栽培をするようになった。そうして茶は多くの犠牲の下にイギリスで一般的な飲み物になった、というわけ。

ちなみに、紅茶とウーロン茶は同じ茶葉で、その発酵度合いによって紅茶・ウーロン茶・緑茶となる。それぞれざっと全発酵・半分発酵・無発酵だったかな。

緑茶(日本茶)は発酵させていない。だからなのか、紅茶やウーロン茶(中国茶)に比べて香りが弱く、味も弱い。良く言えば繊細なんだけど、それじゃあグローバルで勝ちにくい。だってわかりにくいから。それに、おいしい日本茶を淹れるには75度のお湯に何秒茶葉を…みたいにめっちゃ難しい…。75度ってどうやって測るの?って。

でもやっぱり世界で売りたいし、知ってもらいたいしっていうので、ティーバッグにして沸騰したお湯で70秒って簡単にホンモノの日本茶の味が楽しめるようにして売ってるところがあった。(なんていうのだったか忘れてしまった…)

そのお茶は、さっきも書いた通り、紅茶や中国茶と同じカテゴリーだと勝負するには厳しいから、視点を変えて、発酵していない分、緑黄色野菜としてみたときに栄養価が高いのを売りにして、水にはその栄養分は溶けないからティーバッグから茶葉の粉が漏れでるようにして、ケールのスムージー的なのと同じ土俵で勝負してケールと同等の栄養価でケールよりはるかに飲みやすいけどどう?って売り方をしてるらしい。へぇーと思いながら話を聞いてたのを覚えている。

ちなみに、マテ茶はアルゼンチンとか南米のお茶で先住民が飲み始めたものだけど、マテ茶の淹れ方にも意味があるそうで、

シナモンを加えたものなら「愛してる」
はちみつなら「結婚してほしい」
ぬるかったら「会いたくない」
コーヒーと混ぜてたら「仲直りしたい」

という意味になるそうだ。

いやぁ、マテ茶文化圏の人たちとはお茶をコミュニケーションのきっかけとして使うのではなく、コミュニケーションそのものの一部に取り入れる愉快な文化を持つ者同士仲良くやれそうな気がする。

奥が深い。

ちなみに日本で茶の書物といえば、岡倉天心。

まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜を聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。
― 岡倉天心 ―

冒頭で、「なんかさクソみたいな世の中でさ、希望もないけどさ、お茶でも飲んで妄想に耽ろうよ」って述べててひどく好感を持った。

※茶の本は岡倉天心が100年前に欧米人向けに茶道を紹介した本なので、グローバル活躍する方々は自国の文化の紹介のためには必読書の1つ。

サポートはいつでもだれでも大歓迎です! もっと勉強して、得た知識をどんどんシェアしたいと思います。