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難しいことからやらないと

赴任後1年が経ったので第3号報告書を作成している(※)。

第2号報告書を出した時に作成した活動計画の進捗具合を記入するのだけど、結構計画になかったことをしようとしてる。状況は大きく変わったわけではないけれど、ぼくの中で考え方が変わった。

第2号報告書を出した時と言うのはほんとに全然うまくいってなくて途方に暮れかかっていたから、控えめで現実的な計画をした。視覚障害者の所得向上につながる新規事業やPR活動がわざわざアナウンスできるレベルでできる目途がまったく立たなかったのだ。

なので、バックオフィスの機能を強化して、事務作業のマニュアル作りをして属人的な構造を排し合理化して、財務状況の透明化を図って、むだな支出を減らすことで資産状況を改善するようなプランを描いた。

これを普通の組織でやろうとするとかなりの抵抗が起こるものだけれど、我が視覚障害者協会の場合は、非効率なことが多くみんなめんどくさいなと感じているし、そもそも権力闘争できるような規模でもないから十分可能に見えた。

そして、これができればぼくがいた2年間も決して無駄ではなかったといえるだろうし、ぼくは商売人だから電卓叩いて○○が儲かりそうだという判断はできるけど、その○○という商品を実際につくるのはできない。

次はそういう手工芸なりなんなりできる人を呼んだ方がよいとバトンを渡せればいいかと思っていた。マーケティングって専門職だから。総合職みたいなふわっとしたポジションじゃないから。なんでもかんでもできるわけじゃない。

以前のnote「1年目にできたこととぶっちゃけた心境」でも書いたけど、それでダメだと言われれば、それはぼくの責任じゃなく、ぼくを派遣したJICAの責任だと割り切ることにした。だってぼくは、セントビンセントを志望したわけでもないし、障害者支援ができるとは一言も言ってないから。

けど、時間はかかったもののテレビ取材を受けることができたし、その動画をFBページに貼ることもできた。そしてバナナの繊維を使ったハンドメイドも課題は山積してるけどなんとかなりそうなカタチはできた

歩みは遅いし、失敗続きだと胃が痛くなるくらい焦るし精神的にしんどいことばかりだけれど、現状か細いことしかできてないけれど気づいた。

PR活動にしろ所得向上につながる彼らの新規事業にしろ、たぶんぼくしかこの国では、この業界ではいないだろうなと。バックオフィスの強化は別にぼくじゃなくてもこの国の誰かが真剣に手を貸せばなんとかなる。それにそれらは別にボトルネックになっていない。つまり優先度は低い。

けど、認知を獲得してからのPR活動はこの国の人たちには次の段階のPRという発想はないし、障害者の所得向上に取り組んでるのって厳密な意味でいうと現状ぼくしかいないだろうし、ぼくの帰国後は誰もいなくなる。優先度高い。

めっちゃ難しいし、自分の不器用さに嫌気がさすことが多いけれど、ちゃんと現実と向き合わないといけないよなと思った。

戦略とは、戦いを略すと書く。つまりやらないことを決めて、すべきことにリソースをぶっこむ。リソースはぼく1人だからバックオフィスの強化も同時進行できない。あとまわし。

それで結果がでなかったら仕方ない。最後の3ケ月くらいでバックオフィス機能を駆け足で整えるので良いような気がする。

そういえばぼく、面接で「強みは何ですか?」と聞かれたとき、「…諦めの悪さですかね」と答えたんだった。

あぁ、いつまで経っても楽にならんのがつらい。


※他の事務所の事情は知らないが、うちの場合はいわゆる首都研修が終わって実際に派遣先に派遣されてからカウントしている。

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