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現場で働く援助関係者におすすめ!「クアトロ・ラガッツィ」

いろんな角度から読める本だと思う。戦国時代の日本がどんなところであったのか、当時の日本人はどんな人たちだったのかを知ることができるのはもちろん、ぼくはイギリスへ留学へ向かう1人の学徒として天正少年使節に自分を重ね、開発ワーカーの卵としてキリスト教の宣教師が日本という文化も価値観も異なる異国のそれも治安も情勢も不安定な戦国時代で、独裁政権下での布教活動に奮闘する様子に共感しながら読んだ。

また、著者自身の文献を読む態度であったり自身の価値観について割と多く語っており学びが多く、言葉が強く、何度もグッときた。

敗戦の年に10歳だった私にとって、戦後の50年めとは、自分の人生や、日本の運命について考えなくてはならない節目の年に見えたのである。戦後、数多くの日本の若者たちが、世界に取り残され、孤立していた日本を変えようとして、西欧の科学や文化を吸収し、それを日本に持ち帰り、日本を世界のなかに置くためにその人生を賭けてきた。毎年、何艘の船が向学の精神をもった若者を満載して神戸や横浜から西欧に向けて帆をあげただろう。1960年代までは貧しい学生はみな船でヨーロッパに行っていたのである。1961年に横浜を旅だった私もそのなかのひとりだった。

上巻冒頭

天正少年使節とは16世紀末、日本のキリシタン大名の子息をヨーロッパに派遣したプロジェクトのことだ。これはイエズス会の発案で、このプロジェクトの目的は、西欧の王と教皇に日本への援助を訴えるため(日本は文明的であり高度な文明があり、支援・投資する価値が十分あると実際に使節を交流して実感してもらうため)と、日本の若者に西欧を実際に見てもらうことで西欧とキリスト教の偉大さを知ってもらうため(当時の日本の人たちは中国と自分の国が最高だと思っていたので清貧な格好でやってきた宣教師を自国でくいっぱぐれた可哀想な人だと思っていた)。

一般に南アメリカやフィリピンなどでスペイン・ポルトガルがとってきた一般的な方法は、住んでいる人を未開の野蛮な住民とみて暴力で支配して西洋人のやりかたを押しつけるか、または幼稚な子供のようにあわれみをもって導くかだった。どちらの場合もやられるほうはたまったものではない。最初の場合には殺されるか自由を奪われるし、第二の場合には、馬鹿にされることがおそろしく屈辱的である。これはどちらにしても、現地の文化や習慣をやめさせて、西洋の文化や習慣に「同化」させようとする方法で宣教師の「同化策」と言われている。

布教というものは、人間の心と心の出会いだということを知っていた、つまりはほんとうの宣教師だった、ということを感じさせる……略…… 相手の心に会いに行くには相手の身になって考えることが必要だ。そのために相手を理解しなければならないし、相手が住んでいる世界に自分も住まなければならない。高い立場から一方的に押しつけては、従わせることはできるかもしれないが、心に会うことはできず、ほんとうの教育はできない。

ヴァリニャーノとカブラルの一番大きなちがいは、カブラルがこれを気候風土と「天体の影響」のせいである、つまり日本人の欠陥は「運命的自然的なもの」で、もうどうしようもないのだと考えた(これは西洋人が異文明の人種を見るときによくある ”科学的な” 見かたである)のに反して、ヴァリニャーノは、それは社会の環境の結果で矯正可能と見たことにある。

ぼくはこれから援助業界で、言ってしまえば、その土地に長く住んでいた人たちに対して、たいした経験もないのに上から目線であぁだこうだと意見する人になろうとしているわけで、ぼく自身が彼らを見下しているわけではなくてもその言動や不用意な振舞いから、相手方にそう思わせてしまうとこじれてしまうわけで、繊細なコミュニケーションの必要性を感じている。

また、これは殉教の物語でもある。秀吉政権下で伴天連追放令がだされ、少なくないキリシタンが処刑されている。

収監された日本人は最初は全部で15人だった。彼らのほとんどはフランシスコ会の教会や病院や住院で働いていたために捕縛された人々で、いかなる意味でも歴史の上でヒーローになるような人々ではなく、また悲劇の主人公になるべき人々でもなかった。彼らの名簿には英雄伝の光彩はない。ここにあるのはユダヤ人処刑のリストと同じ、平和に生き、信仰のために働き、やすらかに死ぬはずの名もない庶民の名だ。

この無常さ、理不尽さに、2016年にダッカの飲食店で開発関係者含む20名上の方が亡くなったテロを思わずにはいられなかった。そう言えば、2003年のイラクでは国連人権高等弁務官含む国連職員が20名が命を落としている。

大きなニュースにならないようなことでも事件、事故に巻き込まれてケガや最悪命を落とすことだってある。青年海外協力隊だって最近はあまり聞かないが死亡事故がときおり起こる。交通事故が多い。

ぼくは死ぬ覚悟ができている、なんて言わないけれど日本に住んでいるよりもリスクは高い。いつか、ひったくりとか恐喝で30ドルくらいをしぶって刺されたり撃たれたりするのだろうなと思っている。バカな日本人として数時間くらいはネットの話題にはなるかもしれない。

私が書いたのは権力やその興亡の歴史ではない。私が書いたのは歴史を動かしてゆく巨大な力と、これに巻き込まれたり、これと戦ったりした個人である。このなかには信長も、秀吉も、フェリペ2世もトスカーナ大公もグレゴリオ13世もシスト5世も登場するが、みな4人の少年と同じ人間として登場する。…略… 時代の流れを握った者だけが歴史を作るのではない。権力を握った者だけが偉大なのではない。ここには権力にさからい、これと戦った無名の人々がおおぜい出てくる。これらの少年たちは、みずから強い意志をもってそれぞれの人生をまっとうした。したがって彼らはその人生においてヒーローだ。そしてもし無名の無数の人々がみなヒーローでなかったら、歴史をたどることになんの意味があるのだろうか。なぜならわたしたちの多くはその無名のひとりなのだから。

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