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致命傷のふたり 第4話前編(全5回)

よろしければ第1話からどうぞ!


#4.ふたりのなつやすみ・前編


 結ばれるのが遅すぎた運命の恋は残酷だ。

 最近の小太郎は積極的に休暇をとるようになった。
 これ以上の出世が見込めなくなったから会社に飽きたんよと笑っているが、以前よりもすっきりとした顔をしている。仕事の愚痴も言わなくなった。梅雨の頃、何かを悩んでいる小太郎にチカコは「仕事なんてやめたらいいやん」と言ってしまった。それが契機になったのか、ともあれ小太郎が会社勤めに飽きたというのは本音らしい。

「おれねえ今年の夏は丸二週間の十四連休なんよ。今日の仕事が片付いたら夢のバケーション。やったね」

 小太郎が朗々と告げた。
 だからチカコは素直に目を丸くした。
 明日から夏期休暇という朝のことだった。今年は企業の夏季休業に、さらに有休を組み合わせたのだという。

「えっ明日から二週間も? フルで休むん? ゴールデンウィークは海外からのお客さんを接待するからってずっと休日出勤やったやん?」
「そうだよゴールデンウィークをラインハルトの接待に潰されたから夏はがっつり休むんだよ」
「どこの銀河帝国皇帝だって?」
「まさかきみはドバイのラインハルトを忘れたのか。チカちゃんもおれと一緒に謎のパーティー行っただろ。……なんだよその顔、おれが二週間べったり在宅しちゃいかんのか。おれは退職後に居場所がなくて妻に厭われる老害生ゴミおじさんか」
「あたしはコタの妻じゃないけど」
「実質妻やん、おれの身も心も金もぜんぶチカちゃんのものだよ。実はもう遺言も作ってる」
「そんな言い方やめてむかつく」

 ふたりはとうとうありがちな展開で結ばれてしまった。
 去年わざわざ出かけたハワイ旅行ではキスひとつせず帰国したというのに、それきり何の気配もなかったくせに、つい先日うっかり抱き合ってしまった。
 それなのにまたしてもタイミングを逃してしまい、いまだに従兄妹兼未婚同居中のふたりだった。
 口を開けば初恋の中学生男女のような会話をしている。
 だがふたりはすでに平均寿命の峠を越している。腰が痛い腕が上がらない便秘が辛いと愚痴を交わしながら同居をしている。

 恋をしている。

 苦労皺が目立っていたチカコの肌が瑞々しく潤い笑顔が輝くようになったのは小太郎のおかげで、小太郎の血圧とγGTP値が健康的に下がったのはチカコのおかげでもある。
 恋をしている。

「でもお盆だしまあいいか。二週間の休暇なんてきっとあっという間に過ぎるよ」

 かくして、大人になれない大人ふたりのロングバケーションがぬるぬると始まった。

 盛夏、この地方の盂蘭盆会は八月だ。
 小太郎とチカコにはお迎えしなければならない霊魂が多い。
 ふたりが大好きだったおばあちゃんは仏壇の中でも常に永久不滅のVIP席だ。影の薄いおじいちゃん、それぞれの父親、チカコの母親、古いご親戚、名前も忘れたご先祖様、とにかく色々な死人を招いてフルーツ籠盛セットをお楽しみいただき、まあ生きてるにしても死んでるにしてもまずは年イチでお釈迦様に感謝していきたいよねという敬虔な話になる。

 本家を守る者のおつとめとして、今年もチカコは遠い親戚たちに「お盆は帰省なさいますか」と電話をかけてみた。
 だが何処の家からも丁重に断られた。これも毎年のことだ。

 さらに帰省拒否の返答だけでなく「あなたたちも老後のことがあるんだから籍だけでも入れておきなさい」「イトコ同士でも入籍はできるでしょ」といつもの余計な説教をくらって胃が重い。
 あたしとコタが死んだら本家と仏壇と墓は放置ですかとチカコが訊ねても、親戚達は「いまどき本家だの墓守だのくだらない。もう適当に処分しておしまいよ」と気楽なことを言う。そりゃあ骨肉の争いになるよりはずっといい。……
 ――それでも盂蘭盆会を迎えるときは心を正しくしておきたい。
 日本人としてというよりも、せめてこの家に住んでいるあいだは愛するおばあちゃんの魂を粗末にしたくないだけだ。

 ふたりは平屋建てのお屋敷を丁寧に掃除した。

 ラジオは早朝から熱中症に注意するようにと警告している。それを聴き流しながら小太郎が庭の雑草を抜いていると、生け垣越しに近所の子供たちが「トトロのおうちのおじちゃん!」と手を振ってきた。
 調子に乗った小太郎は、彼らを招いて冷凍庫のアイスクリームを振る舞った。

 すると後から若い母親たちが「子供たちがお邪魔してご迷惑をかけたそうで」と手土産片手に挨拶にきた。この町で暮らすならば絶対に敵にしたくないママ軍団だ。菓子折を頂いたのだから玄関先で立ち話というわけにもいかず、チカコと小太郎は彼女たちを迎えてハーブティを出し屋敷の中を案内した。
 彼女たちは全部屋を覗いてまわると、

「ほんとうに噂通りの素敵な和洋風古民家ですね。インテリアも雑貨もオシャレだしナチュラル生活雑誌の表紙みたい。うちは息子がサッカー地区代表のヤンチャ者だからこんなインテリアはムリ。ああ、パートナーとふたりきりの上質で静かな暮らしが羨ましいなあ」
「ねー。うちだって子供たちが読書好きで廊下までびっしり本棚を並べてるから間接照明も置けないの。……お車は高級車の二台持ちでしょ、もうぜったいムリムリ~ッそんなお金あったら子供の教育資金で貯金しちゃう!」
「ウチなんて車はダンナの中古RVと舅の軽トラよ! でも娘は今度バレエの発表会に出るんですよ、やっぱり子供あっての人生ですしねアハハ!」

 と、意地悪く大笑いしながら帰って行った。
 小太郎とチカコは疲れ果てた。

 ぼんやりした熱風が風鈴を鳴らす夜、ふたりは縁側に並んでふて腐れながら自家製のかき氷を食べている。

「しかし今日のママ友軍団はヤバかった。取引先銀行の怖いひとたちよりも圧がすごかった。ものすごいマウントとってきたやん。子供自慢の嵐で吹き飛ばされそうだった」
「コタが悪いんだよ。トトロのおうちのおじちゃんなんて粋な二つ名を頂戴して近所のホビット族に懐かれちゃうから」
「小さきホビットにはすぐ施しちゃうのよ。おれの前世はアラゴルン二世だから」
「コタはこどもが好きだもんね」
「いやあそうでも」
「あたしは元夫に廃棄処分されて娘のゆりこも大学生だし酸いも甘いもかみ分けてとっくに女の人生閉店ガラガラなんだけどさ、コタはじぶんのこどもを欲しいと思ったことなかったの?」

 ふとチカコは小太郎に訊いてみた。

「……」
「………」

 ふたりの間を天使が通る。

「それが一度もないんだよ。自分の両親がちょっとアレだったしな、いくら母親方が大富豪でもちょっとね」

 小太郎は中途半端に溶けてみぞれになったかき氷をスプーンでつつき回し、「やはり練乳が足りなかった」と呟いてからもう一度改めて、

「家庭が欲しいと望んだことがなかった。おれの人生のなかで女っていうのは消耗品だと思ってた。ここでチカちゃんと暮らし始めるまでは」

 と言った。
 チカコは「その過去形は少し嬉しい」と囁いた。今年は連日の酷暑で陽が落ちてもさらに暑い。

「でもコタは結婚、」

「はー! あのさあチカちゃん! あしたの法要が終わったらおれは盆を店終いして避暑地にいきたい! 残りの休暇でバカンスしたい! したいしたいしたいいい!」
「でも盆踊りや精霊流しがあるでしょ、ちゃんとご先祖を送ってあげないと」
「ほっといてもさっさと帰るだろ! おばあちゃんたちも素人の死人じゃあるまいし!」
「ちょっとコタ声がでかすぎ」
「聞かせてやってんのよご近所に」

 小太郎がチカコの耳に唇を寄せる。
 チカコは蚊を叩き潰す要領で小太郎を払った。

「やめてよバッカじゃないの。かき氷の練乳で泥酔するのってコタくらいのもんだよ」
「いいからいいから」
「よくないよくない」
「おねがいしますおねがいします」
「童貞脱ぎたての男子高生か」

 蚊取り線香の灰がぽたりと落ちた。
 ふたり同時に年齢不相応の熱い息を漏らし、先に指を絡めて引き寄せたのは小太郎だ。
 あと十五年早ければこのひとの子を産めたかもしれないとチカコは思った。

「あたしも行きたい。避暑地。まあ具体的には何処なのかわかんないけど」

 それほど乗り気ではなかったが、つい申し訳なくてそう言った。

「任せて。おれが連れてく、チカちゃんが喜びそうなところは完璧に把握しとるんよ」

 結ばれるのが遅すぎた運命の恋は残酷だ。
 家庭について問うた答えがこの勢い任せの抱擁だった。このひともまた、解無しの理由を肉欲で誤魔化す男になってしまった。元夫もそうだった。小太郎の肩越しに滲む天井の灯りが眩しくてチカコは目を閉じる。あとはやりたいようにやらせて委ねるだけだ。これは恋だけど愛ではない。
 でも愛だといいな。
 そうなるといいな。官能に耽る夜が更ける。


後編につづく


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