見出し画像

ヘレンケラーもしくはケツ冷まシート

市内にある病院からの帰り道、いつものように読書をする。

順調な読書はすばらしい読書とちがっている。

横に横にすーっと、流れていくように始まっては終わる読書は順調この上ない。その流れには活字というもはや消え入りそうなメディアをともかくも日常的に摂取していることへの優越感と、そのふって湧いてきた低すぎる上から目線への恥じらいがしばしば映る。

だがすばらしい読書は横ではなく縦の運動を本懐とする。

流れていかずに引っ掛かりが生まれてきて、どうしても前のページのあるフレーズが気掛かりになり、なかなか話が進展しない。何度も摂取し、何度も吐き戻すうちに、しばしばもともと何を食べていたのか忘れるようなグロテスクな経験をする。

つまりわたしは前後に吐き戻す読書をしていた。ヘレンケラーになぞらえて身体の図式を辿り直すという趣旨のこの本は、はっきりいって川と呼んでいいのかも謎だった。迸る粒子のそれぞれが皆、自分は川なのだと叫び倒しているようなものだったからだ。

当然帰り道で読めるような代物ではないから、この本を暇つぶしのお伴にした後悔と、何としても呑み込みたいという欲望がむずかゆくなるくらいに交差していた。

そんなとき目的地の一つ前の駅で降りた。この電車のニーズにわたしの目的地はあってなかったからだ。

そもそも吹き抜けしかないこの駅に暖かさなど求めてはいけないが、いやにお尻を冷たくする偽革のシート、通称「ケツ冷まシート」の上で、次の電車の到来を待ち望みつつ、あたかも苦行のような”すばらしい読書”に励むほかなかった。

しかしそのケツ冷まシートには同伴者もいて、そいつは中高生だ。もちろん他人。

他人には文字が書かれていないのでこいつで”すばらしい読書”はできない。こいつの前で吐き戻すことはできない。わたしは電車の中にいるやばいやつあるいは声の大きい酔っ払いではないからだ。

「わたしはどうやって動くのか?その時自分のいる所を食べ尽くす、つまり消滅させることでしか、動くことはできない。・・・次にやってくるはずのものを、元気に飲み込み、取り入れる。また前方へ歩いていく時のわたしは、・・・形成していく時空、【巻きひげ】を送り出す。それから、へえ、それ七つの大罪?」

パックマンが七つの大罪を読んでいるのかどうかを聞いてきたのかと見まがうほどに、そう自然に、”すばらしい読書”自身に引っ掛かりが生じた。

横の冷やケツ中高生の前方には、たぶん同学年の女がいた。この人がパックマンあるいはヘレンケラーに成り代わっていたのだ。もはや読書なんてするべきではない。なぜって冷やケツ中高生の心温まるコミュニケーションのほうが面白いに決まっているのだから。見えるはずのない企みが彼らから見えないようこの本に眼だけつかった。

「ちげえよ、まあ、七つの大罪じゃなくて・・・」

『ねえ、おまえ誰が好きなんだよ、サキちゃん?』

「え、いないよ。・・・言うわけないじゃん」

『言えよ。ほらあ』

「あいつはそのほとんど話さなくなって」

『ケンカ?』

「ケンカっていうか、うーん・・・。てかおまえはどうなんだよ」

『わたしはいません』

「はあ」

『ほら、言わないとバラすよ』


うーん、気になる。この中高生の会話。

文章からは分からないだろうが、女の声音というか声の出し方が、どこか演じている。その役は「内輪ではよくしゃべる男受けを狙わないオタク」という、それ自体ニッチな需要をもちそうな役柄だった。

実際何が気になるって、お互いどんな顔で、どんな姿勢で、どんな気持ちで、この劇をしているのかってのが気になる。魅了された次には顔をみたくなるのはほとんど普遍的な現象だろう。さて、どうやって拝見しようかな。

その間にも会話は流れていっていたらしい。

「それでさ、文化祭の戦闘力が3000ってプロフィールにあってさ」

『わたしはないから安心してください』「お、そうか」

なんだよ、文化祭の戦闘力って。しかもプロフィールに載せちゃうのか。なに基準なのだろう。オリジナルTシャツのデザイン発案とかだと1500くらいあるのかなあ。

その懐疑の刹那に僥倖。向かいの電車が来たのだ。ほら来た!!大げさな停車音と吹きすさぶ寒風という情報の氾濫に乗じてわたしは、さもこの電車に興味がある装いで、彼らの方に首だけで一瞥する。

そこには、眼をあわせずにスマートフォンに関心をむけながら、向かい合っているのでも真横にいるのでもない絶妙な距離感で交流する二人が広がっていた。見出されるすべての要素が「中間」や「ちょうどよさ」「不均衡的な均衡」という理念上の極地をちらつかせるような佇まいだ。リアルってこれか。

この感動とも凍えとも知れない震えに呼応するように、わたしが乗るべき、そしてすっかりケツの温まった中高生とオタク役の女が乗るべき電車がやってきた。

『じゃあね』

え、おれに言ったのあの子、とバレた恐怖と児童ポルノ希求の中間心理に苛まれたのも束の間、あのケツ温中高生とオタク役は同じ電車のちがう車両に乗り込んでいったのだ。もちろん彼女はケツ温に別れを告げたのだ。なんだよ、チッ、よかったあ、残念と喜びを一つにする言葉ってなんだろう。

同じ方向に同じ電車。ちがう目的地にちがう車両。密着でもなく孤独でもなく。どこか、満たされなさと安心が一蓮托生している。そうか、ここがちょうどいいんだ。冷たくもなく熱くもない、あのケツの温もりくらいが。

下車する時に見えた、あのケツ温の髪型は、巻きひげみたいにねじれていた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?