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RAMにまつわるエトセトラPaul McCartney

RAM

RAMはポール・マッカートニー、2枚目のソロアルバム。1971年発売。当時全英1位、全米2とヒットはしたが、地味だ、つまらないと酷評もされた。しかし、後年、評価があがってきたアルバムだ。まだ世界中の誰しもがビートルズの幻影を求めていたのだ。

CBSスタジオ G/デヴィッド・スピノザ 散歩中、背景には自由の女神

1970年10月、ポールは家族と共にサウスハンプトンからフランスの客船でニューヨークへ渡った。レコーディングをやり、当時まだ危険だったハーレムを彷徨い歩き、自由を満喫し、気ままにレコーディングもやった。アポロシアターに忍び込んだり、冒険したようだ。後で書き足しますネ。

初シングル「Another Day」を 「How do you sleep」で攻撃

うす汚れた地下室を見つけて、色んな連中をオーディションした。ドラマーには腕利きのセッションマン、デニー・サイウェルを選んだ。キャラも楽しい男だった。さらに、凄腕セッションマン、ギタリストのデヴィッド・スピノザを加え、初のシングル「ANOTHER DAY」を録音。すでに評価の高かったファーストアルバム収録の「MAYBE I’M AMAZAD(恋することのもどかしさ)」の方が安全な選択肢だったが、あえてこの地味目なナンバーをシングルカットした。緻密な演奏に、リンダのコーラスも入った「アナザー・デイ」はヒットした。しかし、ノスタルジックでほの甘くメランコリックなムードとマッカートニーらしい曲の世界観は、ジョン・レノンや批判的な者たちから嘲笑を浴びた。時折無性に聞きたくなる曲で、僕は大好きだけど。
ちなみにAnother Dayは、RAMには収録されていません。後年、CDでポーナストラックとして収録。 

ジョンはなぜ嘲笑ったのか?Let it beの頃から演っていたから?甘ったるいメロディで緩く聞こえたからか?知らんけど

当時、ジョンもポールもお互いに、曲の中などで当てこすりをしていた、と認めている。ジョンは名盤と言われるIMAGINEの「How Do You Sleep」でこう歌っている。
1:40
The Only Thing You've done was YESTERDAY
お前がやったのはイエスタデイだけさ
And since you've gone You're just ANOTHER DAY
いなくなってからは、ただの一日だ

3:40
A pretty face may last a year or two
可愛い顔も、1,2年はもつだろうよ
4:06
The sound you make is MUZAK to my ears
お前が作るサウンドは、俺には”ミューザック”にしか聞こえないぜ

カッコいいスライドギターを弾くのはジョージ・ハリスンだ(笑) この曲は、取り上げた部分以外も終始、ポールへのあてこすり歌詞になっている。
おまけに、RAMのジャケットをパロディにして、ブタの耳をつかむジョンのポストカードをIMAGINEのおまけにつけていたのだ。当時LPを買ったときは、意味が分からなかったけど。
なんか、今では微笑ましくも思えるから不思議だ。
まるで子供のじゃれあい。めっちゃ、意識してるやん(笑)

当てこすりブラザーズ(笑)

ポールも Too Many People で当てこすり

ジョンがセンシティブで意地悪をしていたわけでもない。ポールも認めている。
「Too Many Peopleは、たしかにジョンのことをちょっと当てこすった曲だよ。それは、あっちが僕のことを当てこすっていたからだよ。あの頃、僕らはマスコミにお互いに嫌味を言っていた。それほどキツイものじゃなかったけど、お互いに腹を立ててたんだ」
ーどんな感じでした?たしか「失せろ!(Piss Off!)」と歌ってたような
「(笑)うん・・・Piss Off!Cake!(失せろ!ケーキめ)だった。Piece of cake(お茶の子さいさい)がそうなっただけで、何の意味もない(笑)ほんのちょっとした当てこすりさ。でも、途中では当てこすってる。

Too Many People preaching practices
あれをやれとか説教する奴らが多い
Don't let them tell you what you wanna be
君が何になりたいかなんて連中に言わせんなよ
Too many people holding back.
やめさせようとする奴らが多いけど
This is carzy and maybe it's not like me.
気狂い沙汰だよ、俺とちがってね 

ボクからすると、ジョンとヨーコは、人に指図して説教してまわってる感じだった。人に指図されるいわれはないないからね。ビートルズは基本的にずっと、人は人というスタンスで、どうぞご自由にって感じだった。それをあの二人はいきなり「こうするべきだ!」って。チチチチッって、人差し指を人の目の前で振るような真似をはじめた。それがムカッときたんだ。だからあの曲でジョンとヨーコのことを歌っていたのはまちがいないよ」

憧れのブラックミュージックを満喫

ビートルズの面々は、リバプールで船乗りが持ってくるロックンロール、ブルース、モータウンなどのブラックミュージックに夢中になっていた。初期はTwist & Shout, Money, You Really got a hold on me, Please, Mr.Postman, Chains, Boys, Slowdown, Rock and Roll Musicなど、渋い選曲でカバーをした。しかもオリジナル超えの出来栄え。ハンブルクの繁華街で何百時間もプレイし修行したたまものだ。ビートルズがコンサートでニューヨークを訪れ、憧れのアポロシアターに行きたい!と言っても、ハーレムは黒人街で危ないからダメだ!と一切、外出できなかった。時は流れ、ビートルズは解散し、髭ヅラでニューヨークに来たポールには絶好のチャンスだった。

「アポロとか、その手の場所に行きたかったんだ。ビートルズ時代は『アポロには行かないでくれ、安全じゃない』って言われてた。こっちは生まれてからずっとアポロの話を聞かされてきたんだぜ、行かせてくれよ!『ハーレムは黒人街だ。危険すぎる!』ってさ。1970年の頃、髭を生やしてたから分かり辛かったし、コンバット・ジャケット着て、ジーンズを穿いてたから、そこいらの路上のヤク中と見分けがつかなっかたよ。誰も気づかない。リンダも度胸のある女だし、一緒に行ってみたのさ。タレントコンテストがある晩だったんだけど、遅刻してさ、門番がもう入れないってのをリンダが無理やり、強引に説き伏せてさ(笑) 中に入ったら、白人はぼくら二人だけだったと思う。もの凄くクールだった、イギリスのコンテストとは全然ちがってさ、みんなもの凄く上手いんだ。ブーイング受けて退場したのは、ケンタッキーからきてThat’s alright mama を歌った奴だけっだった。前にいた男が、マリファナ吸いながら滅茶苦茶ヤジってたよ(笑) ボックス席にいる小男がトロンボーン持っててさ、気に入れないとプルルルルって鳴らして、ゴングショーみたいに、ハイ終了~!って感じ。でも、最高なのは、ウケがいいとレコードプロデューサーがステージに駆け上がってきて『アリスタレコードだ!ぜひ、契約してくれ!』ってなるのさ。ね、クールだろ?」

☟40年後の2010年、ポールは憧れのアポロシアターでコンサートをやった。マーヴィン・ゲイに捧げヒッチ・ハイクを演奏。途中機材トラブルでストップするがトニー・ベネットの物真似などもやりながら見事、災い転じて福となした。コーフンしただろうな。

「そんな感じで、ぼくらは色んな場所を車で回った。ハーレムの125丁目にも行った。リバプールの人間だからさ、そういうのに魅力を感じるんだよ。独りでブラブラしてたら、子供たちで一杯の公演があってさ、R&Rのリズムで韻を踏みながら、初期のラップみたいな歌を歌いながら踊ってるのが面白くいてみてたんだ。すると黒人の男がやってきて『あんた先生かい?』『いや、ただ子供たちを眺めてるだけだ』『先生じゃないならこのブロックから出ていきな!』『どういう意味だ?ただの旅行者だよ。冗談だろ?ここは自由の国じゃないか』『ここから出ていきな!さもなきゃオレが追い出してやろうか?』男が歩き始めたから『真夜中のカウボーイ』のラッツォ(ダスティン・ホフマン)みたいにひょこひょこついていきながら『僕はイギリスからきたミュージシャンでR&Bに熱中してて、ここにいると胸がときめくんだ。だからそんなボクをここから追い出すのはよくないことなんじゃないか?』すると威嚇的な低い声で『とっとと国に帰りな、マザーファッカー』と言うから退散したよ」





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